きっと庵は本気だった。なのに、むしゃくしゃする感情をぶつけてしまったと後悔の念が募る響子。響子の瞳には困惑した庵が映っている。そして庵の瞳には苦虫を噛み潰したような顔をする響子が。








「きょお――‥」


「じゃあね」





庵の言葉を悟り呼び掛けに止まることなく逃げるように去っていく響子をずっと見つめている。

いつも手からすり抜け捕まる事を知らないよね、と庵は思った。









窓から外を覗けば空高く飛び回る数羽の鳥達。平行に綺麗な羽を羽ばたかせ優雅に空を舞っている。何にも左右されず逃げられる羽。

逃げる響子も空を飛び回る鳥のようだと庵はひとり窓から快晴の空見上げながら思った――――――――‥‥‥












《余談その1》






響子と別れたあとショックからか虚無になってしまった庵。とりあえず遼太に頼まれたコーラを買いに求める事にした。頼まれ事は成し遂げる主義だ。


しかし何故かコーラではなく、










『うお!この韓流のアクション俳優男前じゃねえか!まあ俺には劣るけどな。出直せ』

『眼科行けよ。この俳優すっげえムキムキじゃん!かっけえ…』

『空もムキムキになったらモテるんじゃね?俺は今でもモテすぎて困るからなりたくねえけどな』

『モテモテ?誰のことだ?ああ。オカマにモテるもんな遼は!何たってオカマのスナックで両手に花状態だったからな』

『ハッ倒すぞ。両手に花どころか両手にジジイだ馬鹿野郎。さっきから喧嘩売ってんのかテメエは』





コーラを持った手を止め、つい最近の遼太と空の会話を思い出す。韓流アクションの連続ドラマを見ていてムキムキの俳優に感動していた空。


そのあと空に貶されていた遼太はムキムキになってやる!と叫んでいたのを庵は聞いていた。


そしてコーラを戻し眼に止まった【元気のミナモト☆これで君もムキムキだ!】を購入。


それは庵の優しさと云う名の、ただのお節介だった。






【完】






《余談その2》






「寿々って何だっけ」




【元気のミナモト☆これで君もムキムキだ!】を手に持ちながら考える。どうやら緑茶と書かれていたメールのことは忘れたようだ。

んん?と悩む庵にハスキーな女性が声を掛かる。





「おお!そのドリンク買うひと滅多に居ないのにアンタ珍しいねぇ?健康に気を使っているのかい?なら此方はオススメだよ」




この神楽坂の売店に勤め約20年程。年配のベテラン店員の川上さん。通称‘オバチャン’として愛されている売店の看板マスコットキャラクター的存在。




「あお、じる―――青汁?」

「健康に気を使っているんじゃないのかい?」




青汁と読み上げ眉を潜めた庵に、首を傾げる川上さん。


健康か…


確か寿々は健康管理を誰よりも気を使っているし怠ってないよね?そう悩む。なら青汁も喜ぶよね?寧ろ頼まれたのは青汁なのかも――――――見事に勘違いした庵。


結局青汁を買う人は珍しいからと川上さんに無料で貰ったのだった。






【完】









【秋】は千の風

【夏】は夏の彦

【春】は春の陽

【冬】は明るい夜








―――オイオイ兄ちゃんよ〜、ぶつかっといて詫びもねえのかよ?





黙れよ、雑魚が





―――んだとテメエ!嘗めてんじゃねえぞ!ああ゛!!?

―――やっちまおうぜコイツ!その透かした面が気に入らねえ!

―――その綺麗な顔二度と拝めなくしてやる!逃げるなら今だぜ?

―――ひゃはは!逃がさねえけどなぁ!!






逃 げ る ?





俺が?


そんなバカな。逃げるのはお前等のほうだと思うけど?


俺はいま頗る機嫌がわるいんだよね。


せいぜい俺に喧嘩売ったこと後悔しろよ――――‥‥‥





事は数分前に遡る







―――――――――――――――――――――――――――――――――――薄暗い夜道。


俺は1人、湿った路地裏を歩く。壊れた街灯がチカチカ光り薄気味悪い。今はこの気味の悪い雰囲気が落ち着く。


蟠りが心を蠢く。自分の変化。周りの変化。少しずつ見え始めた変化に珍しく戸惑っている自分が居る。


改めて考えてみれば神楽坂に入ってからだ。俺の変化は。正しく言うならアイツ等に会ってから――――‥‥






間近で牙龍と響子先輩を一緒に見たのは神楽坂に入ってからだった。どちらも個別でならあったが、セットではなかった。



だからなのか―――――――――ムカついた。近くに居る響子先輩が遠く感じた。


牙龍を思い牙龍を見て牙龍だけを考える。響子先輩の意識を簡単に奪う牙龍が憎い。自ずと意識しなくても無意識に互いの意識を奪っている。


それと同時に理不尽にも、そんな響子先輩に腹が立った。


俺は神楽坂に入るまでは今も此れからもこの先ずっと響子先輩との関係は変わらないと思っていた。それは"友人"。善き相談相手の立場に居ることだ。


でも神楽坂に入った頃から、響子先輩への独占欲が確実に増している俺がいた。


俺だけを見なよ。俺だけを考えて。正に"嫉妬"。それがしっくり来る。俺は牙龍に"嫉妬"していた。


ドーナツ店牙龍が響子先輩と話す俺を睨んでいた。確実にあのとき牙龍は俺に嫉妬していた――――――――同様にあのとき俺も牙龍に嫉妬していた。


俺はアイツ等を馬鹿だと嘲笑った。しかし本当に馬鹿なのは――――‥





「俺か」



一度諦めようとした想いが今になって溢れ出して来ている。愚か過ぎる。一度響子先輩への気持ちに蓋をした。それは相談相手の立場に居たいがために。それを響子先輩も望んでいた。


