「忘れたのか? 5億のことを」
「あれはあなたのお金。私のお金じゃない……。
だって私、エレクトロニクスも辞めて来たの……」
 何故かそれが一番に浮かんだ。そう、そうだった。
「私、辞表を出したの……」
「仕事が、エレクトロニクスでの仕事がお前の生きがいだろう?」
「生きがい?」
 思ってもみない言葉を言われて、顔を上げた。
「ああ。……時々、刺身で腹痛をおこしたと休むこともあったが、楽しんで行っていた」
 突然、巽のベッドの中で過ごしたことが頭の中でリアルに再現される。
「そう……ね……」
「……客の前で泣くホステスがどこにいる。お前には向いてない。エレクトロニクスに戻りたければ、戻してやる」
 声が漏れないように、歯を食いしばった。肩が揺れないように、腹にぐっと力を込める。
「私、まだ借金あるし……」
「……」
「水野って人が私の世話人……なんだけどね。その……内容、知ってるんでしょ?」
「ああ」
「最上も離婚して、千さんとうまくいってるみたいだし……」
酒もつくらず、ただテーブルを見つめて、泣きながら小さく会話をする様子を見て、ママがこちらに寄って来たが、巽は席に着くことを許さなかった。
「二百万は俺が払う。お前は俺に金を返せ」
「……」
 動揺した。その手に乗りたいという自分が、心の中にたくさんいた。
「お前は俺の秘書として働け。給料は手取り二十万。そこから半分は借金返済をしてもらう。……一年とはいかないが、二年で足りる」
「……」 
 綺麗なスーツに身を纏い、巽の世話をする自分が浮かんだ。
 ここから、抜け出せる……。
 水野からも、離れられる。
「でも、私は……」
 何か言おうとしたが、言葉が出なかった。その案を断るだけの。