「えっ……?」


そこには桐原がいた。

人間恐怖症のはずのその男は、土砂降りになってきた冷たい雨に打たれながらじっと夜魅だけを見つめていた。

「なぜ……そら……?」


「夜ぉ魅いいぃぃ!!」


「!!」

ビクリと夜魅の肩が跳ね上がる。あまりの怒声に、その場の他の全ての人間が固まった。

桐原は尚も声を張り上げると、親指で自らの胸を指差し、全力で夜魅を呼ぶ。

「お前の居場所はここだ!ここが……俺がお前の居場所になる!だから……」


「『居場所がない』なんて、もう言わないでくれ……」


「そう言うあなたの居場所こそ、ここではないと思いますが?」

真っ先に我に返った石川の秘書のような男が、傘を投げ出し、どこから取り出したのか折り畳みナイフを桐原の喉元に突きつける。

いや、正確には突きつけ“ようとした”。


桐原は日頃の挙動不審さ、脆弱さが嘘のように、相手の手首を捻ってナイフを落とし、一蹴りで膝を折らせると、襟をつかんで水たまりの地面に叩きつけた。

秘書は一言「ふぐぅっ!」とだけ吐き出すと、そのままのびてしまった。


「お、おい!何だ貴様は!?」

「あんたら、うさぎの狩りを知ってるか?」


呆然としている厳十郎左右衛門之助を無視して横を通り過ぎ、桐原は夜魅を押さえつけている男二人に語りかけながら詰め寄る。

それだけでも日頃の桐原からは考えられない事なのに、今日の桐原は(熱のせいか)恐ろしく暗い、深い目をしている。


夜魅は初めて、桐原が怖いと思った。

目が、ではない。

その目の奥、先ほどあれほど露わにした感情が今は嘘のようにスッポリ抜け落ち、まるで人形のように生気が感じられないのが怖かった。


男達は素手では分が悪いと判断したらしい。夜魅には自分を掴んでいる男が、後ろ手に刃物を取り出すのが見えた。

「その娘、放せよ」

「くそがぁぁあ!!」

冷たく言い放つ語気に気押され、男はたまらず桐原の頭上にナイフを振り上げた。