エレベーターを降りて、どうしようか携帯を出した時、
「よっ」
 聞きなれた声に顔を上げると、
「夕ちゃん!!」
「何してんだ、こんなとこで」
 やはり、ピシっとキメたスーツ姿で現れた夕貴は、やはり、どこかしら夜の匂いをまき散らしている。
「んー、ぶらぶら。今からどうしようか迷ってたとこ。何、暇なの?」
「今仕事片付いたとこ」
 香月は携帯の時計を見た。
「今? まだ早い時間だよ」
「今日は昼間の仕事。今から帰りだよ」
「なーんだ。既婚者は大変だね」
「いや、飲みにでも行くか?」
「いいよ。奥さん家で待ってるんでしょ」
「ところがどっこい。今日は会社の送別会で遅いんだ」
「へー、そうなの。じゃ、行く?」
「ああ。お前に会わなきゃ、ビデオ借りてゆっくり見るところだったけどな」
「え、いいの?」
「いいよそんなこと。いつでもできる」
 いつでもできないから、今日しようと思ったのではないか。
 しかしどちらにしても、夕貴とはそんなことで気を遣いあうような友達ではない。
「久司も呼ぼうか……って冗談だよ」
 すぐに夕貴の表情は変わる。
「お前、いつになったら忘れられるんだろうな」
「いいんだよ、憧れの先生、で」
「そのうち人体実験にされるのがオチだよ」
「でもね、夕ちゃんがどんな嫌味言っても、否定できないところがまた、ちょっと悲しいんだけどねー」
「大いに悲しめ!!」
 つまりその、巽との腹立たしさや悲しさを十分忘れることができた偶然の2人だけの飲み会があったために、香月は巽の機嫌が悪かったことを、ここ2日忘れていた。
巽との連絡が2日ないことなど、もはや常識で、むしろ2日以内に連絡をくれることなど今まであったかどうかの方が怪しい。
 だから今、携帯電話が繋がらないことに、様々な後悔心が溢れるように湧き出ている。