「ないないないない。止めて。あり得ない。なんであんな煩いのをアタシが?マジで止めてくれ。アタシは剣で華麗に舞う“ディスペンダ様”が好きなんだからッ!」
真顔で言う寿々ちゃんが怖かった。
“ディスペンダ様”は良くわからないけど、寿々ちゃんが必死なことは十二分に伝わった。
「そっか、」
「アタシが遼ちんのこと好きだと思ったの?」
「う、うん」
「ない。あり得ないさ……って、え?アタシが遼ちんを好きだと思って走ってっちゃったの?」
「…うん」
勘違いだったけど。
恥ずかしい。
羞恥に心が覆われる。
だから、知らない。
気がつくことはなかった。
「え、まさか響子ちゃんって遼ちんのこと―――‥」
寿々ちゃんが素晴らしい勘違いをしていたことを。
なんでその呟きを聞いていなかったのか、なんでちゃんと誤解を解かなかったのか、
―――――私は後に後悔する。
「あ!そうだ!」
急に叫び声を上げ、立ち止まった寿々ちゃん。
勢いよく隣を歩く私に、身体を向けた。
「響子ちゃん言ってたじゃん?猫田の特別賞受賞が掲載された雑誌みたいって!」
「うん」
「あるよ?雑誌!」
え!?
瞬時に私は瞳を輝かせる。
雑誌とは受賞者の名前が掲載されている月刊雑誌。私は早苗の名前が載っている雑誌が見たくて堪らなかった。
しかし誰も持っていなくて肩を落とした。最近の雑誌ではないため当たり前なんだけど。
――――――でも寿々ちゃんからの思わぬ朗報に瞳を輝かせた。
「今から時間ある?見に行こう!」
「うんっ、行きたい!」
―――って、え?
見に行く?どこに。
「ねえ、どこに行くの?」
「戒君たちのとこー!」
てくてくて――‥
ピタッ
歩いていた足が止まる。
場所を聞くときに首を傾げたままの状態で固まった。
「え」
「どうしたの?」
いまなんて?
未だ状況が読めず首を傾げたまま固まっている。普通この首の体勢なら辛いと思う。
「早く行こう?―――港の倉庫!」
幾らなんでもそれは…
と躊躇う。
わたしは彼処から去って、一度も倉庫に行ったことはない。あまりの突然すぎる展開に戸惑いを隠せなかった。
「大丈夫、大丈夫!」
手首をグイグイ引っ張られ、
為されるがままに無理矢理連れて行かれる。
「え、ちょっ、」
反論の余地すら与えない強引さ。もう雑誌はいいから…と言うけど寿々ちゃんは全く聞いていない。
そして私はあの港に脚を運ばせてしまう―――――雑誌の事なんて既に頭にはなかった。
あの港に残してきたものは沢山有りすぎる。形としてある“物”もそうだけど、目には見えない後悔・幸・想い出。そう言ったもので港は溢れている。
そんな港に、今から行くの?
不安に揺らめく心。
今は有るかは分からない、棄てられたかもしれない。だけど置いてきた“物”には知らない人のほうが少ない童話の本もあった。
よく昔に読んだ馴染み深い有名な童話。絵本でも小説でも私の身近に存在した。
―――まるで私は逃げてきたお城から落としてしまったガラスの靴を拾いに戻る滑稽なシンデレラみたいだと思った。
あまりにも有名な話。
継母にいじめられた少女が魔法使いの協力でお城の王妃様になる、あの話。
所詮は
童話であり
民話であり
昔話であり
おとぎ話だから、魔法使いが出てくるような荒唐無稽、何でもありの御都合主義がストーリーに散りばめてあっても全く差し支えはない。
城の舞踏会が終わり12時の鐘が鳴り響く中、少女は長い階段をかけおりる。
そして少女を追いかける王子様。
焦ったシンデレラはガラスの靴を片方落としてしまう。
去って行ったシンデレラを茫然と見送り、残されたガラスの靴を握り締める王子様。
そして王子様はガラスの靴だけを頼りに少女を探し出す、見事見つけ出された少女は王子様と幸せを掴みとり、幸福を手に入れたのでした。
ちゃん、ちゃん
おしまい
「所詮物語だね」
「千秋君は夢がないでヤンス!なんでそう淡白なんスか!もっと夢を膨らませて下さいっス!」
「むり」
「そ、即答スか…」
夢がない?
