───
────────
『僕、ハーフなんだよね』
『見れば分かる』
『…何とも思わないの?髪も瞳の色も違うし』
『髪なら慎も赤だろ』
『あれは染めたから…』
『それに、』
この話をする事は今まで避けてきた。何を言われるのかと背筋が凍ったけど、
戒吏の次の言葉に違う意味で衝撃を受けた。
『その色、嫌いじゃねえ』
このとき確かに僕は胸を打たれた。
変な意味ではない。ぶっきらぼうながらも、あの真っ直ぐな漆黒の瞳をした戒吏に惹かれた。
はじめてだった、こんな言葉を貰ったのは。
ひとつ言えば僕は
確かに“愛人の子”
でも愛されていない訳じゃない。母さんも父さんも僕を優しく育ててくれた。
当時“愛人”だった母さんは現在正式な妻の立場にいる。
端から見れば前の妻を蹴落としたようにも見えるが、実際は遠の昔に本妻と父は離婚していた。
それは父さんが母さんを愛していたから。
妻になって欲しいとせがまれた母さんは迷った挙句“今はまだ”と渋り愛人の枠に収まったらしい。
いつかは結婚―――‥と言うときに生まれたのが僕だった。
“愛人”と言っても事実上は妻そのものだった。
簡単に言えば内縁。
しかし周りから見れば“偶々出来た子の為に仕方なく愛がないまま結婚した出来婚”と見える。
それに父さんも母さんも苦しんできた。僕のせいで。
異人の血も混じり、ましてや愛人の子。
まるで異端児そのものだと虐められ、風当たりも強かった僕以上に母さんと父さんは苦しんだ。
と言っても僕は然程気にしてはない、
でも何故か母さんも父さんはそれを強がりだと勘違い。
ひねくれた僕の思考に気がつくことはなかった。
今も昔もこれからも。退屈な時を過ごすとばかり思っていた。
そう、過去形で。
戒吏と出逢ってからは一変。いままで内に溜めていたものが浄化したかのように僕は変わった。
柔らかくなったし、負の感情ばかりではなく正の感情を表に出すようになった。
そして生活も一転。
世間一般からは“不良”と呼ばれる分類なんだろうけど、それでも良かった。
僕がこんな道を歩んでいるは誰も咎めなかった。寧ろ喜んだ。僕が変わったことに。
何だかんだアイツといるの、楽しいし、
止めていたとしても変わらないけどね。
“ここ”が僕の居場所だから。
───────────
───────
────
そう清々しく初めて無邪気に笑った庵は綺麗だった。
透き通るターコイズブルーの瞳に輝くプラチナは神秘的だった。
私も庵の髪も瞳も好き。宝石のように優美で綺麗だから。
そう思いに耽ている私の顔を庵は覗きこんできた―――‥
「響子?どうしたの」
「え?」
「ボーッとしてたから」
「い、庵が戒吏と出逢った頃を思い出してて…」
言ってもいいのか迷った。
かなり前に話してくれた過去の話を思い出していた…なんて。
しかし庵は気にしていない様子で「懐かしいね。」と笑った。
「ネジのくだり覚えてる?」
ネジ?あの庵が踏んでいたネジ?と聞くと庵は頷いた。
「あれ、いまは僕が持ってるんだよね」
「庵が?」
戒吏に返したんじゃないの?
私は首を傾げて不思議に思う。
「戒吏と慎さんと3人でバイク乗って事故って入院したときの見舞いの品だよ」
「…お見舞いに、ネジ」
私は思わず苦笑い。庵も同様。
きっと何をあげれば良いのか分からなかったんだろうね。
「戒吏と出逢わなかったらずっと引っ込み思案で捻くれてたかもね」
そう笑う庵はやっぱりキレイ。
端で透き通る水晶が目に映る。このガラスのように庵は綺麗だと改めて思った。
「奇跡なのかもしれない。アイツらに出逢えたのは―――‥」
アイツらはきっと牙龍の皆のこと。
「それに響子も」
「わ、たし?」
まさか私も入っているとは思わず目を見開く。驚きを隠せなかった。
「響子と出逢わなかったらこんな感情知ることはなかったよ」
――――こんな誰かを愛しく思うことはなかった。
「…庵、」
「ゴメンね」
「…」
「…ゴメン」
それが何に対しての謝罪なのかは分かるようで、分からない。
でもこの部屋に入ったときから、懐かしげに目を細める私を辛そうに見ていたから大方わかる。
本当に気にしていないのに――――――そんなに自分を責めないで欲しい。
泣きそうな庵を見て、私まで泣きそうになってきた。
庵が泣かないから、私が泣いてしまう。
これが男と女の違い?
