夜更けの市場通り。

昼間の賑わいも消えてひっそりと静まる通りを、二つの月が煌々と照らし出す。

まんまるに近いそれから惜しげもなく注がれる光は、所々に設置されている街灯の灯りも必要のないほどに明るく、店の屋根や石畳を艶々と光らせていた。

広場にある噴水の水は止められ、各通りに点在するお酒を提供する飲食店以外はきっちりと戸が締められ、昼間はたくさんの人が行き交う通りも、今は酔っぱらった紳士が千鳥足でふらふら歩く姿があるくらいで、他に出歩く者は誰もいない。

多くの民が活動を止めて、ゆるりと寛ぎのひとときを過ごす、今は、そんな時間だ―――



「さて、と。明日の下拵えも出来たし・・・。あぁそうだ。そろそろ春らしいケーキを作らないといけないねぇ・・・」



どんどん暖かくなって、木々や草花が芽吹く季節。

やっぱり、柔らかな色合いのものがいいだろう。

あれこれと悩みながらも楽しげに道具を片付けるのは、『喫茶 空のアトリエ』の女主人サリーだ。


西通りに建ち並ぶ多くの店の中、外れの方にあるこの店だけは、未だ施錠せずに開けていた。

灯りは点けず、『本日終了』の札を掛けながらも戸締りをしないでいるその理由は、あるお方との約束があるから。



「遅いねぇ・・・やっぱり、仕事が忙しいんだろうねぇ」



『話したいことがあるから、来て欲しい』と使いの人に手紙を託したのは昨日。

そして『今夜寄るから待っているように』との返事を貰ったのは今朝の事だ。


本当は、手紙など出さなくても、物好きなことに週に2~3度は店に来てくれるのだけど。

でもその方が来る度に、優雅な手足から繰り出される一挙手一投足にやたらとドキドキさせられてしまい、毎回ロクに話が出来ずにいるのが目下の大きな悩みの一つ。

あのまっすぐに自分に向けられる綺麗な瞳を見ると、どうにも緊張してどうしていいのか分からなくなる。



“あ・・・ちょっと、お茶を――”などと言い訳を作って、つい逃げてしまうのだ。

それを、“サリー?そんなのはいいから、ここにいてくれないか”と、いとも簡単に捕まえられてしまうのが常だけど。



「でも今回だけは、重要な話があるんだ・・・今夜は、しっかりしないと」



だから、普段ならば決して書くことのない手紙を出したのだ。

最初から話があると分かっていれば、優しいあの方は話しやすい雰囲気を作ってくれるはずなのだ。

そう、多分きっと。


片付けが終わって、しんと静まった店の中に一人でいると、次第に緊張感が高まってくる。



「な・・なんだい、いつもは下ごしらえの真っ最中に来る癖にさ。今日に限って遅いだなんて、ますます緊張するじゃないか」