まあ、いま帰らなかったら、きっと後悔するだろうとは思うんだ。
たぶんこの先、何度も何度も。
でも帰ってしまったら・・・
絶対に、もっと後悔する。
5年も10年も20年も30年も。
一生後悔し続けるのは間違いない。
そんなのは嫌だよ。
大切な、価値あるものを放り出しては帰れない。帰りたくない。
えらそーな事言ってるけど、かなり強がってる部分はあるんだ。
門川君の冷酷な態度や、お岩さんとの関係。
それをまた思い知らされたらと思うと、ねぇ・・・。
正直、今すぐ帰ろっかなぁ、なんて考えちゃう。
「今度また爆発したらサッサと帰っちゃうかもしんないけど」
「小娘・・・・・」
「帰る気になりゃ、いつでも帰れるんだしねー」
だったら今は帰らない。
帰らないでここにいる。
あたしはそっちの道を選ぶよ、みんな。
そしてあたしは、しま子の花束を受け取った。
あの時、受け取らずに後悔した花束。
今度は受け取ろう。しっかりと。
同じ過ちを繰り返さないように。
そして・・・
あの時あたしが受けた後悔と苦しみを、彼が受けないために。
あたしは、ここに残る事を決意しよう。
「次に爆発しちゃうまでの、短い期間かもしんないけどねー」
「・・・・・・・」
「あははは」
笑うあたしを絹糸は見上げていた。
そして絹糸も、ふふっと笑った。
「まぁ権田原一族も、気は良い連中じゃが頼りないでのぉ」
「あ、それは言えてる」
だいたいさー。
いくら親切だっていっても、こんな時にドンチャン騒ぎなんてする?
ありえないでしょ普通。
「長く政権から離れすぎて、少々平和ボケしとるようじゃの」
「だよねぇ」
「あの連中に永久をまかせるのは、どうにも心配じゃからのぉ」
「うんうん」
「手間がかかって、かなわぬわ」
溜め息をつく絹糸を見て、あたしはまた声を上げて笑った。
「すっかり憑き物が落ちた顔をしとるの」
「ん? そう? そんなヒドかった?」
あたしは手の平で自分の顔をつるりと撫でた。
「地獄の一丁目を覗いとるような顔じゃったわ」
「でしょうね」
「あれだけ泣き喚けば、憑き物も裸足で逃げ出すじゃろうがの」
「いつから聞いてたのよ?」
「最初からじゃよ。みんな揃って隠れて聞いておったわ」
「・・・・・趣味わるー」
「あまりの剣幕に、恐ろしゅうて出て行けんかったんじゃよ」
神獣たる我に恐怖心を抱かせるとはのぉ。
絹糸はそう言って、ほっほっほっと笑った。
「小娘、お前は・・・さすがは天内の末裔じゃよ」
しま子の笑顔。
子猫ちゃんの可愛らしい鳴き声。
絹糸の温かい視線。
あたしは、花束をギュッと抱きしめた。
「みんなで帰ろう。権田原の屋敷に」
門川君のいる場所に。
帰ろう。
あたし達は、星空の下を揃って歩き出した。
そして、一番最初に、その異変に気がついたのは絹糸だった。
「何じゃ? この臭いは・・・」
怪訝そうな表情で、歩きながら鼻をヒクつかせている。
臭い? なにか臭うの?
あたしは何も臭わないけど?
そのうちに子猫ちゃんも鼻をヒクつかせ始めた。
? 臭う? うーん・・・?
歩き進んでいるうちに、今度はしま子が唸り始めた。
みんないったいどうしたの?
「・・・小娘」
「なに?」
「急げ! 権田原の屋敷じゃっ!」
絹糸の声を合図のように、皆が一斉に走り出した!
なに!? どうしたっていうのよっ!?
ちょっと待ってみんな!!
慌てて後を追って走り出したあたしに、絹糸が叫んだ。
「屋敷が燃える臭いがするっ!」
「・・・えぇっ!!?」
「それだけではない! これは・・・人の血の臭いじゃ!」
「血・・・!?」
「おびただしい血の臭いじゃ!」
おびただしい血っ!?
いったい何が!?
屋敷の方角の空が、うっすらと明るい。
どうして? 夜明けにはまだ間があるのに。
・・・まさか!?
屋敷が見える距離まで近づいた時、はっきりとそれは見えた。
音をたてて燃え上がる、権田原の屋敷全体が。
朱と赤と黒に染まる建物。
狂ったように暴れる業火。
一瞬、呆然とその場に立ちすくむ。
あまりの衝撃に頭が真っ白になってしまった。
火事? そんな・・・!
