「戒吏も遼も蒼も庵も、きっと助けに来てくれる」

「…」

「空?」

「…響子って期待させて落とすタイプだよな」

「?」





首を傾げると溜め息をつかれた。



呆れた空は立ち上がり、私の手を引っ張り立たせてくれる。



そして思い出したように言う。





「これから何か出んの?」

「…うん。イヤだけど」

「嫌なら出なくていいじゃん。響子が出るとか危険だし」

「駄目だよ。罰則くらっちゃう」





意外と厳しい罰則。決して出場は避けられない。
寧ろ高熱でも出して倒れたほうが楽だったりする。



何個も出る人だって居るんだからそれに比べれば私なんてマシだ。





「なに出んの?」

「えっとね…」





一番楽そうな選んだものを言おうとしたが、



口に出す事はなかった。
















――――――野々宮さ〜ん!






遠いところから私を呼ぶ声が聞こえたから。



声の先を辿ると黒渕眼鏡を掛けた女の子が私を呼んでいる。





「あ、委員長だ!委員長呼んでるから行くね?」

「おう。気をつけろよ?俺戒吏のとこ居るから」

「うん」





「―――――あ、」





背を向けて委員長の元へ行こうとしたけど、
ふと何かを思い出したように声を出した空が気になり振り返る。



躊躇いがちに空は尋ねてきた。





「蒼衣と庵、知らねえ?」

「蒼は遼と何処かに行ったよ?庵は知らないけど」

「遼太は一人で居るぜ?多分庵は蒼衣と居るし」

「―――あれ?なら三人は一緒に居たの?」





遼と蒼衣は庵のところへ行き、後にバラけたって事?



不自然な点が多いのが気にかかる。


態々三人だけ?戒吏と空は?





「何かあったの?」

「…いや、」





わざわざ蒼と庵を探すくらいだから少し心配になった。空は言葉を濁し曖昧に答える。





「遼が苛ついて一人離れて行ったみたいだから、」

「―――イラついてた?遼が?」

「あ〜大丈夫だって!どうせ小もねえ理由だから。響子が気にする迄もねえよ」





不思議がる私に言葉を濁しながらもいつもの笑顔で笑ってくれた。



私の頭を撫でてくれる空に気持ちが和らぐ。
そして不穏な様子が漂う三人に何もなければいいと思った。



いまだに手招きする委員長の方へ足を向けながら、
空に手を振ろうと宙に上げた手が止まる。



―――――思わず気になっていた事が口に出てしまう。





「ねえ空、」





けれどハッと我に返り直ぐさま空に言い掛けた言葉を呑み込む。



思いがけない失態から視線を下に向けた。




「……?何だよ?」





空が不思議がるのも無理はない。



でも、言うつもりは更々ない。





「ううん何でもない。また後でね」

「おう」





笑顔で返してくれた空から委員長のほうへと、小走りで駆け寄る。何かを振り切るように。



風を浴びながら堪らず言い掛けて呑み込んだ言葉を考える。










―――――空は他人事のように話していた。だけど空もきっとその三人と一緒に居たはず。



恰も第三者から見た感じで言っていたけど苛ついた遼が一人で居ることは確かなのに蒼と庵のことは“多分”と言った。それは空が遼と一緒だったから。



何も知らないように振る舞ってただけど空が私に話し掛けてきた時から既に“その状態”だった事が更に確信付けた。



何も、苛ついているのは遼だけじゃないと言う事。









どうして空もイライラしてたの?




(何だか、
聞いたら駄目なような気がした)

(踏み込むのを躊躇い、
脚を引いた。)












***



私はいま、猛烈に堪え忍んでいる。


かれこれ何分たったか分からないけど長い時間ガラス張りの水槽を見たまま固まっている。





「野々宮さん!頑張って!」





委員長の声が聞こえるが、そんなものすんなりと入ってくる筈もない。



私の目は、ボコボコとした身体に、にゅるにゅるした肌、ギョロギョロ出た目、全てを拒絶したくなる両生類に釘付け。



恐る恐る手をゆっくり伸ばしてみる。



息を止めてしまうのは不可抗力。致し方ないことだと思う。





「…っ…」





勇気を振り絞り、恐る恐る手を近づける行動をするのはコレで四回目。



現実逃避しながらも震える手を伸ばすが、
やはり直ぐに我に返る。





―――――ゲコッ





「い、いやあ!」





直ぐさま伸ばした手を引っ込め、顔を覆ってしゃがみこむ。



気持ち悪い…!



ゲコッって!ゲコッって言った!





「の、野々宮さん!大丈夫だから!頑張ろ!?」





叫ぶと委員長が慌てて寄ってきた。いまの癒しは委員長だけ。何て心強いんだろう。



でも私には出来ない。
―――蛙を素手で掴むなんて。



罰則を受けてもいい。だから棄権したい。今すぐにでも逃げだしたくなった。



ガラスの中に入った両生類をもう一つのガラスへ移すという何とも馬鹿げた競技。



ガラスからガラスへ移すタイムが早ければ早いほど点数が加算される。



教師が考えた、何とも下らない“お遊び”



