絶対に、近い。
顔が熱くなる。

どくん、どくん。心臓が叫んでるのがわかった。



――――するり、郁也の指先から、私の髪が解放された。



と、思ったら。




「―――――っ、ちょ、郁也」




目を見開く。急に、視界が、薄暗くなった。

背中に回された腕は郁也のもので。状況を把握する。



…俗に言う、抱きしめられている状態。




「いいいい、郁也?」

「昨日言ってたの、野崎だからね。そんなにこうされたかったのか」

「っ、…近いっす!近いっす、郁也さん…!」

「近いね」




とだけ一言。郁也の息がかかる。

流石に怜香が言ってたような窒息死とまではいかないけど、心臓は破裂する気がする。






「…これで満足?」

「、そういうことを聞かないでくれれば満足です…っ!」




恥ずかしさで死ねる。郁也の肩に顔を埋めて隠した。

確かに、怜香の言いたいこともわかる気がする。息苦しいことには、変わり無いかもしれない。




「…佳奈」

「…え」

「って呼ぼうかな。これから」

「でええええ!?それ、結構な重大発表だよ、郁也!?佳奈って…名前で呼ぶの!?」

「じゃあ呼ばない」

「呼んで…!」




ムードもなにもかもぶち壊し。すべての原因は郁也の発言、だ。

思わず埋めていた顔も上げた。赤かろうが青かろうが関係ない。




「…顔真っ赤」




そう馬鹿にしたように郁也に言われたけど、今はそれどころじゃない。






「か、佳奈って、佳奈って呼んでくれるの!?」

「野崎は俺のこと名前で呼んでるのに俺は呼ばないのはフェアじゃない気がしたから」

「今野崎って言ったね」

「佳奈は俺のこと名前で呼んでるのに俺は「リピートしなくてもいいけども」




どくん、どくん。
さっきよりも心臓が跳ね上がっている。

郁也が、




「佳奈」




そう言ったからだ。
また、熱くなる。




「いいい、郁也、」

「なに」

「い、いつまでこの体制なの」

「佳奈の顔が赤くなくなるまで」

「無理…!」




ふっと笑った郁也にノックアウト。打ち負かされた。

また、こてんと郁也の肩に顔を埋めて赤い顔を隠した。







「…それ結構な進展じゃん。ていうかなんで顔真っ赤なの?」

「いろいろあったから」




昼休みになって、教室の中、机上に突っ伏す私に怜香が疑問を投げかけてくる。

ああ、未だに顔真っ赤なのか。そう思った。




「…郁也が怖いです」

「なにが?」




目線だけを怜香に向けてみる。怜香は私から視線をするりと外すと、

つんつん、弁当箱に入った卵焼きを箸で突いた。

それを目で追いながらようやく机上から頭を離して弁当箱を取り出した。




「佳奈、さっきなにがあったの。藤崎と」

「……郁也が壊れてた」

「ああ、はい。藤崎に抱きしめられたんだ」

「えええ…、よくわかったね!?」






「珍しいね。藤崎がそんなことするの」

「珍しいもなにもないよ本当…」

「佳奈から頼んだの?」

「頼まないよ」




言いながら、ぱか、弁当箱の蓋を開けた。




「…郁也って難しい、よね」




呟く。蓋を開けた瞬間に焦げた卵焼きが視界に入る。

いつ見ても残念な弁当箱だ。私の手元を見遣った怜香が一言。




「…いつも自分で作ってるんだっけ。佳奈って」

「毎朝早起きして頑張ってるんだよ」

「それにしては悲惨な中身よね」

「……」




自分の不器用さに悲しくなる。ちらりと見た先には怜香の彩り綺麗な弁当がある。

比べてしまうのは仕方ない。






「あたしは自分じゃ作らないけどさ」




また、箸で中身を突いた怜香。私も箸で自身の昼食を突く。

…うわ、やっぱり焦げてる。口に放り込んだ卵焼きは砂糖を入れたにも関わらず、苦みの方が濃かった。

じわりじわり、味が舌先から口内に広がる。




「苦そう」

「…苦いよ。食べる?」

「今苦いって言われたのに、それ聞いて食べる気にはならないよね」

「だよね」




料理、上手くなりたい。自分の不器用さへの恥ずかしさはもうとっくの昔に消えたけど。

そんな私を見て、怜香が言った。






「…いつからだっけ。佳奈が自分で作るようになったの」

「……」




いつになく静かに呟いた怜香に、視線を向ける。

自分で作るようになった…、か。脳裏で復唱しながら、答える。




『佳奈は不器用だから、料理は苦手かもね』

『…佳奈はいつも笑ってるからね』



声が、脳裏で響く。




「…中学生のとき、…中二のときからだよ」

「…そっか」




それまでは自分ではなかった。学校で食べる昼食を作るのは。

だけど中学二年になって自分で作るように、なった。



生活が一変した。






「あ、ていうか、それよりもさ!見てみてこれ、上手く出来てない?」

「ハンバーグ、朝から作ったの?」

「作ったよ。少し焦げてるけどさ、私にしては上出来だと思うんだよね」

「…そうだね」




ぱくり、口に運んだハンバーグは、塩気が強い気がした。

しょっぱい。…なんでだろう。




「…聞かない方が、良かったかもね」

「なんで怜香がそんな顔するの。大丈夫だよ、ハンバーグがちょっとしょっぱかっただけだから」




へらり、笑う。
怜香は、笑わなかった。






―――――…



「…野崎お前、これはないだろ」

「誠に申し訳ございません」

「三つ指しろとは言ってないけどな。…お前、数学がこれだと志望した進路は難しくなるぞ」

「いやはや、それは重々わかってはいるんですけども…」

「わかってるなら実行しろ。行動に移せ」




言いながら、ぺらぺらと宙に数学の答案用紙を踊らせる担任。

ぺらぺらと紙の角度が変わるたびに赤ペンで書かれた点数が見えるもんだから、流石に溜息がつきたくなる。




「いやもう、本当すみません、先生」

「だからな、俺が言いたいのは行動に移してくれってことなんだよ」

「…行動ですか」