亜紀の席に店員がやってきた。頼んだデザートを持ってきたのだ。
「お待たせしました」
隣の席で食べていたものよりも、こうして目の前にある方が何倍もおいしそうに見える。
「早く、哲戻って来ないかなぁ」
そう言ったところで哲は戻って来るはずもない。哲は行きたくもないトイレに向かい、その後にこっそりとクレジットカードで支払いまで済まさないとならないのだ。
「う、うぅ。早くぅ」
亜紀の期待が強いせいなのか、それともこの心地よい温度が影響しているのか、デザートはわずかではあるが溶け始めた。
「ど、どうしよう・・・」
今、食べなければ、せっかくの美味しさが台無しになってしまう。亜紀は意を決した。
「ごめん、哲」
一口口に入れるとどうだ、想像を遥かに上回るおいしさ。それなりにおいしいデザートを食べてきたつもりであったが、それら全てが霞んでしまう。
「な、何これ・・・」
止まらない。止める事などできない。右手に持ったスプーンは、オートメーションのロボットのように、一定感覚で口に運んでくる。その度に感激し、生きている事の喜びを感じずにはいられない。そんなだった。
だから、なかなか戻って来ない哲に対して思うのだ。これ以上、溶けてしまったら食べられなくなってしまう。早く戻ってこいと、振り返ってみるが戻ってくる気配はない。
「あぁ、もったいないなぁ」
ため息のようにつぶやく。これは自分に対する暗示でもあった。そう、哲の分も自分で食そうと考えたのだ。
「哲、戻って来ないなぁ」
もう一度振り向いてみるが同じだ。戻って来そうにはない。決まった。亜紀は自分の方に、哲のデザートを引き寄せると、持っていたスプーンをデザートへ向けて下ろした。あとはさっきと同じだ。ひたすら食べ続ける。
その間に、隣に飾ってあった花が一輪落ちた。それは椿のような落ち方であり、普通の花ではあり得るものではない。
しかし、今の亜紀にはどうでも良かった。そちらを少しも見る事はなかった。もし、一瞬でも見ていたなら、突然訪れる不幸は回避出来たのかもしれない。