なら自分達でやってみろと抗議したい。生徒を嘗めてるとしか考えられない。



だけど私は侮(あなど)っていた。



この競技、
神無際にしてはまだ極めて楽だと思ったから。



ナゼなら、
哺乳類だと思っていたから。



危険な物には出たくない。だけど哺乳類なら大丈夫だよね?という考えに至った。



きっとこれに出ている女の子も私と同じ考えの筈。
そして見事教師の術中に陥ってしまった。



可愛らしい哺乳類なんて、そんな生易しいわけがない。



何を触るかは籤(クジ)引きで決めたけど、私は不運すぎる蛙を引いてしまった。



昆虫類じゃないだけマシだけど蛙は酷すぎる。





「無理だよ…っ」





本能的に目に涙が溜まる。ガラス自体拒絶してしまう。周りの子もこんな感じ。蛇・蜥蜴(トカゲ)・イモリ等。蛙と同等並の嫌な爬虫類・両生類達が勢揃い。





「野々宮さん大丈夫!」





クラスから二人出場する決まり。パートナーの委員長は笑いながら親指をグッと立てた。



因みに委員長はミミズを5秒で移して暫定一位。
だけどパートナーの私も移さないと点数は加担されないと言う皮肉な現実。





「…無理だよ」

「ほら!風見さんも見守ってくれてるよ?」

「里桜?」





委員長の指を辿れば先程まで行方を眩ましていた里桜を見つけた。



腕を組みながら此方を眺めている。目が合えば里桜は手をヒラヒラ振ってくれた。
それに何処と無く安心した。





「ね?野々宮さんには風見さんが付いてるよ!」

「…うん」





委員長の説得力のある言葉に頷きガラスに目をやる。



透明のガラス越しには独特の疣(イボ)が気持ち悪い緑の蛙。



目を逸らしたい衝動に駈られながらもソッとガラスの中に手を伸ばす。





「…うっ」





しかし…
やはり今度も宙で手が止まってしまう。
止まった指先が微かに震えている。


耐えろ、耐えろ。



たった数秒…



ただ数秒掴むだけ。















そう葛藤している合間に事は起きた。





「え」





やっぱり無理だ。
そう引っ込めようとしたとき…



蛙が、飛んだ。





「…あ、ああ…」





言葉を途切れ途切れで発する。



唇が震え脚が震え瞼が震える。



目の前がチカチカと光りクラクラ目眩がする――――――蛙が私の胸元まで飛び、引っ付いたから。








ゲコッ





「……き、きゃあああ!」





気持ち悪い!



気持ち悪い蛙の鳴き声を皮切りに有りっ丈の声で叫んだ。
あまりに至近距離で見た蛙に昇天しそうだった。



委員長は直ぐさま私から蛙を引き離して声を掛けてくる。



あっ、と腰が砕ける。
恐怖のあまり足の力が緩みその場に崩れ落ちた。















「そ、総長ぉーっ!落ち着いて下さい!」
「き、響子さんなら大丈夫ですから!」
「相手はただの蛙っすよ!」






パイプ椅子や長椅子が並ぶテント辺りから叫び声が轟く。
端でパイプ椅子が吹き飛んだようにも見えた。



総長なんて一人しか居ない。戒吏が暴れているのが手に取るように分かる。



本当、意外と手の掛かる戒吏。



蛙に怯える私のため…?



なら一層このままこの設備を全て破壊してほしい、なんて、
蛙に触りたくないがために私らしくない事を頭の片隅で考えた。



地面に手をつき項垂れる私の耳に聞こえる足音。





「(……誰?)」





目を向けると中年の教師が顔面蒼白で、
ピストルを持った若い教師に何かを耳打ちしていた。



ピストルを持った教師は何かを聞くと、慌てて振り返った。



私もその教師と同じように視線の先を見れば、
鋭い目付きで教師を威嚇する戒吏がいた。



戒吏の右腕には平良君。



腰や左腕、脚には他の牙龍の人がへばりついていた。



ただ仁王立ちして遠くから睨まれているだけなのにピストルを持つ教師は震え上がる。





「ひっ!寿君有り得ないくらいにキレてる!」





委員長も威嚇する戒吏を見てしまい悲鳴を上げて私の後ろに隠れた。


委員長は虫より戒吏が怖いんだ…と場違いな事を思った。
絶対に蛙の方が百倍怖いと考える私はきっと少数派。



教師はぷるぷる震える指先でピストルの引き金を引いた。





「え?」





なに?何で銃声?だってまだ蛙を移していないのに…と不思議がる私の耳に届くアナウンス。



【エ、エー組1位抜ケデス。エー組ニ点ガ加点サレマシタ…】



突然のアナウンス。前の放送より幾分か短い言葉。それにどうして片言なんだろう?と小首を傾ける。


委員長も訳が分からないと言った様子で教師に聞く。



教師は冷や汗をダラダラと流しながら引き攣った笑みで答えた。





「の、野口(ノグチ)が野々宮の変わりに、カ、蛙をガラスの中に入れただろ?だ、だから競技終了だ!お、同じクラスなんだから誰がガラスに蛙を入れたって良いだろ?ハ、ハハハ!」





教師は吃りながら早口で話すと、引き攣った笑みを残し逃げるように去っていった。





野口(ノグチ)と言うのは、委員長の名前。彼女とはそれなりに仲が良い。名簿が前後と言うこともあり私なんかと仲良くしてくれる。





「…最初のルールと違うし」






隔てなく皆に親切で、人望も厚い委員長は眼鏡越しに目を尖らせて教師の後ろ姿を見つめる。



ルール説明で

“苦境は自分で乗り越えてみせろ!人の手を借りても猫の手を借りても失格と見なああああす!”

とか酷い事を広言していたのに。





「きっと先生が寿君に何か言われたんじゃない?」

「戒吏に?」

「うん。野々宮さんがカエル見て涙目になった時点で寿君、先生を睨み付けてたし」





そんな事してたんだ、と若干呆れ気味で戒吏を見る。



戒吏は平良君達を押し退け此方に向かって歩いてくる。
私は近づいてくる戒吏をボンヤリ見つめた。