俺は間違ったことは言ってない。
夢と勇気を持てばカナワナイものはないと、魔法を使って新しい服と馬車をくれた。
しかし、魔法が効くのは夜中の12時まで。その時刻を過ぎると全て元通りの姿になってしまうと念を押される――――‥
「永遠の魔法なんてないから。所詮一時の夢にしか過ぎない。だから魔法は解けたんじゃない?」
「で、でも幸せになったっス!」
「おとぎ話だからね」
「…」
「睨まないでくれる?」
物語の主人公。
Cinderella(シンデレラ)
“灰にまみれた娘”の意があるらしいけど定かではない。
これは童話では有名な話みたいだけど全く興味ない。
「だいたい、これ何?」
ぺらぺらと本を捲る。分厚い有名な童話小説。辺りは暗いから字はよく読めない。でも小さい文字がぎっしり敷き詰められた書物。
バイクに凭れかかりながらニット帽に聞く。
「いま倉庫で本の整理してるみたいでヤンス!でも皆さん出てきた本を読んでるみたいで、オイラも“シンデレラ”読んでたんス!」
「こんな分厚いの読んでるの?」
「…それ、」
急に苦虫を噛み潰したような顔をされる。
地雷だった?
でも悪いけど、心配するような心、俺は持ち合わせちゃいないから。
「それ元はきょん姉さんが持ってきた本なんでスよ…ずっと倉庫に置いてあったままで…」
「響子先輩の?」
「そうッス。他にも幾つかあるっスよ?」
「ふうん…」
響子先輩はこのニット帽に気に入られてるんですね。…なんか気にくわない。
第一響子先輩は好かれ過ぎなんですよ。はっきり言って異常。
誰しもが目を奪われるぐらいの魅力を兼ね揃える貴女が俺はたまに怖くなる。
「きょん姉さんは意地悪な叔母に虐められたシンデレラみたいでヤンス…」
小さい呟きが聞こえた。
目に影ができる。
響子先輩がシンデレラ?
シンデレラは継母とその二人の娘からほとんど召し使い同然の仕打ちを受けて暮らしていたんだっけ?
「なら継母がアンタ達ってこと?」
「…そう思うッス」
「じゃあ響子先輩は最後アンタ達の所には戻ってこないね」
「っえ!?」
俺は相当性格が悪いのかもしれない。年々あの男に感化されている。
「シンデレラは王子のもとへ行くんだから」
「お、王子様は総長じゃッ」
「王子は複数居るかも知れないし」
「…王子様が?」
「ガラスの靴を落としたのはシンデレラ。でもそのガラスの靴を拾った王子は誰か分からない。舞踏会だし、誰が拾っても可笑しくはないからね」
「…そ、そこまで考えてなかったでヤンス」
所詮は物語。
いまのも勿論、空想上の話。
――――だからそんな深く考えなくてもいいのに。
深く眉根を寄せて悩むニット帽にそう思った。
「12時の鐘が鳴って去る前に―――――魔法が解ける前にオイラ達が追い出したんス。どうしたらいいんスか?」
「知らない」
「え!?な、なんて白状なんすか千秋君!」
絶望の淵に立たされた奴のような死人染みた顔をして俺に問い質す。
しかし俺はそれをバッサリ切り裂いた。またウザい顔をするから適当に言葉をなげる。
「事の成り行きに任せれば?」
「…なりゆき」
「“これから”なんて魔法使いじゃなきゃ分からないよ」
魔法使いでもわかるかわからないけど。
「魔法使い――――千秋君は魔法使いみたいでヤンス!」
「はぁ?」
