クローゼットを開け放ち、奥から大き目の旅行バッグを取り出して適当な荷物を詰め込んでいく。

(本当に彼の家に行って大丈夫なのかなぁ)

 肩で大きく息を吐き、振り返ってすりガラスの向こうにある玄関を覗いて見ると、大きな黒い塊がゴソゴソと蠢いていた。

 旅行に来たつもりで泊まりにおいでと言われ、荷物を取りに一旦自宅に戻ろうとしたところ、荷物を運ぶのが大変だろうからと彼も一緒についてきたのだった。
 確かに、彼の言うとおり一緒に住んだ方が会える時間もぐっと増える。それは叶子にとっても嬉しい事だが、あの家にはカレンやまだ会った事のない彼の三人の子供達がいる。今まで接して来た中でのカレンの印象はお世辞にも良いとは思えず、今後も顔を合わす度に何か嫌みを言われそうな気がしてならない。その上、彼の子供達とも上手くやっていかなければならないのだから、中途半端な気持ちで行く事は出来ない。

「……やっぱり無理だよ」

 荷物を詰める手を止め、すりガラスの扉をカチャリと開けた。

「──? 準備できた?」

 狭い玄関で座り込みながら本を読んでいた彼が振り返る。そんな彼の表情はまるで、これから旅行にでも出かけるみたいにわくわくしているような顔をしていた。
 自分とは真逆の表情を見せた彼の顔がまともに見れない。俯きながら首を横に振った。

「……ゆっくりでいいよ。僕この本読みたいから」

 叶子の表情を見て何かを悟ったのか、ジャックの顔がふっと曇る。そのまま彼女に背を向けるとジャックは再び読書に戻った。

 彼は本当に頭がいいのだと言う事を思い知る。
 本を読み始める事によって、これ以上叶子がいらぬ考えを起こさない様に、そしてこれから彼女が自分の非になるような発言をしようとしているのを感じ取り、それを遮る為に彼が仕向けたものだった。

 そして、その彼の思惑通り、叶子は彼に声をかける事が出来なくなった。

「……? ──。」

 彼の肩に手を置くと、大きな背中に叶子の顔が埋まる。その行動によって、彼の作戦はあっけなく失敗に終わってしまった。
 肩に置かれた彼女の華奢な手をそっと握り締めると小さく溜息を吐き、半ば諦めた様子で叶子に話しかけた。

「どうしたの?」
「私、やっぱり行けない」
「そう言うと思ったよ」
「ごめんね」
「いいんだ。壁が高ければ高いほど上り甲斐があるからね」
「……。」

 彼は本を閉じると眼鏡を外してシャツに引っ掛け、その場でスクッと立ち上がった。

「……本当は振り返って君を抱きしめたいけど、暴走しそうだから止めておくよ」
「あ、――。」

 今度は叶子にも聞こえる位の大きな溜息を吐いた。

「また……電話する」

 それだけいい残すと振り返ることもせず、ジャックは部屋を後にした。