彼女は遠く離れた壁際に瞬時に移動していた。

その跳躍力に唖然としてしまう。


「っ、申し訳御座いません。私などがユリア様と月を眺めるなど、許されることではありません。どうか、今のこと、お忘れください」


慌てたように言うと、姿勢を改めて一歩前に出た。

言葉を待つようにそのまま黙っている。

室長は怯えていた。

侍女が職務中に任務以外のことで主と過ごすことなど、この城では禁じられていること。

こんな風に向き合ってること自体あり得ないことなのだ。

まして会話などもってのほか。

使う者と使われる者。

主と侍従の関係を崩してはいけない。

侍従長に報告されれば、厳しい咎めを受けることになる。




―――そういえばあの時、あの子たちも会話をすることを拒んでいたっけ―――



ユリアは目覚めた当初に、身支度を整えてくれた3人の侍女たちを思い出した。

二人で月を眺めた時間は僅かな時であったとしても、職務に忠実な室長の心の中は規律を破った罪悪感で一杯なのだろう。

俯きがちな表情は、どうしてそんなことをしたのだろう、と後悔の念に囚われているようにみえた。




「・・・パメラ、ありがとう。貴女のおかげで楽しい時を過ごせました。ご苦労様でした」



室長の瞳が見開く。パメラとは自分の名。

職務名の室長ではなく、目の前の主は個人名を呼んだ。

“個人的に私が呼んで、命じたのです”と言ったも同然なのだ。

侍女たちは仕える主の命には逆らうことが出来ない。

職務外の時間に、一緒に月を眺めろ、と言われれば従わなければいけない。

淡黄色の瞳を見つめる黒い瞳は、そういうことにしましょうと、暗に言っていた。


優しい心遣いに室長の胸が熱く痛む。

潤みかけた瞳を気力で押さえ、いつものように姿勢を正した。



「とんでも御座いません。お楽しみいただけて光栄で御座います・・・ですが、ユリア様、そろそろおやすみになりませんといけませんわ。明日に差し支えますもの。さぁ、ベッドにお入り下さいませ」


本来の目的を果たすべく、室長の手が優雅にベッドを指し示す。


「今、眠いと思っていたところなの」


それに従って移動し、ユリアは素直に毛布にくるまった。

本当は、眠くない。

もう少し外を眺めていたかったけど、役目とはいえこんな遅い時間まで仕事をしている室長にこれ以上手数をかけたくなかった。


「明るすぎますもの、カーテンも閉めておきますわ。ユリア様、おやすみなさいませ。良い夢を―――」

「おやすみなさい、パメラ」