「言葉に不思議な魔法が掛かってるッス!優しさはないッスけど肩の荷が降りるような魔法ッス!」
さりげなく優しさはないって言ったよね、コイツ。あながち間違っちゃいないけど。
それに俺はどっちかと言えば魔法使いより――――――王子の方がいいんだけど。
「その本どうするの?」
「…いつか返したいッス。響子先輩は本を大事にする人ッスから」
大事に持っている“シンデレラ”をギュウッと抱き抱えるニット帽は、“いつか”返したいらしい。
その“いつか”がいつになるかは本当に誰にも分からないけど―――――――――案外直ぐだったりして。
「…渡せればいいね」
「はいっす!」
心にも思っていないことを言葉にする。
悩みが一気にぶっ飛んだお気楽なヤツ。ぱあっと顔を輝かせて自分の事かのように嬉しそうに言う。
「そういえばきょん姉さんと総長達が今朝一緒に居たでヤンス!」
「知ってる」
嫌がる俺を無理矢理引っ張って、その光景を見せたのアンタだし。
「里桜さんも居たでヤンス!里桜さんは千秋君のお姉さんだったんですね?吃驚でヤンス!」
「…姉、」
「仲が良くないでヤンスか?」
なんでこのニット帽は躊躇いもなく率直に聞いてくるのか。悪気がない故のことだろう。
「ふつうだよ」
良くはない。
かといって悪いわけでもない。
必要最低限は話さない。
いつしか、
そうなっていた。
「でもお互い嫌ってはないッス」
「…は?」
「違うでヤンスか?」
「…違うもなにも、」
嫌い?…すきってなに?
どこからが嫌いなので好きなのかがわからない。アイツへの感情なんて分からない。しいて言うならどうしようもない…罪悪感。
「オイラと兄ちゃんと似てるッス!里桜さんと千秋君は!」
「…兄貴?」
「親が離婚して今は偶にしか逢えないんス。でも兄ちゃんはオイラのヒーローで格好いいでヤンス!離れてても常にオイラに気をかけてくれてるッス!」
似てる?俺とアンタが?アイツとその兄貴が似てるってこと?
無いね。互いを互いに気をかけるなんて。今さらすぎる。空いた溝は埋まらない。
例えば、例えばの話、
俺が気にかけてたとしても…
アイツは違う。
アイツがあのことを知れば、確実に俺を嫌いになる。
響子先輩を大事に思っているなら尚更の話。
無意識に顔を歪めた自分には気がつかない。
ニット帽は、はにかむように白い歯を見せて笑う。暗い夜だけど、その笑顔は明るく眩しい。
「本当に輝兄ちゃんは格好いいでヤンス!」
あ き ら ?
あきらアキラ…輝?
瞬時に俺は思考を巡らせる。
聞き覚えのある名前に。
―――ただの偶然?偶然であってほしい。ややこしくなる。
「ねえ、苗字なんだっけ?」
「ええ!今更ッス!オイラは田原寛太郎ッス!いつになったら覚えてくれるんスか!」
煩く騒ぎながら愚痴るニット帽を横目に再び思考を巡らせた。軽く体重をバイクに預け、ニット帽は無視。
田原…違う苗字か。なら勘違い?
しかし、このときの俺はある呟きを聞き逃していた。
「親が離婚していて苗字は違うんスけどね」
そう。この呟きを。
“親が離婚して今は偶にしか逢えないんス。でも――”
はじめにニット帽は言っていた。離婚していると。
それさえ、気がつかなかった。
離婚していたなら苗字が違うのにも納得がいく。
なのに俺は聞き逃していた――――――後の祭りにしか過ぎないけど。