「怪我はないよ、橘さんに助けられたの」
「そうだ!アタシが城から救出したの!まさに城に閉じ込められたお姫様の華麗な救出劇!」
ここぞと秤に橘さんが力説するが少し話が違う。私は城になんて居ないし。第一、ここはドーナツのお店だよ?橘さんの頭の中を覗いてみたくなった、切実に。
「てかアンタだれ?桃子ちゃんの何!?」
「は?桃子?」
呆れたような表情。
千秋は視線だけで私に解説を求めてきたけど私にもよくわからない。けど〈桃子〉は私の事みたいだよ。
「駄目だ!止めろ!イケてるメンズだからって生意気!桃子ちゃんはアタシのエンジェルなんだからああああ!マイエンジェルなんだよ!」
「君さ、頭大丈夫?」
「絶対渡すもんかあああ!」
「………ほんと何こいつ。頭大丈?」
千秋はボソッと疲れたような表情で呟く。橘さんは相変わらずぎゃあぎゃあと騒いでいる。
「―――て言うかさ、」
千秋は橘さんを無視する事に決めたのか相手にしない。そして何かをいいかけるが、峰までは言わない。
千秋はうっすらと笑った。それに悪寒がしたのは私の気のせいなのかは判らない。千秋の瞳にひんやりと背筋が凍った。
「……千秋?」
「いつまで睨んでるわけ?大人気ないよね」
私の呼び掛けには応じず、笑った―――――――彼等を見て。千秋が誰かに突っかかるなんて珍しいかもしれない。面倒事とか嫌いなのに。それに肝心な事はハッキリ言わない。いつも曖昧だ。
だから、珍しかった。
ここまでハッキリ告げたのが、それも彼等に。
“私を”睨む彼らを笑いながら見る千秋。私は千秋の考えている事がさっぱり分からなかった。
「馬鹿ばっかだね」
嘲笑う千秋は私の手を―――――グイッと引っ張る。
しかしその行動は先ほどの男達とは違い、優しい手付だった。拒否反応もない当たり私は千秋に心底心を許しているんだろう。
「帰りましょう」
「え?か、帰るの?」
「此処にはもう用はないですし」
腕を掴んでいた手を放し、手を繋ぐ形に変え私に言う。確かにお持ち帰りにして購入した私達には、店にいる理由はもうない。しかし突然の事で驚いてしまった。
「えええ!?帰るの!?一緒にガールズトークしようよ桃子ちゃーん!」
「お前にガールズトークなんて一生無理だから」
「なっ何だとー!?」
ムキィーと歯を食い縛り怒る橘さんに飄々とした千秋。そして不意に思い出したように千秋は何かを橘さんに差し出した。
「ああ、そうそう。これ」
「……?何だこれ」
「イチゴミルクのお返し。駅前の和菓子らしい。アイツから」
「アイツ?」
「それでチャラ。そっちの菓子は交渉代。もう二度と響子に関わるな、だって」
「はあああああいいいいい?意味分かんない!これ要らない!桃子ちゃんと関われないならお菓子なんて要らないよバーカ!帰れ!」
アイツと言うのはきっと里桜。私が奢って貰ったイチゴミルクのお礼らしいけど――――――交渉代って何。授業サボってコソコソと何かを買いに行ってるかと思えば。何やってんの里桜。
「俺に言うなよ。アイツがお前に会いたくないらしいし頼まれただけ」
て言うか、毛嫌いし過ぎでしょ。自分で渡せば良いのに。きっと里桜なりに考えたんだろうな。明日有り難うって言わなきゃ、
千秋は火の粉を被らないようにさっさとこの店から出ようと私に視線で託す――――って自分から火の粉を撒いたのに。
「た、橘さん今日は有り難うね!」
千秋に手を引っ張られ歩きながら再度去り際にお礼を告げる。千秋の手には返品されたお菓子。橘さんは受け取らなかった。お菓子で交渉って言うのも可笑しいけど、交渉は不成立らしい。
「桃子ちゃーん!またね!」
一瞬どう返事をしようか迷った。しかし考える間に口は開いていた。
「"また"ねっ」
理由なんてわからない。