ふと、屋敷の正面玄関付近に何かを見つけた。
あれは?
・・・人だ! 人間だ!
誰かが倒れているっ!
助けなきゃ!
バチバチと炎が踊る音の中、夢中で駆け寄った。
近づくと熱気が襲い掛かってくる。
火の粉が降りかかってきた。
男の人が、うつ伏せで倒れていた。
しま子が抱き起こす。
「大丈夫ですか!? しっかり・・・」
・・・・・っ!?
あたしは驚いて言葉を失った。
その人のお腹から、ダラダラと真っ赤な血があふれていた。
「うぅ・・・あぁ・・・」
「大丈夫!? 何があったのっ!?」
苦しげにうめく唇からも血があふれる。
目は焦点を失い始めていた。
「か・・・かど・・・」
「なにっ!?」
「かどかわ・・・が・・・」
ゴポッ・・・
口から大量の血を吐き、その人の目は閉じられた。
「いかん・・・! 我が子よ!」
「にーっ!」
子猫ちゃんが、その人の額に顔を近づける。
ぽぉっと淡い光がベールのように全身を包み始めた。
その時、キイ――ンと鋭い冷気が周囲を走った。
熱に侵されきった空気全体が、一瞬で極寒の空気に変貌する。
身を切るような冷気。これは・・・。
屋敷を包み込んでいた業火が、瞬時に消え去った。
門川君・・・門川君だ!
門川君が火を消してくれたんだ!
という事は、彼は無事なんだ!
あぁ、よかった・・・!
そう安心した、その時・・・・・
― ゴオォォォ・・・ッ!!! ―
瞬く間に、屋敷が再び轟音と炎に包まれた。
なんで!? 消したのに!
どうしてまた火が!?
炎に挑むかのように、また冷気が周囲に充満し始めた。
屋敷を包む炎の勢いが一気に弱まる。
でも炎の全てを消すまでには至らない。
炎の熱気と鋭い冷気。
ふたつの相反する勢いが、拮抗し、せめぎあっている。
「永久が屋敷の中で術を発動しておる!」
「門川君・・・!」
「門川の刺客が中に入り込んでおる! 発動中の無防備なところを襲われたら・・・」
あたしの全身から血の気が引いた。
か・・・
門川君―――っ!!
声にならない悲鳴を上げて、あたしは玄関から中に飛び込んだ!
「しま子よ! 我が子を守ってくれ! 頼んだぞ!」
「うがあぁっ!」
「まて小娘! 一人で行くでない!」
絹糸の声を背中に聞きながら、あたしは突っ走った。
目にした屋敷の中は・・・
凄惨のひと言だった。
壁、床、家財道具。
それらを舐めるように包み込む炎。
喜び勇んで、音をたてて広がっていく。
熱によって崩れていく全て。
朱と赤と熱の圧倒的な侵略。
そして・・・
血に染まり、倒れている大勢の人々。
みんな宴会に来ていた人達だ。
ついさっきまで、楽しい時間を過ごしていた人達。
それがこんなヒドイ目に・・・。
ごほごほと煙にむせる。
目に染みて涙が流れてきた。
苦しい、ノドが・・・!
えぇっと、こんな時はどうするんだっけ!?
そうだ、布で鼻と口を覆って、姿勢を低くする!
あたしは身をかがめて前進した。
暴力的なまでの火の威力を前に、この程度で太刀打ちできるか心細い。
でも門川君の冷気のお陰で、なんとか大丈夫そうだ。
そうじゃなかったら、今頃ノドが焼けている。
火を避けながら、あたしはさっきの宴会場にたどり着いた。
その中に、門川の刺客達の姿を見つけた。
慌てて身を潜める。
そっと陰から中の様子を伺った。
大勢の権田原一族の人達が、血を流し倒れている。
その中央に、門川の刺客達が、円陣を組んで座り込んでいた。
10人ほどの円陣。
その周りを、槍を持った者が大勢、護衛するように立っている。
円陣を包むような、強烈な白い輝き。
両手で組まれる印。
術を発動しているんだ。
この人達が、この屋敷を燃やしている張本人だ!
10人がかりの術を、門川君が、どこかでなんとか押さえ込んでいる。
たったひとりで。
そう長くは持たない。きっと。
この連中の術の発動を止めないと!