「あなた…いつからそんな口たたくようになったの!!」


母は右手を振り上げた。



叩かれる…!!


私は、顔を背けて目を閉じた。



「やめろ!!」


兄が母の手を掴んだ。



「文康!!」


私は体が更に震えた。



「私…ずっと頑張ってるんだよ。ずっと小さい頃からお母さんの理想に近づけるように」


私は声を振り絞って伝えた。


「お母さんが悪いって言うの?お母さんはいつだって咲のために言ってるのよ。お母さんの言う通りにしてきたから今のあなたがいるんじゃない」


母は泣きながら座りこんだ。



「お母さんの言う通りにずっと頑張ってきた。だけど…」


私は息を吸い込んだ。


「私は私なんだよ。本当は怖がりで勇気もなくて、言えなかっただけ…。事を荒立てないように従ってただけ。自分で決めて失敗するのが怖かっただけ…。それが私なの」


母は大袈裟なほどに泣いていた。


「失敗するかもしれない。理想にはほど遠いかもしれない。だけど、私らしく生きさせて欲しいの。嫌いになりたくないんだよ…お母さんのことも自分のことも!!」



私は子どもみたいに大きな声で泣いた。



兄は私を抱きしめてくれた。


「俺は…咲を誇りに思ってる。傷つきたくないってだけでここまでできないよ。咲、ごめんな。俺の分まで頑張らせて」


兄の言葉にまた涙が止まらない。


頭の中には過去の色々な事が浮かんでは消えていき、私は目の奥が痛むほど泣いた。


母は私達を泣きながら見つめていた。


声も枯れ果てて鼻をすする音が静かに響く中、母は何かを決意するように顔を上に向けて大きく深呼吸した。


何が始まるのかと私と兄に緊張が走る。


まさか…またハサミなんてこと…


母の行動に目を見張っていると、母は一瞬フッと笑ったように見えた。


「そうね…咲。お母さん、あなたを信じることにするわ…。あなたらしく生きていく姿を見守ってみるわ」


母は穏やかに言った。



「お母さん…」


私は、母に抱きついた。



何年ぶりだろう…


母はもっと大きかった気がしてたけど、こんなに華奢だったんだなぁ…


「こんなに大きくなって…」


母は私の背中をさすった。


その日を境に、兄は一緒に食事をするようになった。


口数も増えて、そんな様子を父も嬉しそうに見ていた。


あの後、シュンとの電話を切り忘れてたことに気付いて携帯を見るとシュンからメールが来ていた。



『咲、やったな!かっこよかった!!』


シュン…


あんな感情を露わにしたところを聞かれていたと思うと、恥ずかしいんだけど…


でも…シュン、ありがとう。



本当の私、見つけてくれて。


向き合う勇気をくれて。



私が架け橋になれたのかどうか…

わからないけど。


勇気振り絞ってよかった。

みんなの笑顔が増えたから。


今日は久しぶりにシュンと会う。


夏休みの宿題も片付いたし、補習も終わった。



シュンも前期のテストが終わり、夏休みに入ったので久しぶりにゆっくり話そうということになった。



相変わらずキッチンで何かしている母。



「お母さん、シュンと会って来るね。お母さんもたまにはゆっくりすればいいのに…」


私の言葉に、母は顔を上げて笑った。


「そうね。じゃあちょっと休憩しようかしら。これ、シュンくんに」


お弁当箱を渡された。



「何…?」


なんだかいい匂いがする。


「卵焼きと唐揚げ。夕食にどうぞって」



兄に会いに来ては、兄と若菜さんの邪魔になるからと部屋を追い出され、よく母と話すようになっていった。



最初は、困っていた母もシュンの人なつっこさにだんだん愛着が湧いてきたらしく、何かと一人暮らしのシュンを気にかけるようになっていった。
「わかった!ありがとう。シュン喜ぶよー!!」


