そしてある日喜びの現実が訪れました。そうです、第二子が妻に授かったんです。
《今日検査してみたんだけど、出来たみたいだよ、大丈夫だよね。》

《大丈夫だよ、その子の事だけ考えて。健康な子が産まれるように頑張って。》
こんな会話の中に不安と希望が入り混じっていたのを今も思い出します。

私はやはり不安感を持たないように、そして彼にも兄弟が出来る喜びを毎日伝えながら、日々を送り、疲れていても充実感が埋め尽くしていました。

やはり名前をつけたのは妻で私の意見は通りません。安定期に入った頃から妻も、産まれてくる子が楽しくなりだしてくれて、楽しそうなんです。

その顔は本当に優しく少し目がきつくなりだしていました。
私はどちらかというと女の子が欲しかったんです。
何故なら彼のことを考えると大人になった時に面倒や手配というと女の子がいいんではないかと思ったんです。
男の子は旅立ってしまうと思いましたので。
そして妻の事を考えると一緒に買い物など出来るんじゃないかと同じ趣味を持てるんじゃないかと思ったんです。

私達は、産まれてくる子は、産まれた時から重荷をしょってしまう事もわかっていました。
私が今思えば産まれた時から父親、母親と障害を持っていましたから。

確かに成長期には少しは何でという時期はありましたが、今思えば重荷ではなかった。当たり前なんですよ、どんなであれ父親であり、母親であるには変わりない。そう気が付いたからこそ兄弟が当たり前だとなってくれると信じていました。