「本当はな」

長い沈黙の後、出し抜けに夜魅は言った。


「お前が会社を出た辺りから心は読めていたのだ」

「え?」

ドア越し、そして土砂降りの雨なので、小さな声になれば聞き取りにくい。



息を切らして帰って来た桐原は、アパートの門の所に佇む夜魅を見た。

雨で霞み、顔はよく見えなかったが、近づくと踵を返して玄関に飛び込み―――ガチャリ!錠の落ちる音を響かせて桐原を拒んだ。



「なぜかは知らんが……空、お前の心だけ、ある程度離れても手に取るように分かるようになってしまった」

「じゃあ最初から知って!?なら、なんで家の中にいなかったんだ……そんなずぶ濡れになりながら、なんで―――」


罪人は立ち上がると、玄関のドアにそっと凍える手を置いた。

まるで冷たいドアに温もりを求めるかのように。


「“約束”したから」


唐突に放たれた鋭い一言は、桐原の心の奥深くを突き刺し、えぐり出した。

昔、『親愛な人との約束は絶対に破ってはいけないわよ』と母親は桐原に、何度も何度も言い聞かせていたのだから。


「しかし」

ポツリと夜魅は言った。

「もう二度と私と交わした約束を破らないなら……」


ガチャッ

ドアが開き、雨で濡れたままの夜魅の青白い笑顔が覗いた。


「お帰り。空」


桐原は濡れた両手で、夜魅の華奢な冷えきった体を抱き締めた。

それでも―――


「ごめん。ただいま」


人肌は、温かい。