疑問が浮かぶ。


いいんだろうか。自分が不細工なのはわかる。わかるけど。

彼女が不細工っていうのは…郁也はどう思ってるんだろう。今更だけど。




「…ていうか、あのさ」

「…なに」

「…郁也って、なんで私を彼女にしたの?」




素直な疑問だった。


…こんな問い掛けをする彼女って、周りから見たらおかしいのかもしれない。

だけど、気になることは気になるわけで。



自分に評価を下すなら。それはもう、ものすごく低評価だ。顔は凡人…いやそれ以下。容量は悪いし、性格も捻くれてて。

反対に、郁也は周りからすれば顔は整ってるし、性格は置いといて頭脳明晰。…対照的過ぎるよ。




「…ねえ、郁也」




返ってこない言葉。

聞かない方がよかった?なんて、今更後悔しても遅い。


郁也が薄く唇を開く。
…なんて言われるんだろう。どきりと心臓が一度叫んだ。


郁也と目線が絡む。

次は反らされない。お互い、反らさなかった。

夕焼けの中で、郁也が沈んでいく夕日のように静かに語を落とした。




「…好きだったから」





……え?



声が出ない。


え。好きだった…?
以前から、という意味なんだろうか。…それとも違う意味?

心臓が騒がしい。慌ただしく震え出す。


それを押さえようにも、今は、自分の手が動かない。


空気が固まってしまったようだった。



――――けど。




「…冗談」




この空気に水を差したのは、郁也本人だった。




「…、え」

「笑うとこじゃないの。冗談だって」

「、…冗談?」

「…別に気にしなくていいんじゃないの。佳奈が聞いたらショック受けるだろ」

「…ショック…」




え、なにそれどういう意味ですか。

聞きたいのに、…郁也の指がそれを邪魔する。唇を固く結ぶ。




「ちょ、…郁也」

「なに」

「ゆ、ゆびびび、指」

「…頭とか大丈夫」

「だ、駄目だと思う」




郁也の指先が頬を滑る。撫でるように、するすると肌の上を優しく滑っていく。



どくん、どくん。
心臓が、さっきよりも激しく踊り狂う。




「…ゆ、指」

「…顔赤い」

「わかってるけど…!」






それどころじゃない。
それどころ、じゃないんですが…!


郁也の言うとおり、今きっと自分の顔は真っ赤になってるはず。

現にいま、すごく熱い。じりじりと熱い。


郁也、どうしたっていうんだろう。

どくん、どくん。
まだ踊り狂ったままの心臓。痛いくらいだった。




「…佳奈」

「、」




伏せ目がちになって、郁也は小さく私の名前を呼んだ。


耳に届く声で、身震いしそうなほどに緊張している。指先まで震えてしまいそうだ。


すっ、と唇の上を郁也の人差し指でなぞられる。

ぞくりと寒気が背筋に襲い掛かる。息を殺すように、噛み締めたままの自身の唇。




「…、」

「…気にしなくていい」

「…、え」




漏れた声。

小さな声は、独り言のようでもあり、私に言い聞かせるようでもあった。


気にしなくていいって。…なにを?



聞き返そうとした私に、近付く郁也の顔。




「…っ、あ、え」




びくりと肩が上下する。
そういえば、郁也の指先はいつの間にか頬で止まっていた。


近付く郁也に、次の瞬間は予想出来た。

静かに瞼を下ろす。



…はぐらかされたのはわかったけど、それを突き止める術はもう手元には無かった。







***


来ちゃったよ。
ついに来ちゃったよ。




「範囲よく確認しておけよー」



担任の声だけが教室の中で反響した。


配られたプリントをじっと見つめてから、がくりとうなだれる。


有り得ない。
ついに来てしまった。来てしまったんだ。

現実を受け入れたくなくて、プリントを嫌そうに視界に入れた。


今し方担任から配布されたプリントには。

それもうはっきりと【中間テスト出題範囲】とワープロで打たれている。




「……最悪」




ぽつりと一人本音を漏らしてみる。が、誰も聞いてない。

中間テストがついに来てしまった…。




「受験生じゃないにしても勉強はちゃんとやっといてくれよ。後悔してもいいなら話は別だがな」

「……」

「プリント、目通しておけよ。今回の中間テストの出題範囲だ。俺が打ってやったんだからな。感謝しろよ」

「……」




ていうか何様なんだろうこの男教師は。

感謝しろよ、じゃないでしょうよ。高校教諭がそれでいいのか。え?いいんですか?






ぐしゃりとプリントを握り締める。

これは本当困る。でも勉強しなきゃいけないのはわかってる。




「じゃあホームルームは終わりだ。気をつけて帰れよ」




うちのクラスの担任ってなんでこうもゆるっゆるなんだろうか。

いや、ゆるっゆるっていうか適当っていうか…。掴めないわ。


もう帰っていい、そう言われれば皆口々に遊びに行こう、だとかこのあとどうしようか、だのと会話に花を咲かせてる。

私も帰ろうと机の横に引っかけられた鞄に手を伸ばした、ときだった。




「…あと、野崎はこのあと残れ」

「…はい?」




思わず手を伸ばしたままの体制で担任に視線を向けた。


はい?

