外では雨が強く打ち付ける。
倉庫に反響する雨音。
“片桐さん”を捜しに行ったときには小降りだった雨が、嵐のように激しさが増している。
「―――はっ?き、北?」
戒吏さんの言葉に気を揉んだのか焦り顔へと変わった。
先代の“片桐さん”とはこんなにも間抜けな方なんですか。はじめてお目にかかるのが制裁の場になるとは思いもしませんでした。
焦りを隠そうとしているのか、慌てています。しかし未だに強張った顔つきです。全く隠せてはいないです。何せ鈍い僕でさえわかるんですから。
「違うのか?」
「な、なに言ってんだよ寿!お、俺が北と手を組むわけねえだろ?元牙龍だぜ?それに俺は東の人間だろ?」
「――――――そうだな。お前は元牙龍だ」
「だ、だろ!?もともと牙龍に居たのに、牙龍を嵌めた北の奴らと居るわけねえぜ!」
――――ああ、もうこの人は終わりです。
「オイ。なんでテメエは闇討ちしたのが北って知ってんだよ」
“片桐さん”を鋭く尖った刃のように睨み付ける遼太さん。
僕が睨み付けられているわけではないのに、痛いです。身体中を刃で串刺しにされたように。
怖いです、怖くて怖くて、どうして僕はここにいるのか問いたくなります。
自分の失言に気づいたのか、怪我の痛さからか、青白い顔が更に真っ青になり死人のような顔色に変わりました。
“片桐さん”は自分で自爆してしまいました。自分で起爆スイッチを押したのです。
「……う、うわさで」
「嘘はいけね〜よ?噂なんて出回ってるわけねじゃねえか。俺達でさえ今日知ったんだぜ?」
「……だっ、誰に!」
「ん〜?愛して愛して止まない慎さんに決まってんじゃねえの」
醜く足掻く“片桐さん”にに蒼衣さんが告げた“慎さん”の名前。
――――――――総長から話を聞いたは良いものの訳のわからない言葉が飛び交いました。先輩は顔を真っ青にさせて「嘘だ」「最悪だ」「マジかよ」と後悔の念を露にさせていました。
僕にはよく理解出来なかったです。
それは僕だけではなくカン太君も。僕達と牙龍に入ってきた同年代の人は皆そうでした。
そして訳も分からず顔も知らない“片桐さん”を捜すためにバラバラにバイクを走らせて北に向かいました。
話を聞くところすでに蒼衣さんや遼太さんは動いてるらしいです。つい先ほど出ていった空さんも。
北街に向かう途中先輩から“慎さん”の事も“片桐さん”の事も、聞きました――――‥
「し、慎だと!?アイツ裏切ったのか―――――――ガハッ!?」
凄まじい蹴りが“片桐さん”のお腹にのめり込みました。
そのとき僕は思わず目を瞑ってしまいました。
蹴りを入れたのは空さんです。
空さんは幹部で在りながら僕みたいに牙龍には似つかわしくない人だと思っていました。そのときの僕を僕は殴りたいです。
……あの顔つきのどこが牙龍に似つかわしくないんですか。まさに幹部たる者の顔。
「ふざけんじゃねえよ!!お前が慎さんを裏切ったんだろうが!!忠告されたんじゃねえのかよ!!慎さんが止めるのを無視したのはテメエだろうが!!」
「――――空、落ち着いて」
息を切らす空さんに、ここに来て漸く庵さんの声を聞きました。
目を血走らせる空さんの肩に手を置いて宥める庵さん。いつでもどこでも自分を見失わない庵さんは流石だと思いました。
空さんは“慎さん”を人一倍尊敬して敬っている聞きました。
その人を貶されて、赦せないのでしょう。
尚も激しさを増す雨。倉庫を打ち付ける雨の音が耳に逆らう。
澱んだ空が激しく泣いています。――――空さんも泣いているような気がしました。
「な、なに言ってんだよ?俺は―――――」
「まだ分からないのか?」
しらばっくれようとする“それ”の言葉を無視して総長は言いました。
もう言い訳も言い分も聞き飽きたのでしょうか。
