ガサッ!

思わず風邪薬の入ったビニール袋を取り落としてしまった。

ちょっと行ったところで主婦らしきおばさん二人が、買い物用だろうネギのはみ出したエコバックを片手に、ぺちゃくちゃ井戸端会議をしているのが見える。


(今、なん……て……?!)


「ええと……誰でしたっけ?」

「あれよぉ、汚職やら脱税やらの黒い噂が絶えない……」

「ああ!あの有名な政治家さんでしょ?」

「そうそう、その厳十郎左右衛門?之助が今この街に来てるらしいのよ。何でも、何かを探しに来たってもっぱらの噂なんだけど」


「!!」

その名前を聞いたとたん、背筋にぞわっと悪寒が走った。

反射のように体が硬直し、思わず両腕を抱えるようにして歩道にしゃがみ込む。

通行人が訝しがる視線も気にならず、体がガタガタ震えるのが止められない。


(あ奴が……この街に……!)


あの悪夢の日々がフラッシュバックする。

足元に落とした視点が定まらない。

額に冷や汗が滲む。


(逃げなければ……遠く、ずっと遠くに……)


ふと桐原の顔が浮かんできたが、夜魅は首を横に振りそれを払拭した。


―――絶対に空を巻き込む訳にはいかない。


意を決すると、次の瞬間には、風邪薬を投げ出して駆け出していた。


もう、あそこには戻れない。

幸せはやはり私には重すぎたようだ。


思わず泣けてきたが、溢れる涙をぐっとこらえ、夜魅は行き先の見えない逃避行へと足を踏み出した。



さよなら、束の間の幸福。



さよなら……空―――。