「…だから、怜香は自分を責めてるんだよ」
「…」
「もう良いのに。ああやって私に言ったことをまだ後悔してる」
怜香は責任感が強い。だから少しのミスだったとしても、酷く自分を責める。
もういいよって、私はもういいからって思ってるのに。
怜香はまだ、自分自身を許せないでいる。
ずっと、自分自身に刃を向けて生きてる。
そんなの辛いのに決まってるのに。苦しいだけなのに。
「…電車、もう時間過ぎてるよね」
話してる内に、随分時間が経ってしまったようだった。
空に黒が混ざっていく。
郁也に視線を送った。
「…行こう、郁也」
言いながら、ベンチから腰を上げる。郁也も合わせて立ち上がった。
もう結構、時間が経ってる。次の電車、何時だったっけ。
ああ、そうだ。
「…もうすぐなんだ」
「なにが」
ふっと笑った。
今の自分の表情はきっと一言じゃ表せないと思った。
…何回目だろう、一年に一度の、【あの日】が来るのは。
三回目、かな。
もう慣れた気でいたけどそんなことなかったな。
こうやって日が近付くにつれて、やっぱり思い出しては悲しくなってしまうのだから。
「…お母さんの、命日」
思っていた以上にか細い声だった。
命日はお母さんの骨が仕舞われた墓に花を供えに行く。
それで毎年同じように、
『ごめんね』と『ありがとう』を伝える。
今年はなんの花にしようか。色はどうしよう?ピンク?白?黄色?
もう会うことは出来なくなってしまったお母さんの顔。今は曖昧にしか思い浮かばない。
彼女がいないことへの実感は、もう十分に湧いてた。命日くらいは、お母さんと話したいのに。
そんなこと、無理なのはわかってるんだけど。
「…郁也、一緒に来てくれない?」
また、ぽつりと言った。
郁也に視線を向けたままそう言った。…私一人じゃなくて、二人が良かった。
お父さんは仕事が終わってから、きっと一人でお母さんに話しかけに行く筈だから。
私は一人であの静かな墓に行くことになる。
「…お母さんの墓、郁也行ったことないよね」
「…いつ?」
「え?」
次は郁也からの問い掛けだった。
思わず声を漏らす。
…郁也に聞かれると思わなかった。なんとなく、断られるかと思ってた。
「…明後日」
「わかった」
「…行ってくれるんだ」
頭上を烏が追い抜いて行った。
ざわざわと風が吹く。浚っていかれる髪を片手で押さえながら口を開く。
郁也はちらりと空を見上げると「…別に」小さく返事してから、また口をついた。
「…気まぐれ」
***
「…郁也に話したよ」
ぽつりと呟いた。
「は?」隣にいた怜香が私の方へ視線を向ける。
その顔に一滴こぼれ落ちた疑問の色。意味がわからないと言っているようだった。
「昨日、全部話した」
「…全部って、…親のこと、話したの?」
「うん」
昼休みはいつもは使わない中庭に二人で足を運んだ。
中庭はいつにも増して静かだった。話をするのには丁度いい。
ぶわっと風が吹いた。突然の強い風だったけど涼しくはない。どちらかと言うと生温い風だった。
それに合わせるように、ざわざわと草木が揺れ動き騒ぎ出した。この音は嫌いじゃない。
怜香は驚いたように目を見開いていた。
「…藤崎に、全部話したの」
「…話したよ」
「特になにも言われなかったけど」
昨日、郁也は私になにも言ってこようとはしなかった。
変に触れないでいてくれた方が有り難いけど。郁也らしいと言えば郁也らしいけど。
…だけど、彼はなにも気にならなかったのだろうか。そんな欲張った疑問が露になる。
それを隠すように口から言葉を零した。
「…まあ、郁也らしいよね」
「…佳奈」
怜香の声が耳に届く。
郁也とは違って、怜香は私に感情を投げかけてくる。それを受け取るには私には重過ぎた。
怜香はまだ【後悔】してる。今の表情はまだ、後悔の色で塗りたくられている。
「あのさ、怜香」
「…なに」
「…もういいよ、私、最初から恨んだりしてないんだから」
ざわざわざわ、風が吹いて髪を浚う。
そっと口をついてから怜香に視線を滑らせる。
ほら、また苦しそうな顔をしてる。
「もういいよ」
ねえ怜香、もう自分自身を責めるの、やめなよ。
辛いよ。そんなの見てるだけで辛いんだってば。もう、終わりにしよう?
怜香が自分を責めたところで、それは怜香が苦しむだけなんだよ。
…そんなの、私は望んでない。
「…なんで」
「怜香、もうやめなよ。私そんなことしてほしいわけじゃない。…そんなことしたって、怜香が辛いだけだよ」
怜香が苦しんで、後悔したところで。私の亡くした人は帰ってくるの?
帰って来てくれるの?
そうじゃないでしょう?もう、会えないのはわかってるんだよ、私。
亡くなった人にはもう会えない。聞き分けの悪い私でも、そんなのとっくの昔に理解したこと。
ねえ怜香、もうわかってるんだよ、私。お母さんがいなくなったことは。
「…私言ったじゃん。怜香は悪くないって」
「だけど、」
「怜香、そんなの私だって私の母親だって、望んでない」
「、」
怜香が顔を歪める。
今にも泣きそうだった。
「ね、もう止めてよ」
終わりにしようよ。
また、怜香は普通に笑うべきだよ。
何にも縛られたらいけない。狭い枠は外して、自由の中で笑うべき。そうでしょ。
「怜香が後悔してるほうが、私は悲しい」
「…佳奈」
「悲しい思いはもうしたくない」
家族を一人亡くしたときに味わった寂しさと底知れない胸の痛み。
もう、そんなもの味わいたくない。
誰にも味わいさせたくない。…郁也にも、怜香にも、誰にも。
「怜香が苦しむのは間違ってる」
もう十分、怜香は自分自身を責めた。
もういいよ、償えなんて言わないから。だからもう、終わりにしよう。
「…あたし」
「ごめん、怜香。…今まで辛い思いさせて、ごめん」
痛かった。味わいたくなかった痛みが胸を襲う。
ずきりずきり、痛い。
こんなの味わって欲しくない。怜香には。
私の、大切な人には。
「佳奈、…ごめん」
怜香が私に言った。
その瞳から、一筋涙が流れた。悲しみを描くそれを見たくはなかったけれど。…怜香、ごめんね。
「私は大丈夫だよ。それにほら、もう随分前の話でしょ」
「何年前でも変わらないでしょ」
「そんなことないよ。…それに私、家事とかは少しずつだけど出来るようになったし、…お父さんだって笑ってくれるし、…大丈夫だよ」