(男の子だって、)
(辛いときは)
(泣けばいいのに。)
〔IORI SIDE〕
懐かしむように部屋を眺める響子を見ては胸が軋んだ。響子を追い出したのは紛れもない僕達だったから。
“懐かしむまで”此処に来ていないと言うこと。それも結局僕達のせい。悔いた過ちから不意に泣きそうになってしまう。
泣きはしないけど、絶対。響子の前なら尚更。
僕につられてか微かに肩を震わせる響子を、ギュッと抱きしめれば上目遣いで僕の方を見詰めてくる。
無意識に誘ってくる潤んだ瞳に呑まれるのが怖くて、僕は視線から逃れるように顔を首筋に埋めた。
そしたら響子は優しく抱き返してくる。
細い腕と小さな手で背中に手を回す。
頑張って背伸びをする小さな響子が可愛くて、もっと強く抱きしめる。
ちょっとキツいかな?なんて思うけど、まだ離してあげない。
そしてチラリと響子を盗み見る。
雪を欺く白磁の肌、さらさら滑る栗色の髪。光を反射する透き通るような瞳。彼女のすべてが綺麗で神秘的。ふわふわと雲の上にいる存在。
まるで清らかで穢れの知らない純白の天使。
きっとそれは大袈裟なんかじゃない。僕は本当にそう思ってるから。僕と同じ意見の奴は山程いるはず。
可愛いと囁けば否定される。本当に綺麗なのにね、
でもその綺麗さがちょっとだけ不安だったりする。
―――いつだったか、
この部屋で、雑誌の専属モデルを見ていた彼女がぽつりと呟いた言葉が「可愛くなりたい」だった。
僕からすれば背伸びして着飾ったモデルより自然体な響子のほうが数百倍可愛いと思った。
いつも「可愛い。」って言ってるのに、なかなか信じてくれない。更に可愛くなろうとする。
それは困る。だって、他の男から見られてるって危機感が全くないんだから。
可愛すぎるのも悩みの種だ。
――――現に僕と2人きりの部屋にいてもゆったりしている。
でも水晶を見て目を輝かす姿は可愛かった。
僕として2人なんだからドキドキしてほしいところだけど…。
安心しているのか信頼されているのか、ちょっと複雑。
もしかして意識されてない?
「庵?どうかした?」
「あ、ごめん。何でもないよ」
心配した声に我に返る。栗色の髪が頬を掠め、近くにある彼女の顔がよく見えた。
大きな瞳に吸い込まれそうで、目を逸らす。
でも見るからに柔らかそうな頬と艶やかに潤った唇が目に止まり、一瞬目が離せなくなった。
吸い寄せられるがままに頬に唇が触れる。
当然のことながら響子は吃驚したようで肩を震わせた。
「…っ庵?」
「響子は色素が薄いよね」
「…色素?」
何を言っているかわからない、と首を傾げている。
自分でも唐突だと思った。
「うん。肌も髪も、瞳の色も、全部」
「あ、そうだね。確かに日本人にしては薄い、かな?」
「だから不安なんだ…」
「え?」
そう、不安なんだ。
淡い響子がいつかそのまま、空気に溶けそうで。世界から消えてなくなってしまいそうだから。
そう思えば思うほど、儚い存在だと感じてしまう。
響子が手の届かない高嶺の華と呼ばれる意味がよくわかる。
「響子が消えるんじゃないかって…」
我ながら馬鹿な事を言っているとは思う。
でも本当にパアッと弾けて光になって消えてしまいそう。
繊細で綺麗で儚いから、尚更そう感じてしまう。
「それを言うなら庵もだよ。私よりも消え褪せそう…」
「ハーフだから?」
「ううん。もっと根本的な問題。いまの庵が凄く儚いから消えてしまいそう…」
「…僕はそんなに弱くない。だから大丈夫だよ?響子から離れたりしないから」
自信満々で言いきる。
逆に言い返されたことで、少しだけさっきまで考えていたことが馬鹿らしく感じた。
僕の言葉に微笑む響子はいつにもまして輝いている。
やっぱり彼女は素敵だな、とベタなことを思った。
――――ここまで響子に入れ込んでる僕はきっと重症患者に違いない。
庵はわたしが“消える。”と言った。
――デジャブだと思った。
それは里桜にも言われたことのある言葉だったから。
“アンタ、触れたら消えそう。”と距離を置かれていたのを覚えている。
分からない、私は此処にいるのに――――‥。
里桜は私を儚く散る桜だと喩えた。
それは里桜のほうだと思ったけど言えなかった。
庵は私を抱き締めていた腕を緩めると、手を握る。
「おいで」
手を引きながらソファーに座らせてくれた。
「わ、ふかふか」
「買い換えたんだよ」
「そうなの?」
よく見ればピンクで可愛い。
…あれ?ぴんく?
限られた者しか入ることの出来ないこの部屋に、ピンクを好んで買う人がいる?
このソファー、品質が良いし値も張ると思う。だから適当に選んだわけではないはず。
「響子がいつでも来れるように、だって」
「…え?わたし?」
「うん。戒吏達と探しに行ったんだよ」
「…」
ビックリ、した。
目を見開いて思わず庵を凝視する。言葉が出なくなった。
ピンクは確かにスキ。でもそれを態々選んでくれるなんて…。
わたしが此処に来るかも分からないのに。
今日は偶々だったのに。
胸が熱くなった、喉が熱くなった、目尻が熱くなった。
それを隠すために唇を噛み締める。
「それにしても遅い」
「寿々ちゃんが?」
「違うよ、戒吏達の事だよ」
戒吏達?
