どうしよう。どうすればいいの。

涙が止まらない。



お母さんが、いなくなってしまった。目を、開いてくれなくなってしまった。

「――――佳奈」その名前を呼んでくれた声が、聞こえなくなってしまった。




死んで、しまった。
私が、殺してしまった。

込み上げてくるものが全て、嗚咽と涙と後悔に変わる。吐き出しても吐き出しても、終わりがなくて、辛い。




「っ、ごめんなさい、お父、さん…!ごめんなさい…!ごめんなさい!」

「佳奈、やめろよ」

「ごめんなさい…!」




泣き叫ぶ私は、気が狂ってしまったんだろう。






ごめんなさい。ごめんなさい。謝り続けた。許してなんて言わないから。だけど、ゴメンナサイ。




「…由奈だって、悲しむだろ」

「っ、」

「もう、良い」




お父さんの腕が背中に回った。泣いてるのかどうかなんてわからない。

自分が泣くことだけで、いっぱいいっぱいだったんだ。




「…ごめんなさい、…お父、さん」

「謝らなくて良い。良かった、本当に良かった。佳奈だけでも助かったなら、俺は、…本当に良かったよ」

「っ、」

「…由奈がいてくれたから、佳奈が助かった。…良かったよ。だから謝らなくて良い。佳奈は悪くない」

「っ、」




ぼろぼろとこぼれ落ちる涙が、お父さんのワイシャツを濡らしていく。






お父さんだって泣きたいに決まってる。声を枯らしてでも、きっとお母さんの名前を呼び続けるに決まってる。

愛人を、亡くしてしまったのに、私から見たお父さんは酷く落ち着いていた気がした。




「、」




でも、そんなことなかったのかもしれない。

自分の背中に回された指先が、かたかたと微かに震えていることに、気が付く。



ごめんね、お父さん。
私はなにも、出来なかった。守れなかった。

瞼を下ろせば、鮮明に浮かび上がる【赤色】。

ぞくり、背筋が寒気に襲われる。…思い出すだけで吐き気がした。




「…佳奈は助かったんだから、自分を責めたりしないでくれ」




お父さん、本当にごめんなさい。







***


葬儀を行ってから、どれくらい経ったかは、とても曖昧にしか覚えていない。

日数を数えるのが怖くてカレンダーをびりびりと破いてしまったから、生憎日付はわからない。




「…」




義務教育である中学生の私は、病気でもない限り学校に行かなくちゃいけない。

友達だって心配してる。現に、自分の携帯にメールが沢山届いている。




【大丈夫?】

【怖かったよね】

【学校来れそう?】

【佳奈は悪くないよ】

【あんまり気にしない方がいいよ】

【お大事に】




同じような文章。
ちかちかと携帯が光る。

未読のメールはあと5件あったけど、目を通す気になれない。また、同じ文なんでしょ。






三日ほど前から、お父さんの弁当は私が作るようになった。

今日からは自分の弁当も作ることになったけど。


散々、周りから不器用だと言われてきただけあって料理なんて手慣れてるはずもなく。

弁当だって、毎朝悪戦苦闘してる。それでもお父さんは文句ひとつ言ってこない。



今日の出来栄えも酷い。ぱたんと蓋を閉じて、仕舞う。

今日からは学校に行かなくちゃいけない。ちゃんと心配してくれた周りの皆に、お礼を言わなくちゃいけない。




「…お母さん、…行ってくるね」




ふいにリビングに飾ってあった写真に視線を向ければ、写真の中で微笑む家族三人。

その中の端にいたお母さんに、小さく呟いた。






悲しくないはずがなかった。自分はまだ中学生、所詮、子供。

親が一人いなくなってしまった穴。そう簡単には埋めることなんて出来ない。泣かないはずがなかった。




「…、」




その写真を見てるだけでも、辛いと思う。

静かに込み上げて来る罪悪感を隠すように、写真に背中を向けた。




***


「……」




外に出たのは、いつぶりだろう。

通学路を歩きながら、ふと思ったのはそんなことだった。


何一つ変わらない景色だったけど、どこか寂しげに見えた。

なんでかな。…悲しんでるように見えるのは、私だけなんだろうか。



そこで、自分の足元へと視線を落としていった。


込み上げてくる不安があった。






…学校に行かなくちゃいけないのはわかってる。

だけど教室の扉を開けたとき、なんて言われるかなんてわかったもんじゃない。


「人殺し」なんて言われたらどうしよう。

どんな言葉を吐き出される?…怖い。

もしも「死んでくれ」と言われたら、選択する権利なんて私にある?どうしよう。


…自分に殺意が向けられたら、どうすれば良い?




…ああ、そうだ。それより、…それよりも。




「……」




こつん、

足元に転がっていた小石を、つま先で蹴った。




――――ずっと連絡を取っていなかった親友は、私にどんな顔をするんだろう。






そんなことを考えて、また込み上げる不安に、表情を歪めた。

誰も見ていないのをいいことに、小石をこつん、こつんと蹴りながら進んでみる。



でも、すぐにつま先から反れて、逃げるように道路へと転がっていってしまった。

視線を足元から上げる。とくに気にすることなくまた歩き出した。




「……」




逃げる場所が欲しい。…そんなこと願ったところで、そんなものは手に入らないけれど。

さっきの小石のように、忌ま忌ましい記憶を蘇らせる道路でも良いから、安心して呼吸の出来る逃げ場が、欲しい。



…ああ、もう。
視線をゆるゆる上げて、校舎を見上げた。


…あーあ。学校に、着いちゃった。






担任には昨晩の内に連絡を入れておいた。葬式のときにも会ったし声も聞いた。

葬儀のときと同じように対応してくれた声は、とても悲しそうだった。…私のことを心配してくれたんだと思う。


明日からは行きます。そう言った私に、担任はまだ休んでいても良いんだぞ、などと言っていた。

軽く首を横に降りながら否定したけど、きっとまた合ったら心配そうな顔をするんだろうな。


そんなことを思いながら教室へ続く廊下を歩く。

普段と変わりなく賑やかな廊下。



時折声をかけられる。「あ、佳奈ちゃん!…もう大丈夫なの?」心配そうな表情と一緒に。




「…大丈夫だよ。ありがとう」




へらりと笑う。

きっと反応に困ってるんだ。なんて言ったら良いのかわからないんだ。…私が笑ってるからだろうな。




「心配してくれてありがとう」




軽く手を振れば、力無く笑ってくれた。

…今日一日は、きっと皆あんな表情をしながら私に挨拶するに違いない。