どくり、駆け出す。心臓が、ざわめく。
無論、悪い意味、で。
どくりどくりと、気持ちが落ち着かなくなる。
「携帯、落とした?」
「え、…それ」
「廊下に落ちてた。友梨のだろ」
「……私、の」
ずきりと痛んだのは自分の心だった。
思ってた以上に、隼人は『普通』に接してきた。
あんなこと、最初から無かったかのように、私とは、付き合ってなんていなかったように。
彼は、『普通』過ぎた。
「やっぱり」
「…ありがとう」
「気をつけろよ」
受け取った携帯を片手に持ったまま、ふつふつとなにかを感じた。
どうして、こんなにも、普通なの。
怒りを感じる。でもそれよりも泣きたくなった。
彼が、私を視界に入れていないようで。
ずきん、切なさが胸を噛む。痛い。彼が私を見ていることが、痛い。
「……、…なんで」
「え?」
気持ちを、今この場で吐き出さないことは出来なかった。
泣きそうだった。
俯いたまま、そう、静かに口をつく。
「…っ、なんで、そんな風に、普通に話しかけられるの」
胸が痛む。
『あの日』の情景が、生温い風と共に脳裏を過ぎった。
こんなにも、泣きそうになったのは、
全部、全部全部全部、
――――君の所為だよ。
「…なんで?」
足元に向けた視線を、ゆっくりと上げていく。
小さく、そう呟けば。視界に入ったのは、すこし驚いているような表情の彼。
「……」
「…、私が、どれだけ辛かったかなんて、知らないから、」
そこまで言って、はっと口を閉ざす。
流石に今のは、言っちゃいけなかったかもしれない。
…私への関心なんて端から持っていなかったのだろう彼は、どうしてか、…切なさを滲ませたような目をしていた。
「…っ、…私、マネージャーなんてやらなければ良かった」
「…」
「、隼人は、なんとも思ってないんでしょ。私のこと。…だから、こんなに、普通に話しかけられるんでしょ?」
「…友梨」
「、」
涙が、視界に膜をつくった。ぼんやりと滲む世界に、余計に悲しくなる。
どうしたら、今、泣かずにいられるだろう。
「っ私ばっかり」
限界だった。涙が、静かに頬を滑って伝う。
ぽたりと落ちたそれに、果して彼は気付くだろうか。
「…友梨」
「私は、――――っ…、もう嫌いだよ。隼人なんて、もう嫌い」
「…」
「…好きじゃないよ、最初から」
それから口を固く閉じれば、嫌いだと言い放ったのは自分なのに、また涙が零れた。
もう、なにか言われても言い返す気力はない。ゆるゆると、握っていた拳を崩した。
「…もう、良いよ。最初から好きなんて感情、無かったんでしょ」
吐き捨てるように言ってから、荷物だけ持って、振り返らずに彼の横を通り過ぎた。
そのときに見えた筈の表情が見えなかったのは、
きっと彼が私をどう思っているのかを教えようとしてくれたのだと、そう思った。
―――――――…
「……、なんで」
握り締めた指先は、軽く痙攣を起こしていた。
痺れを指先に感じながら小さく吐き出した、自分の声。
「……、」
何一つ伝わっていなかった。その現実が、自分の理想論を馬鹿にしたように煽った。
わかってはいた。…彼女の表情を見たときから、こうなるのではないかということは。
きっと、避けられるか、非難されるか、…わかっていた。
だけど、それでも言い返せずにいたのは、彼女が涙を見せたからなんだと理解する。
『、私ばっかり』
違う。そうじゃない。
…闇の中で藻掻く自分に彼女は刃のような言葉をかけた。
『…もう、良いよ。最初から好きなんて感情、無かったんでしょ』
じゃあ自分は、どう答えれば良かった?
嘘偽りない現実を話しても、彼女が笑ってくれる可能性は、無いに等しかった。
それが、嫌だった。
どうしていれば、良かった?