担任は相変わらずの表情のまま、さっきまで使っていた資料片手に私を呼んだ。




「…え」

「佳奈、なんかやらかしたの?」

「え?…いや、…私そんな問題児ではなかった気が…」




するんだけど…。

私のところまで歩み寄ってきた怜香に返した。


ちょっと待って。私別に悪い方向には走ってないよ先生。

私どちらかと言えば良い生徒だった気がします。…します、けど…。






「…なんか問題起こしてたっけ」




ええ。…それは困る。

内心焦る私に、怜香はいつも通りに笑いかけた。

なんでそんないつも通りなの怜香。すこしは心配しようよ。ねえすこしは心配して。




「どんまい」

「おい」

「じゃ、あたし夏樹と用事あるから」

「えええ…!」

「あ、藤崎もう帰ってたよ」

「ええええ…!」




ちょっと!ちょっと!

待って、ちょ、酷い!それはない…!郁也帰ったの?一人で帰っちゃったの!?


掴みかけた鞄を取る気力までも抜けていきそう。

思わずさっきのようにうなだれる。怜香に手を振られて、力無く返した。



…夏樹君と遊ぶんだろうか。畜生、羨ましい…!

もう見えなくなった怜香を羨ましく思いながら、教卓の方を振り返って口を開いた。




「…先生、私なにか問題起こしましたか」

「お前ネガティブ過ぎるだろ」

「あ、違うんですか?」

「違うわ」




教室の教卓で一部始終を見ていた担任は私に呆れたように言った。


なんだ違うのか。
思わず安堵の溜息を吐き出した。






「勉強してんのか。最近は」

「最近も過去も一切しておりませんが」

「ちょっと来い。生徒を一発ぶん殴るくらいなら俺もクビにはならないから」

「なりますよね」

「最近隈無くなったな、お前」

「え」




教卓まで進めていた足を思わず停止させる。ぴたりと止まってしまう。

担任は頬杖をつきながら私に言う。




「…悩みがあるのは当たり前なんだよ。よくあることだろ」

「…先生も、悩み事とかあるんですか」

「…ある」




つい聞いてしまった。
でも答えを聞いてみて、すこし驚いた。

それはそれで意外だと思ったから。悩み事とは縁がなさそうに見える。この人は。


人は見かけによらないのか。本当だな。




「数学が史上最悪に出来ない俺の目前にいる女子生徒がいることとか目茶苦茶悩む」

「すみませんでした」




即座に頭を下げた。


私か。私があんたの悩みの種か。

ツッコミたいのを抑えて謝る。確かに正論なのは理解出来てるから。




「…そんな手のかかる生徒に宿題を出してあげるとかさ。最近の高校の先生は本当に気が利いて優しいだろ?」






「え、はい?」

「宿題だよ、宿題。やべー、俺超優しい」

「…最近の高校の先生って極度な病気並みのナルシストでもなれるんですね」




びっくりですけど。こっちはびっくりなんですけどね。

今聞いた担任の"自分優しい"発言に引いたのは間違いない。ドン引き。




「これやってこい」

「やってこいってなにを…、え、プリント?」

「数学の今回のテスト範囲の問題だ。自力で解けるようにしてこい」

「……なんで」

「前にも言ったろ。お前は俺の中じゃ特別なんだよ。【悪い意味】でな」

「悪い意味ってなんですか」

「手のかかる生徒っていう意味だよ。今回は赤点取るなよ」




止まっていた足を再び動かして、教卓の目の前まで進む。

差し出されたプリントの束に、指先を伸ばして取った。




「…これ全部ですか?」

「一人でやれって言ってるわけじゃねえよ。お前には優秀な友達と頭脳明晰な彼氏がいるんだろ」

「…いますけども」

「そいつらに手助けしてもらえばいいだろ」




なんてことない様子で言ってのけるこの男。

そんな「交番行ってスーパーまでの道のり聞いてきなよ」的なノリで言わないで欲しい。




スーパーまでの道のりを交番に聞きに行くことなら簡単だけど。私でも出来るけど。

だけど怜香はともかく、郁也に教われと?郁也にですか?




「…郁也に教わって赤点取ったら後が怖い」

「じゃあ取らなきゃいいだろ」

「いや、そういうわけにもいかないじゃないですか!第一、私めっちゃ容量悪いんですよ…!だから郁也がどれだけ時間を費やしてくれても出来ないというか何と言うか、駄目なんですよ…!」




必死になって担任に言ってみる。

これは全部事実だった。私は頗る容量が悪いのは郁也も知ってるだろうけど、…だから頭脳明晰の郁也がいくら説明してくれても結果に繋がらないというわけで。

郁也に無駄な時間を費やさせてしまうのは、いけないと思う。この前も費やした時間返せって言われたし。




「…どうしよう」




教室の中で、不安の篭った溜息を漏らした私。

そんな私をさっきから黙って見ていた担任が、口を開いた。




「…まあ方法はあるけどな」

「え?」