聞きたいのは真実。
――――ただそれだけ。
「自分が此処に連れてこられた意味が」
この空間が、酷く息苦しいです。
―――――静粛。
(みみが、いたいほどの)
それを切り刻むかのように嘲笑うかのように。愉快だと謂わんばかりに――――――――ワラッタ。
「あは アハハ はははははは ! ふはははは ハハハハハ !クククくクッ ヒゃはははは! ハハハはハは !!」
ただワラウ“片桐さん”
いったい痛みは何処へ行ったのやら、ゆらゆら立ち上がりました。
揺らめきながらユックリとした動作。足元はお没いています。
笑い声が不愉快だと謂わんばかりに眉を顰める遼太さんに蒼衣さん。そして、穏和な庵さんまでもが不愉快さを露にしています。
空さんに至っては立ち上がる“片桐さん”を睨み付け今にでも殴りかかりそうでした。
ただ、戒吏さんだけは無頓着。
「―――――――あーあ。バレちまったよ〜。やっぱ慎にバレたのが仇となっちまったぜ。謝った事にしたのに何でバレちたんだァ?だいたい謝るわけねえだろうが!あの野郎“謝れ!”なんて怒鳴るんだぜ?こんな奴らの何処がそんなに良いんだよ」
ぼそぼそと自問自答を始めた“片桐さん”
たとえ小声だとして静粛なこの場所ではハッキリと聞こえます。
…………僕は“片桐さん”が怖いです。ビビりとか関係なく生理的にどうやら受け付けられないようです。
僕と“片桐さん”の距離は確かに遠いです。だけど一本線上に立たされてしまったような錯覚に陥りました。息苦しくて窮屈です。
「俺はなァ〜?
テメエが気に入らねえんだよ!」
真ん前に立ち戒吏さんを睨み付ける、前牙龍副総長・片桐豪。
『片桐豪さん、ですか?』
『ああ。先代の副だよ――――――――総長を恨んでんだ。』
『え?その人は先代なんですよね?戒吏さんを恨む理由がどこにあるんですか?』
『自分が次の代の総長になりたかったからだろうな。慎さんが引退したあと、きっと成るつもりでいたと思う。』
『……逆恨みでしょうか?』
『そんなとこだ。絶対にあの人が総長になることはねえ。相応しくねえからな。誰も賛同しねえだろ。』
『何故ですか?』
『副を務めていた頃から裏でコソコソ何かやってたみたいだからな。北の奴等とも繋がっていたみたいだしよ。』
北街に向かう途中雨に打たれながら交わした言葉を目を閉じて思い出します。
バイクに乗れない僕を後ろに乗せてくれた先輩。
風と雨で聞き取れにくくも、しっかり耳に付きました。
北街は――――――荒れ地でした。
統べる者が居ないため、荒れ放題、好き放題。
自分の目に映る情景に心底、東で良かったと思いました。
――――――気に入らねえ、そう目の前で告げられた先代副総長に言われた今の牙龍総長。
「なら丁度いい。俺もお前が気に入らねえ」
ここにきて初めて、表情を歪ませました。
目に見えるほどに憎悪で瞳が染まる。滲み、燃え、帯びて、冷める事を拒否するかのように。
確かに先輩から分かりやすく再度解釈してもらいました。
でも、わかりません。
わからないんです。
分からないことだらけです。
―――それに。どうして、
「お前、響子に何をした」
わざわざ響子さんを“裏切り者”に仕立てあげる必要があったのでしょうか?
「何を?アハハはははははは!!馬鹿か、テメエは!“何かした”のはテメエらの方じゃねえか!」
ああ、愉快だ。愉快だ。
そう馬鹿にしたように嘲る。
自分を取り囲み牙龍のメンバーの姿を見るために―――――――――――ぐるんと一回転。
360゜回転し、再び戒吏さんに顔を向ける。
「俺は牙龍の情報を北にばら蒔いただけだぜ?何もしちゃいねえ!勘違いしたのはテメエらだ!姫を追い出したのもテメエらだろ!?」
あはは はははは !!