でも、気がつけば“また”と次の約束をしてしまっている私が居た―――――――…
――――ドーナツ店から響子達が去ってから小一時間。彼等はまだ店内に居た。
馴染みのある店だからか客は減っては増えての繰り返し。女子高生特有のきゃあきゃあとした甲高い話声が耳を掠める。
小学生はピコピコと通信ゲームをしているのか時折、うおー!!と言う歓喜の雄叫びや、くそー!!など悔しそうな声が響く。
『いらっしゃいませー!』店員さんの元気な挨拶が店に響く。また新しい客が入ってきたらしい。本当に客層は幅広い。だけどドーナツだから店内には女性が目立つ。
増える客足に比例し賑わう店内。店員さんも忙しそうにバタバタと動き回る。客も自分たちの世界に入っているから、気がつかないんだろう。
"彼ら"のことに――…
全員無言。いや、一人例外でドーナツを食べているが。各々何かを想っているのか心ここにあらず。気が付いている人もちらほらいるが彼等の雰囲気に騒げない。
あきらかに"負"のオーラ
見かけた人は必ず思うだろう。
【牙龍の人に何かあったのかしら?】
モシャモシャ
…………シーン
モシャモシャもぐもぐ
…………シーン
モシャモ―――――――――――バシンッ!!!!!
「いって!」
「んのブスが!鬱陶しい!さっきから『モシャモシャモシャモシャ』うっせえーんだよ!テメエは“シシャモ”か!」
「“モシャモシャ”だからって何でシシャモ!?アホか!」
「テメエは食い過ぎなんだよデブ!ちったあ静かにしろや!黙ってくえ!ああ゙!?」
「し、静かにしようとしてるから食べてるんじゃん!それに黙って食べてるし!無言じゃん!アタシ無言で食べてるよ!?」
モシャモシャとドーナツばかり食べる寿々。右手にはリングドーナツ、左手には林檎ジュースが握られている。
静かにしようと心掛けているのか俯いて食べるその姿はホラー宛ら。長い髪が顔を隠し、眼鏡が逆光で光る。そして、モシャモシャ、モシャモシャ。
なぜ遼は効果音に突っ込んだのか。僕ならそのホラーな所に突っ込むよ?
「だ、だってさ〜皆変だし。」
寿々も一応は気を使っているみたいだった。だから食べることに集中してたんだ。ごめんね、寿々?僕はただ食い意地が張ってるだけかと思ったよ。
寿々に少し感謝した瞬間、寿々を恨む羽目になった。素直な事は悪い事じゃない。でもそれは時として仇となる。
「皆さ、桃子ちゃんと知り合いなんだ?」
アタシも知り合いなんだ!と誇らしげに言う。完璧いまこの話はタブーだよね?お願いだから空気読んで。
「お前は騙されてんだよ!」
テーブルをバンッと叩き立ち上がるのは、空。怒り・不安・焦り・それらの気持ちを抑える術もどうしたらいいのかも解らないのだろう。
椅子から立ち上がり抗議する空に寿々は如何程『なにこいつ』みたいな顔をしている。
「は?なに?空たん?」
「大体"桃子"なんて偽名名乗られて仲良くしてんじゃねえよ!お前バカだろ!」
先ほどより強めに言い放った。いつからか空と寿々に皆の視線が集まっている。それは誰もが気になっていたことだった。
「桃子ちゃんは桃子ちゃんなんだってば!」
「―――っだから!」
噛み合わない話に、空はまた何か言おうとする。
すれ違う会話を続ける空と寿々に拉致があかないと思い俺は割って入った。
「あの子は桃子じゃないよ」
「いーくん?」
割って入った俺に『いーくん』と疑問符をつける。
『いーくん』"彼女"にもそう呼ばれた事はなかった。華が飛び散るような笑顔と透き通るような綺麗な美声で『庵』と読んでいた。
「なんで桃子?」
俺は不思議に思っていたことを尋ねる。きっと『騙された』と空は思っているだろうけど、俺は思わない。
彼女がそんな嘘をつくの?いや、それはない。ならどうして…?
