先生方の頑張りに人それぞれの受け取り方が違うんでしょうね。
私はこんなにも他人の子供に親身になって頑張ってくれている姿を見ては、家で何か出来ないのか、何かやれる事はないのか、一緒に彼の為に親としてやらなければいけないんじゃないかと感じました。
妻も同じように感じて居たらしく、そういえば最近施設に毎日のように通っていたなと思い出しました。先生と話をして、家で出来ること、施設と考えを合わせて彼に対する取り組みをしていくことを、決めていたそうなんです。また妻の方が先に感じ、実行に移していました。やはり私は仕事に逃げている訳ではないのですが、彼や妻との時間の違いを感じ、遅れをとっているんです。
参観した授業の中でも〔あれ、あんなこと出来たか、なあ成長だ、成長してる〕と浮き足立つと、妻からだけではなく、先生からも、〔かなり前から出来てますよ、お父さんどこみてるんですか、彼は彼なりに頑張っているんです。毎日の中でしっかり見てあげて下さい。〕
と、言われ〔そうだな〕と思うんですが、〔いや見てない訳ではないんだけどな〕という全否定されているように感じてしまい、反抗的な考えが浮かぶようになってきていました。

更に他人の子供や友達の子供の行動に、
〔凄い、あんなこと出来るようになりましたね、凄い成長してますよ〕
と、自分の子供もろくに見れていないくせに、他人の子供を見て実際、私の中で比べしまっていました。
〔あんなこと出来るようになったのに、彼はまだかな、なんか全然成長してないな〕
私自身が彼の障害を受け入れておらず、頑張りを全否定してしまっていたんです。
結局自分の中で彼の存在に整理がついて居なかった事が彼に携わっている人とのギャップだと知るのは、今から随分過ぎてからだとは知らず、遅過ぎてしまう自分が後に、現れて来るとは。
参観の最後は食事の時間でした。