私は母に心配はかけたくないから7時までには帰るし、相変わらず勉強もしてる。



「行ってきます」


私は、玄関を出た。



待ち合わせはいつもの公園。


シュンはもう来ていた。



「咲!」


シュンの笑顔だ。


私は笑顔で手を振った。



「シュン!見て見て。これ卵焼きと唐揚げ。夕食にどうぞって、お母さんから」


私がお弁当箱を差し出すと、シュンは満面の笑みで、

「うわぁ。すっげぇ嬉しい!!」


そう言って受け取った。



「シュン、その服初めて見る。ネクタイオシャレ〜」

私がネクタイを引っ張ると、

「俺は犬か!」


と言って笑った。



シュンと話すのはすごく楽しい。



暑いのでコンビニでアイスやお菓子を買ってシュンの家に行くことにした。



シュンの家はやっぱりきれいに片付いていて、サッカーボールは相変わらず埃をかぶっていた。



「シュン…前の彼女とはなんで別れたの?」


私の突然の発言にシュンはむせた。



「なんで…急に…ゴホッ」

「いや…なんか気になって」



私はアイスクリームをパクッと口に入れた。



「まぁ…あれだ。嫉妬だな」


シュンの言ってることがイマイチわからない。



「何…嫉妬って」


私が聞き返すと、シュンは話し始めた。



「高校1年の終わりに付き合い始めたんだけど。2年の時に岡田の事件があっただろ…。それで若菜が相談に来るようになって。若菜も落ち込んじゃっててさ。岡田のことも気になるし。まぁ…彼女にとってはやっぱり不安だったんだろうな」


シュンは寂しそうな表情をした。



「好きだったの…?」


私は当たり前過ぎることを聞いてしまったのだろうか。



「そりゃあね…好きで付き合ってたんだから?」


シュンは開き直ったかのように答えた。



「そうだよね…」


私はシュンが急に大人に見えてしまった。



「シュンは別れたくないって言わなかったの?」


「言ったけどね。あの娘と私どっちが大事なの?とか…もう会わないでとか」


シュンはため息をついた。


「最後はもう一緒にいても彼女は泣いてばっかりで…こいつのこと思うなら別れるべきだと思ったんだ」


シュンはテーブルを見つめながら言った。



「それってでも、結局お兄ちゃんや若菜さんの方が大事だったってことだよね…。それとも…若菜さんを放っておけなかったから…?」


シュンは私の言葉に驚いた顔をした。



「どうしたの?」


私が固まってるシュンに聞くと、


「あの時は…もしかすると若菜を放っておけなかったのかもな」



そう呟いた。



「そっかぁ…って今まで気づかなかったの…?」


呆れた顔で聞くとシュンは小さく頷いた。



「自分のことになると鈍感ってやつ…?」


私は笑った。



だとしたら、シュン…本当はお兄ちゃんと若菜さん会わせたくなかったんじゃないかな…



もしかしたら、シュンが若菜さんと付き合えることだってできたかもしれないんだから。



「なぁ、ゲームする?」


私が考え込んでいるとシュンが声をかけてきた。



「うん!」


これは…よくCMで見るやつ。



ゲームはほとんどやったことないけど…



楽しーい!!



「もう…疲れた…」


シュンはぐったり床に倒れた。



「おっさんだね…」


私はシュンを見下ろして言った。



「うるさい!!コノヤロー」


シュンは私を足で挟み込んだ。



「きゃあ!」


私はバランスを崩して倒れ込んだ。



「重っ…」


シュンの胸に顔を埋める形で着地した。



「もう!シュンが悪いんだよ!!」


私は顔が熱くなっていた。


起き上がろうとすると、シュンに腕を掴まれた。



心臓が飛び出た…


ぐらいの衝撃が走った。



「さっきの話…絶対秘密だからな」


シュンが低い声で言った。


「わ、わかってるって…」

私はシュンの手を振りほどいて起き上がった。



若菜さんのこと…そんなに好きか。



時計を見ると6時前だった。



「もう帰らなきゃ」


私が言うと、


「送るよ」


シュンが起き上がった。



「いいよ、近いし」


私は玄関に向かって歩いた。


シュンが追ってきた。



「ここでいい…」


私は外に出た。



なんかモヤモヤする…


変なの。



「咲…」


シュンが追って来た。