「むふふ。ギャルゲーの桃子ちゃんて可愛いよね」
…………は?
「まさかこんな近くに桃子ちゃんがいるなんてね!神楽坂に入ってヨカッタ!でももっと早く会えてたら毎日イケイケパラダイスだったのにぃ!」
………いま何て?
「おい今何て言った」
珍しく戒吏から尋ねた。
俺は確実に目に見えるほどに動揺しているだろう。その点、戒吏はそんな素振りみせないのは流石。
普段表情を表に出さない蒼でさえタバコを落として唖然。
遼は予想していたのか『アホかコイツ』と言う様。
空ただ口をあけ目を開けポカーンとアホ面。
「え?なにってギャルゲーの―――――」
「はあ!?ふざけてんのかよ!」
「断じてふざけてない!桃子ちゃんを馬鹿にすんな!」
いや。寧ろ馬鹿にされているのは"ギャルゲーの桃子ちゃん"ではなく"神楽坂の橘寿々"だ。
理解した空は寿々に怒鳴るが寿々は当たり前のように反論する。勢いの余り寿々も立ち上がり空と睨み合う。
「とりあえず二人とも座りなよ、落ち着いて」
二人を宥め、座るように託す。
渋々といった形だが、座る二人に僕はホッと一息。こんな所で暴れられちゃ洒落にならないよ。
座った寿々に聞きたい事を聞く。寿々は自棄になったのか、食べるのを再開している。寿々がここまで苛つくのは珍しい。普段がおチャラけているからね。
「"桃子"ちゃんの本名知ってる?」
「本名?」
食べながら聞き返してくる寿々。僕の質問にピクリと四人は反応を示す。本当に僅かながら。
「桃子ちゃんだよね!」
「いや、だから―――」
「テメエは脳ミソ入ってんのかよ!?桃子っつーのはギャルゲーの話だろうが!ああ゙!?いますぐ【本名】っつー単語を国語辞典で調べて来い!寧ろ辞典持ち歩け!」
麻痺を切らしたのか寿々に向かって遼が言う。空も短気だが遼も大概だよね。みんな寿々の惚けた返答にかなり苛ついている様子。素だから仕方ないよ。
クリームドーナツを食べていた寿々は『はっ!?』として恰かも今気がつきました!と言う顔をする。
その表情に全員が呆れ顔を見せた。僕はそんなことだろうと思ったけど。あくまで馴れだ。
「ほ、ほんみょう…」
「桃子ってアイツから聞いたんじゃないのかよ…」
呆然と生気が抜けたように天井をあおぐ寿々。そんな寿々に疑問を感じたのか空は言う。
"桃子"と言う名をを彼女から聞いて要れば寿々は確実に『桃子ちゃんはギャルゲーの桃子ちゃんと同じ名前なんだよ!』と答える。
でも寿々は本名を知らない――――――と言うことは彼女から名前を聞いていないと言うこと。
「違う。ギャルゲーの桃子ちゃんに似てたから。そういえば本名、聞いてないや………」
ほらね。
シュンッと落ち込み、項垂れる寿々は『なまえ、なまえ』と繰り返し呟く。……怖いから。
結局。彼女は偽名も何も使っていなかった。ただの寿々の勘違いと妄想。寿々は興奮すると周りが見えなくなるからね。
空は彼女が偽名を使っていなかったのが分かると、罰が悪そうな顔をする。彼女を偽名呼ばわりして騙してると言ったから。
「…なまえ」
未だに呟く寿々。
本名を知らなかったショックがあるんだろう。繰り返して名前を思い出そうとしているみたいだけど聞いてないなら意味ないよ。