恋愛なんて儚い。脆い。すぐに消え褪せる。俺は恋愛ではなく時間を選んだ。信頼性の作れる友情の立場を取った。






――――――先ほど廊下で七瀬庵を見かけた。本当にたまたま。


しかしその後に響子先輩が来たのに気づき息を潜めていると、七瀬庵が響子先輩に想いを告げた。


それを見たとき激しい憎悪に襲われた。俺の響子先輩に触るなと。この感情の変化に戸惑ってしまう。最近独占欲が格段に増している。





初めはただ、


よくある子供のお気に入りの人形を取り合う感覚だった。お気に入りの人形(響子)が取られるのが嫌でも駄々をこねる子供(千秋)


そんな意識の程度だった。


しかし違う。
そんな遊び心じゃない。


そんな感覚では済まされない程に後戻りは出来ない程に、想いは募りに積もっていた。牙龍の奴等に会った時点で鍵は開いてたんだ。それに気が付かず、ただ溢れんばかりの独占欲に振り回された。


自覚したなら尚更、




「……誰にも渡さない」




独占欲は強まるばかり。響子先輩に初めて会ったばかりもこんな感じだったな、と沁沁思い出した。


初心に返った気分だ。


どうせなら時間も戻ってほしい。出来ることなら響子先輩と牙龍が出逢う前に。そんな事が出来るなら次は死んでも牙龍と響子先輩を会わせないのに……






「……なんで俺、年下なわけ」




響子先輩と同じ年が良かった。社会に出ればたかが二歳と思うかもしれない。でも餓鬼の二歳はかなりデカイ。








「――――それは、ちーくんが生まれるのが遅かったからさっ」




突如語尾に音符をつけ、かなりのハイテンション。両手を広げ、高々と告げる男。闇夜に紛れ姿を現したのは目当ての人物。






「待たせたね、ちーくんっ」

「何、用って」

「そんなピリピリしちゃダメじゃないか!怖いっ――――――――ちょ、本気で睨まないでくれ!」




冷やかな眼で睨むと慌てて謝ってきた。溜め息を付かれ‘ちーくんは冗談が通じないな’と呆れられた。溜め息をつきたいのは俺の方なんだけど。


そいつは業とらしく、閃いた顔をし口を月形にし妖しく笑った。







もしかして




―――――響子ちゃんと七瀬庵が一緒にいるところを見て怒ってるのかい?





「………お前」

「うはははッ!今日のちーくんは私好みだ。実にいいよ、その瞳。ゾクゾクするじゃないか!」




下で唇を舐めるその仕草は獲物を狩る獣そのもの。ギラギラと欲望が隠しきれず滲み出ている。


最悪。
て言うか何で知ってんだよ。
コイツの情報網の範囲を疑う。


相変わらずコイツのこういう面は苦手だ。


人間に対して歪んだ愛と哲学を持ち合わせ人間観察を趣味としている、この男。


"人"に恋し"人"をこよなく愛し、"人類"に平等かつ純粋に愛を捧げる。【愛】はただの蝕む毒だ。


コイツにとって"人"は人形。ただの人形遊びが好きなんだ。人形の憎悪に塗れた顔や苦痛に歪んだ顔がコイツを刺激する。




「最近姿を見せてないから、心配になってね?」

「御託はいい、要件は?」

「うふふふ。そんなに焦らないでくれよ!捕って喰ったりしないさ仲間じゃないか?」





――――仲間



確かにそうかもしれない、表面上は。





「それとも、まだ怒ってるのかい?あのときのことを」




全てを見透かすような瞳。俺の、鼓動、仕草、心中を手に取るように把握しているかのような。



そして俺を見て嬉しそうに笑う。







「前にも言っただろう?ただの娯楽さ!なんの悪意もない、純粋かつ善意に下らないお遊戯を盛り上げただけなのだから!」




妖しく妖しく妖しく笑う。それはとても奇妙で不気味で。人間に対する狂気的な執着心。コイツは人の憎悪や恐怖に満ちた顔が大好物だから。


愉快だと言わんばかりの笑みで、ただ妖しく笑う。




「響子ちゃんを傷つけたことに怒ってるのかい?なら誤解もいいところだよ、ちーくん」




普段は気にならない、その呼び名。だけど今は憎たらしい。ふざけたように話す話し方も、高い声のトーンもおちゃらけた様子も――全てが俺をの癪に障って仕方がない。





「私は種を蒔いただけじゃないか?芽を育てのは響子ちゃん。花を育てのは牙龍。私はただの傍観者さ」



『実にいい花が咲く瞬間が見れたよ』傍観者を名乗る男は満足げに笑う。


暗い暗い暗い夜道。
深い深い深い闇夜。
この狂喜に渦巻いた感情に足首から呑み込まれそうになる。





「咲いた花には興味ないんだよ。安心してくれ響子ちゃんには、もう興味ないから」

「‘には’?」

「最近、面白い男と会ってね。新たな喜劇が始まりそうな予感なのだよ!」




心を踊らせ声を弾ませる。喜劇は悲劇か。この男が生易しいハッピーエンドで終わらせるわけがない。

求めるのは残酷で残酷で残酷で斬新かつ悪質で、徹底的に完璧なバットエンド。


―――――誰、そのターゲットになった哀れな奴は。


顔も知らない男に同情せずには要られなかった。