「…つーかさ」
「なんだよ」
「…なんか隼人、今日暗くね?」
「…気のせいだろ」
大地が俺に視線を寄越した。それを遮るように、視線を大きく反らした。
平然を装う自分に、追い撃ちをかけるように、目前の大地は口をついた。
「…あのさ、お前、まだ引きずってる?」
「…」
会話が、一旦そこで止まる。終止符はまだ打たれていない。
大地は「まあ良いや」諦めたように、俺から視線を外した。
「お前に関係ない」
静寂に包まれた室内で、自分の声は恐ろしいくらいに静かに響いた。
「…まあ関係ねえけど」
大地が言う。
「…お前って結構な無神経だよな」
そう本音を零したとき、「つか雨降ってきたんじゃね?」大地が言う。
その言葉に窓の外へ視線を向ければ、――――確かに。ぱらぱらと小雨が降っていた。
「これくらいなら部活出来るだろ」
「なら早く行こうぜ。久々だよな」
「…ああ」
がたんと席を立つ。
そこで、窓の外を一瞥した大地が、俺を振り返った。
「なあ」
「…なんだよ」
「睨むなよ」苦笑混じりにそう言った大地は、息を漏らした。
「なんつーか、上手く言えねえけどさ」
自分の耳に、声が届く。紛れも無く、それは大地の声だった。
「…あんま、考え事ばっかしてると疲れんぞ」
「…有難迷惑」
ぱらぱらと、雨粒は静かに降下した。
――――…
「ちょ、友梨?なに、どうしたの」
私が教室に駆け込んだすぐ後、後ろからパタパタと音をたてて、結菜が私に駆け寄った。
「…ごめん」
「なに?誰かいたの?」
結菜が軽く私に問い掛ける。気にはかけているようだけど、そこまで深追いする気は無いらしい。
一方、普通に話しかける結菜とは裏腹に、私は顔を上げられないでいた。
―――――見なきゃ、良かった。
「…最悪」
「え?」
ぽつりと小さく呟けば。結菜が「なに?」聞き返す。
「…気分悪い」
「ええ、ちょ、なにがあったの?なんか重症だよ友梨」
言いながら、結菜が私の背中を摩った。
俯きがちになっていたからなのか、それとも結菜の目を見ていなかったからなのか、
結菜は私の背中を静かに摩っていた。
「…黒い髪が、見えた」
「え」
ぴたりと、私の背中をさすっていた指先が止まった。
結菜が、その手を動かすことを止めたからだ。
「…黒い、髪って」
静かに一度、頷いた。
「………。ごめん、誰のこと?」
「おい」
流石に声が漏れる。おいおいおいおい。摩ってた手が止まったのは誰だかわからなかったからか。
溜息を吐き出すことも出来ない。呆れるのを通り越した。
「結菜空気読もうよ」
「え、ちょ、誰だっけ?つか黒い髪とか一杯いすぎて―――、黒い―――、…あ」
「すぐわかるでしょ」
思い出したようだった。その表情に、「…、」苦々しさが滲んだ。
上げた視線の中で、結菜は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「鈴村君か」
結菜が呟く。
その名前は、私にとってはタブーだ。
鈴村、隼人。
思い出すのも億劫だ。そんな名前、あんな顔。
思い出すだけで、傷口をえぐられる気分だった。
「…ていうか沙羅さ、なんで別れたの?」
「はい?」
「敢えて聞かないでいたけどさ」
「……それ、結菜の別れ話の時より今更過ぎるよね。もうどんだけ時間が経過してるかわからないんだけど」
「今気になった。たった今」
「じゃあなに。今までは気にならなかったと」
「気にならなかったわけでもないんだけども。まあ、気にならなかったけど」
「結局は気になってないじゃんよ」
溜息を吐き出した。
誰かが言ってたけど、幸せが逃げるだとか、正直そんなのどうでも良い。
「あ、ていうか結菜」
「なに?」
「さっき優子が教科書返しに来てたよ。数学の教科書」
「え、借りてきちゃったんだけど。隣の隣の隣まで走ったんだけど、あたし」
「…どんまい」
とりあえずは、過去の時間を失うのも、そうでないのも、
私からすれば、どちらも簡単でしかないんだ。
なら呼吸を辞めるのも、愛を砕くのも、きっと、なによりも簡単なのだろう。