「なによ? 人の顔をまじまじと見ちゃって? もしかして顔に何かついている?」
 周の探るような視線が気になる。この男がするにしてはおかしな表情だ。
 さっき教室で食べた菓子パンの食べかすが口元についているのか知らん? 
 乙女の常識として、手鏡で自分の顔をチェック。うん、大丈夫。ざっとメイクに崩れがないかを確認して周に向き合う。
 おや? 表情がいつもと同じ、したり顔のにやけ面に戻っていやがる。
「いや、大丈夫だ。いつも通り面白いぞ」
 何だとこの野郎。
「あら、ありがとう。お礼にあんたの顔を笑えなくしてやるわ」
 両目をスッと細くして不機嫌な表情を表に出し、わざとゆっくり歩いて周に近づいていく。手がギリギリ届かない距離でいったん停止。おもむろに周から視線を外し、彼の描きかけのキャンバスの隅に置かれているものにピントを合わせた。
私が注視しているものを見て周が慌てて立ち上がる。
「まて、落ち着け、紫月たん。そんな目でペインティングナイフを見るな。あれは絵の具に対して使うものであって、決して人に向けるものではないぞ! はい! 大きく深呼吸-」
 さっきまでの余裕たっぷりのにやけ面も完全に消え失せ、周は微妙に引きつった笑顔を披露している。正直、いい気味であるが、乙女の顔を面白いと表現した罪を償えるほどではない。
 しかし、周は大きな勘違いをしている。ペインティングナイフは一応ナイフの呼称を持つものだが、その切っ先はそれほど鋭利ではなく、殺傷能力は低いと言える。見敵必殺のこの場面では少々頼りない武器だ。だから、私はそれ自体を武器として使うつもりなどない。
「……安心して。別にそれであんたを刺したりはしない。それを使って、あんたの顔にこんもり絵の具を厚く盛り付けるだけ。今より少しは見られる顔になるはずよ……」
「いや、この絵の具は人体には有毒だからな? 安心なんて出来ないぞ?」
「当然、知っているわよ」
 だからこそ、あんたの顔に塗りたくるんじゃない。