耳につく嗤笑。
不愉快きわまりないです。
こめかみをピクピクさせて青筋を立てる遼太さん。これでも、まだ押さえているのが分かりました。
しかし押さえきれなかったのは空さんでした。いまにも掴みかかりそうな勢いで叫びました。ですが掴みかからないのは、眼で訴える戒吏さんの制止でしょうか。
「なら牙龍の奴らが闇討ちにあったことはどうすんだよ!?」
その言葉にハッと鼻で笑う。
それには空さんだけに留まらず周りにいる先輩たちも目を吊り上げました。
“片桐さん”はいまだに、自分の立場を理解してないらしいです。
話を聞いたら、用済みだと言うのに――――…
「言っただろ?俺は北に情報を売り飛ばしただけだ」
「……なら襲ったのは北っつーわけね。鬼神じゃねぇの?」
「《キジン》?」
目を薄らと細めた蒼衣さんが徐々に理解してきたのか頷きました。
蒼衣さん同様に庵さんも分析しているのか顎に手を添えています。
“鬼神(KIJIN)”
南にいる鬼のこと。
南が鬼なら東が龍
東が龍なら西は狼
西が狼なら南は鬼
それは聞いた話にも出てきました。「闇討ちは《キジン》かもしれない」と。《キジン》は鬼神の事だったんですね。
――――しかし
“鬼神”と聞いた“片桐さん”は如何わしげに眉根を寄せました。
少し考える素振りをしたあとまたあの嫌な笑みを浮かべたのです。
「……ッははは!バカか!テメエらは相も変わらず温いんだよ!“鬼神”なんてもう居ねえよ!」
「居ないだと?」
総長がほんの少し瞳を見開いた気がしました。
だいたい“居ない”なんて、ある筈ないですよね?
南は南で変化もなく変動もなく、普段の“南”として機能しています。
それにあれほどに大きい組織が居なくなれば、何かしら伝わる筈だと思います。
なのに戒吏さんや驚いている幹部の皆さんを見ると知らなかったみたいです。
そしてざわつく倉庫の様子から、誰一人としてその事実を知るものはいません。
「でたらめ吐いてんじゃねえよ。その下らねえ舌引っこ抜くぞ」
ざわつく倉庫内。
“片桐さん”に翻弄されて流れも握られてしまっため気に食わない遼太さん。
まだ自分をセーブし抑えているのは総長の制止。制止さえなければ見るも無残なほどに殴り付けていそうです。
「何も奴らは“居なくなった”わけじゃねえ」
自信満々に告げる。
わざわざ教えてやっていると謂わんばかりのどや顔。
それに皆さん突っ込まないのは、本当のところはどうなのかを知りたいからだと思います。
認めたくはないけれど事実を知る人物が“片桐さん”しか居ないから――…
わけのわからない言葉に空さんは怒鳴りました。焦らされていることに腹を立てる気持ちは良くわかります。
「はあ!?お前居なくなったって言ったじゃねえか!意味わかんねえし!」
「本当に何もしらねえんだな。変わったんだよ《キジン》は」
その言葉に誰もが頭を捻る。
かわった?
なにが?
どう?
“片桐さん”は賎しい笑みを浮かべると遼太さんと蒼衣さんを見つめました。
「お前らなら知ってるよなァ〜?」
“ビャクヤ”を。
《ビャクヤ》?
誰でしょうか?
更にざわめきが際立ちました。
知っている者と知らない者は半々と言った所でしょうか。
言わずとも僕は知らない者です。勿論隣にいるカン太君も。
「《ビャクヤ》?」
「何だそれ。」と言わんばかりに如何わしげに眉をしかめる遼太さん。知らないのでしょうか?
――――‥しかし蒼衣さんは違いました。加えていた煙草が手から落ち動揺を露にしました。
「《ビャクヤ》って白夜の事じゃねえよな〜?」
「そのまさかだ」
―――――空気が重くなった。