怜香は私を拒絶しなかった。それはどうしてかと聞くと、怜香は、
「佳奈は自分を責め過ぎてる」
必ずそう言う。
私が、自分自身を追い込んでいると、いつも言っていた。
どうして、かな。そんなつもり微塵もない。そんなことはしていない、つもり。
「…郁也」
どうしよう。
どうしようか。
逃げ道を選ぶ?
――――それとも。
「…郁也」
「…なに?」
郁也が私を見遣る。
その瞳に、私は映っている、よね?
でも私が【過去】と【自分の姿】を話したら、映してはくれなくなるのかな?
拒絶するかな?されても仕方ないけど。
突き進んで来た逃げ道を折り返してもいいかな。
ねえ、郁也。
「…あのさ、…話しておきたいことがあるんだけど、さ」
瞳を、ゆるゆると郁也に合わせる。
視界に郁也が入って、…落ち着かない。でももう隠すのは嫌だな。嫌だ。
「…座るか」
「…。…うん」
今なら言える気がして。
このまま逃げ道を進むのは、嫌だったから。
郁也は足を進めて、道端に設けられた二人座れるくらいのベンチに腰を下ろした。
ゆっくりと足を踏み出して、郁也の隣に出来たスペースに、座った。
「…ごめん、いきなり。…電車、間に合うかな」
「まだ時間あるから」
「…そうだね」
軽く、笑う。
嫌だなあ。いまの笑顔は乾ききってた。
緊張して、喉がカラカラに渇く。…どうしよう、落ち着かないし、緊張する。
ぶるぶると、緊張と不安から震える指先を隠す。
「…話して」
私の緊張と不安に気付いてるのか否か。妙に優しげに促す郁也。
―――――ごくり、生唾を飲み込んでから、口を開いた。
「…話すよ、言わなかったこと全部、話すから。だからもし郁也が私を嫌いになったら、拒絶して良いから。…郁也が私のことを嫌いになっても、良い」
「…佳奈」
「――――だから、」
「…、」
「最後まで、聞いてくれる?」
大切な人だった。
なくなったと気付いたときにはもう遅くて。
泣き叫んだときにはもう手遅れで。
『 会 い た い で す 』
『 ご め ん な さ い 』
『 ご め ん な さ い 』
会えるなら、いますぐ会って泣き叫びたいです。
狂ってでも叫んで、あなたに言いたいです。
『 ご め ん な さ い 』
あなたに近付きたいと思いました。
だからあなたと同じ夢を描きたいのです。
ただそれを、果してあなたは望むのだろうか。
――――――…
「あれ、佳奈?もう帰って来てたの?今日は早かったね」
「お母さん」
真っ赤なランドセルを背負ったまま、玄関で靴を脱いでいた私。
がちゃりと扉が開いたかと思ったら、お母さんだった。
ぎっしりといろんなものを詰め込んだ近所のスーパーの袋を二つ、両手からぶら下げている。
「ごめんね、買い物してたの」
「いっぱいあるね。お母さん、重くなかった?」
「大丈夫。お母さん、力持ちだから」
どさ、お母さんが家の中に荷物を置いた。
その手で私の頭を撫でながら、
「おかえり。今日は楽しかった?」
お母さんはそう聞いた。一度頷いて、口を開く。
「うん、楽しかったよ。今日も怜香と遊んだんだー。怜香、すごく足が速いんだよ」
「そう。怜香ちゃん、足が速いんだ」
優しく微笑んで、お母さんは私の頭から撫でていた手の平を離した。
お母さんはいつも優しく笑う。だから私も、お母さんと話すときは笑顔になれる。
「じゃあ佳奈、手洗ってからランドセル、部屋に置いておいで」
「うん」
「そしたらお母さんのお手伝い、してくれる?」
「今日は何のお手伝い?洗濯物?」
「洗濯物は昨日やってもらったから、…じゃあ今日は夕飯の準備、手伝ってもらいたいな」
「わかった」
こくり、頷いた。
お母さんがまた、ふわりと笑った。
お母さん、笑うと笑窪が出来るんだ。
あ、そういえば。怜香がこの前、笑窪が出来る人って可愛いって言ってたなあ。
「お母さん、笑うとここに笑窪出来るんだね」
「笑窪?」
「うん」
私は自分の唇の左下を指差して言った。お母さんに頷く。
「笑窪かあ。よく気付いたね、佳奈」
「だってお母さん、近くで笑うから」
「そっか」
くすくす。
お母さんに合わせて私も笑った。
今日の夕ごはん、なにかな?スーパーの袋からは人参と玉ねぎとジャガ芋が見えた。
――――あ、わかった。
「お母さん」
「なに?」
「今日、カレー作るでしょ」
「え?」
ふふっと笑った。
お母さんは驚いたような顔をしてから、スーパーの袋に目を向けた。
「だって人参と玉ねぎとジャガ芋があるもん」
「カレー粉は見えてないのに、よくわかったね」
「なんとなくだよ」
すごいね、そう言ってお母さんは笑窪をつくりながら私に笑いかけた。
私も笑う。すごいかな。すごいのかな?
「まだ小学三年生なのにね。佳奈は探偵みたい」
「探偵?」
「そう。…大きくなったら、人の心までわかっちゃうかもしれないね」
人の心?
首をこてんと傾げた。
ええ、無理だよ。私、探偵にはなれないや。
「私、探偵にはなれないよ。人の心はわかんないもん」
「わかんない?」
「わかっちゃ駄目だと思うなあ。なんとなく」
「そっか。佳奈は、優しいもんね」
「優しい?」
また首を傾げた。
ちらりと視線を遠くへずらせば、開いたままのリビングのドア。
リビングの中の窓、オレンジ色の空が見えた。
「…優しいよ。佳奈は」
お母さんの顔は、オレンジ色が邪魔して見えなかった。