――――そういえば戒吏達が居ない。いま気がついた。
部屋に入ってから今まで、何の違和感もなく居座っていた。
庵一人だけなのに、全く気にも止めなかった。
「どこに行ったの?」
「美味しいケーキ巡り」
「…けえき」
けえき…ケーキ?
え。4人で?
「美味しいケーキを探して響子を此処に誘き寄せるんだって空が言ってたよ」
「誘き寄せるって…」
わたしは犬か、と思った。
何だか複雑な気持ちになる。
「結構乗り気だったけどね」
「誰が?」
「戒吏」
「戒吏!?」
「うん。戒吏なんか先頭きってこの部屋から出ていったよ」
まさか戒吏が乗り気だなんて奇妙にも程がある。甘いものが好きな空なら分からなくもないけど。
戒吏がケーキと睨めっこしてるのを想像すると笑えてきた。
「あれ?でも遼と蒼は甘いもの大丈夫なの?」
「あー…空並みじゃないけど大丈夫だよ。でも今頃吐いてそう」
「確かに」
遼と蒼が出てきたケーキを見て顔を顰めるのが容易く想像できる。
そして戒吏はケーキを無言で見つめる。
ただひたすら食べる空。
故に全く会話がないテーブル。
それを想像してきたら笑えてくる。
同じことを想像した庵と目が合うと、互いの顔を見合わせて笑った。
2人分の笑い声を部屋に響かせていると…
扉が勢いよく開いた。
「響子っ!」
「え?…きゃあッ」
突然聞き覚えのある声が扉付近から聞こえて目を向ければ―――――――――誰かが飛び付いてきた。
私は重力に従いソファーに背中から倒れ込む。
「響子!来てるなら何で言わねえんだよ!」
「…そ、空?」
突然私に飛び付いてきたのは空だった。空はソファーに倒れ込んだ私の上に乗っかり叫ぶ。
「響子来るって知ってたなら俺出掛けなかったし!」
「…ちょっと、空」
「でもケーキ滅茶苦茶買ってきたんだよ!15件ぐらい回ってさ!」
「…ね、ねえ」
「いまから一緒に食おうぜ!な?響子!……っうわ!」
誰かが空の襟を引っ張って私の上から退かす。その勢いに空が驚愕する。私もビックリした。
「何やってる」
珍しく青筋を立て怒っている戒吏が立っていた。戒吏の横には遼と蒼が。よく見れば蒼と遼も戒吏と似たり寄ったりだった。
遼は八重歯を覗かせギリギリ歯軋りしイラついてる。
蒼は舐めていた飴を砕き、ガリィと音を立てた。
「―――そ、そんな怒んなよな!」
渋々ながらも、キレ気味の3人にヤバいと思ったのか私の上から退いた。
“た、助かった。”と胸を撫で下ろす。
流石にあの体制はマズイと思ったから。端から見れば空が私をソファーに押し倒しているように見えなくもない。
顔面蒼白になりながらも、3人に悪態を付く空に庵が近づく。
「空、おかえり。疲れたでしょ?ハイ、オレンジジュース」
「お!サンキュー」
「あ。ちなみにワサビ入りだから」
「ぶふおおおお!」
一口飲むと瞬時に吐き出した空。飲んでから言うのは遅いと思うけど、庵の場合は確信犯だ。
私はワサビ入りらしいオレンジジュースに目を白黒させる。
「ひーっ!かっれー!辛い辛い!何入れてんだよ!ワサビとか入れんなっつーの!」
涙目の空は何だか可愛い。桃色の髪色とその潤んだ目は女の子にしか見えない。しかし、庵はそんな空をしれっと無視する。
空は慌てて手にしたペットボトルのミネラルウォーターを一気飲みした。
そして一息つき、ワサビ入りオレンジジュースをギュッと握りしめると庵を睨み付け――――‥
「ふざけんなっ!庵が飲め…よ!」
ワサビ入りのオレンジジュースを――――――投げた。
プロの野球選手もビックリの豪速球。
甘党の空は相当頭にキている様子。
投げれば、飲む以前にコップが割れるから危ない。
でも庵はそれに自ら当たるつもりもないのか、ひょいっと避けたが――――――‥
バシャッ
嫌な音が聞こえた。
やけにハッキリと。
部屋の空気が凍った。
運悪く扉から姿を表した人物。
それは…
「す、寿々ちゃん!」
「げっ!」
「運悪すぎじゃね〜の」
私は慌てて駆け寄る。
空は苦虫を噛み潰したような顔をする。
それもそう、寿々ちゃんにワサビ入りオレンジジュースが掛かったから。しかも頭から。
――端でボソッと蒼衣が他人事のように呟いたのが聞こえた。
「わりいな、寿々!」
謝る空は、本当に謝罪しているのか疑うほど明るい。
しかし寿々ちゃんは反応を見せずに俯いたままの状態。怒ってるのかな?
「―――」
「寿々ちゃん?」
微かに呟きが聞こえた私は寿々ちゃんに近づき、手を伸ばす。