どれ位の時間、星を眺めていただろう。
 吸い込まれそうな夜空を見ていると自然と口数が減り、ただ目の前にある圧倒的な美しさに呆然とするだけで、言葉なんて既に必要無くなっていた。

「……。――?」

 ふと、彼の頭が何度も垂れてくるのに気付き、びっくりさせないようにそっと問いかける。

「眠い?」
「うーん……。流石にここ最近はまともに寝ていなかったからね」

 叶子の声で慌てて頭を上げたジャックは、目をこすりながら小さく欠伸をした。

 自分と二人っきりでこの時を過ごそうと思ったジャックは、仕事を詰めて休暇を取ったと言っていた。普段でも睡眠時間は三、四時間程しか無いと言っていたのだから、仕事を詰めた事によって徹夜になった日もあったかも知れない。
 それなのに、彼から連絡が無いだけでまるで抜け殻の様になり、仕舞いには彼に飽きられたのかと疑ってしまっていた自分が情けない。

「そうだ、ここのお風呂は夜空を見ながら入れるよ」
「えー! 気持ち良さそう!」
「……一緒に入る?」
「っ!?」

 眠気を我慢しているその瞳はトロンとしていて、相手は男性だと言うのに妙な色気を感じて胸が高鳴ってしまった。

「嘘、嘘、冗談だよ。僕は部屋のシャワー使うから君はソコで入っといで」

 真っ赤にした目に涙を少し浮かべて笑っているが、極度の眠気のせいか彼の笑顔が少なくなっていた。


 ◇◆◇

 リビングの扉を開けると先にシャワーを済ませた彼が、ソファーに横になり本を読んでいる。もう一方の手にはロックグラスがぶら下がっていた。

「何飲んでるの?」

 叶子の存在に気付いたジャックはグラスをテーブルの上に置くと姿勢を正し、本と眼鏡も置いた。
 髪の雫をタオルでふき取りながら、叶子はジャックの隣に腰を下ろす。

「ベイリーズっていうリキュールだよ」

 そう言うと彼女にグラスを渡し、それをコクンと一口含むと叶子の眉が上がった。

「んー! 甘くておいしい」
「でしょ?」

 ジャックは立ち上がるとキッチンへと向かい、ロックグラスに大きな氷を一つ入れる。カラーンとベルが鳴るような綺麗な音がすると、冷蔵庫からボトルを取り出しグラスへ注ぎいれていく。
 そして、そのままボトルと共に戻ってきた彼にグラスを手渡され、又乾杯をした。


「ちょっと……飲みすぎじゃない?」

 心配そうな顔をした彼をよそに、叶子はまたボトルに手を伸ばす。それ程お酒が強くない叶子でもグビグビいけるこのお酒が妙に嵌まってしまったのか、気付けば彼よりも多くお代わりをしていた。

「だっておいしいんだもの。明日も休みだしいいじゃない。――あっ」

 自分のグラスに自ら注ぎいれようとする叶子の手から、ボトルが取り上げられる。途端、叶子の眉根には深い皺が刻まれた。

「もうおしまい」
「えー? 貴方が薦めたんじゃない!」
「そうだけど。……飲みすぎだよ」

 叶子から取り上げたボトルが妙に軽い事にぎょっとし、天井のシャンデリアに透かして茶色の瓶を覗き込んだ。確か新しいボトルを開けたはずなのにもう四分の一程しか残っていない。
 余計なモノを教えてしまったもんだとジャックは嘆き、額を手で覆った。

「……。」
「──。あっ、こら!」

 隙をついて彼からボトルを奪い返すと、彼も又ムキになってボトルを取り上げようとしている。

「あと一杯だけ! ね? お願い!」

 さっきはあからさまに不機嫌だったのが、今後は手を合わせ“お願い”と来た。
 小さく溜息を吐くと、ジャックは両手を広げて肩を竦めた。

「オーケー。じゃあ一杯だけだよ?」

 ジャックがそう言うと、大きく頭を上下した叶子はとても嬉しそうな表情を見せた。
 彼女からボトルを受け取り、コポコポと叶子のグラスに注いでいく。
 その彼の綺麗な横顔を見つめながら、うっとりとした顔で叶子がポツリと呟いた。

「私を酔わせてどうするつもり?」
「へっ!?」

 思わず手元が狂って零しそうになる。自分からお代わりをせがんでおいて人のせいにする彼女は、確実に酔っているのだと思った。
 どちらかと言えば、ジャックが叶子を酔わせようとしているというより、叶子自ら酔いたがっていると言った方が筋が通るだろう。酔っているからこそ冷静な判断が出来なくなっているのだと言い諭すつもりで横に座っている叶子に視線を移すと、ほんのりと火照った頬と妖艶な眼差しでじっと見つめられ、思わずゾクッとした。

 途端、二人きりで一晩共にするという今の現実を急に意識してしまったジャックは、激しくうろたえだした。

 以前、拒絶されたあの日から、そういう類の邪念は闇に葬り去った。今は身体を繋げる事よりも、心を繋いでいく事の方が大事だと思うようになっていたし、今日ここで過ごす事に関しても今まで通りに接するつもりだった。
 ──でも、今日はあの日とは訳が違う。

 なんだか今日の叶子はジャックを誘っているかのように見えた。

(……いや、ダメだ! 今の彼女は酔ってて冷静な判断が出来ないで居るはずだ。きっと掌を返されるに決まってる)

 煩悩を書き消す様にして両手で自分の顔を叩き、努めて冷静に振舞おうとした。

「や、やっぱり飲みすぎだよ。もう寝た方がいいね」

 だが、上擦ってしまったその声が動揺しているのだと表している。耐え切れず立ち上がろうとしたジャックの腕を巻き取り、強引にソファーへ座らされてしまった。

「酔ってないよ。ちゃんと判ってるから」

 虚ろな目で彼を見つめる叶子の瞳は潤んでいて、近づいた際に香るシャンプーの匂いも相まってやけに扇情的に思える。そんな叶子に見惚れてしまい言葉を無くしていると、徐々に叶子の顔が近づいてくる事に目を見張った。

「カ、ナ」

 徐々に伏せられていく長い睫毛。それを見つめていると、ゆっくりと口唇が触れ合う感触がした。
 まるで口唇を舐めるようなキスを交わし、一旦距離を取って目の前にいるジャッに視点を合わせる。

「甘い――」

 先程のリキュールの味がするのか、赤い舌を覗かせ自身の口唇をペロリと舐め上げると下唇を軽く噛んだ。

「――っ」

 叶子のそんな仕草を見せられては、流石のジャックも平常心ではいられなくなってしまう。
 気付けばピンク色に染まったかわいい頬にそっと手を伸ばし、頬から口唇を伝って指を這わせていた。

「わかってるって……一体どういう意味?」
「んもぅ、口で言わなきゃダメ?」
「質問に質問で返すのは良くないなぁ」
「いつからそんなに意地悪になったの?」

 眉を顰めてはいるが、怒っているわけではない。しばし、恋人同士の甘い戯言を楽しもうとしていた。

「こんなに優しい男はいないよ? 君が発言しやすくさせてあげてるだけなのに」

 二人でくすくすと笑い合うと、お互い引き寄せられるようにして深く口唇を重ねていった。