結局その日から、私と紗理奈ちゃんは毎日一緒に帰ることになった。おかげで私と来季の二人きりの時間はなくなって、帰りに手を振ることさえ出来なくなった。
休み時間も毎回来季のところへ来るから、話せるのは、唯一あの時間だけになってしまったのだ。しかしその時間さえも、私は来季に話しかけることができなかった。
「……紗理奈って、可愛いけど、性格はちょっとね」
「そうなの?」
「だって、そうじゃない。前にも、優奈の彼氏盗ったらしいし」
「そうなんだ……」
思い浮かんだのは、付き合っているのかどうかを聞いたときの、あの笑顔だった。でもそれ以外では、とてもそんな子とは思えない。それにどんな過去があっても、紗理奈ちゃんはきっと、純粋に来季のことが好きなのだろう。
「来季にこのこと、言った?」
私は首を振った。
「言いたくない……」
私のせいだし、そんな情けないところを見せたくはない。前にも言ったように、まず何よりも、嫌われることが怖いのだ。
陽菜が何か言おうとしたけれど、A組の人が出てきたので、私はスクールバッグを背負った。
「じゃあね!」
私は逃げるように、せかせかと部室へ向かった。
どうしよう。このままでは本当に、来季を盗られても仕方ない。どうしたら……。
何度も考えを巡らせるが、いきつく結論はいつも同じだった。しかしとても実行できそうにないので、なかなかこれを結論と言う勇気は出てこない。
それでも、やっぱり。……本当のことを言うしかないのだろうか。
暗い表情でバッグを漁っていると、突然部室の扉が開いた。私は体をビクリと震わせ、扉の方を見た。
「柊さん、いる?」
明るい声と一緒に、紗理奈ちゃんが入ってきた。
「紗理奈ちゃん。どうしたの?」
「あっ、いたいた!あのね、報告に来ちゃった」
報告?嫌な予感が、頭をよぎる。ああ、これが気のせいであれば良かったのに。
「あたし、今から来季に告白してくるね」
彼女は一言だけ言い残し、意気揚々と部室を出て行った。
言わなきゃ。本当のことを言わなきゃ。来季は私の彼氏だよって、嘘ついてごめんねって。
でも、残された私には、彼女を追いかける気力さえ残っていなかった。
その日は部活が終わるなり、すぐに走って帰った。来季にも、紗理奈ちゃんにも会わないように。二人がどうなったかなんて、……知りたくない。
次の日も、私は自然と紗理奈ちゃんと来季を避けていた。紗理奈ちゃんが教室に来る前に他のクラスに逃げて、時間ギリギリまで友達と話していた。とにかく会いたくなかった。本気で休もうかとさえ思った。
すると突然、ひどい頭痛に襲われた。頭がクラクラして、意識がもうろうとする。仕方なく、保健室で休ませてもらうことにした。
「たぶんストレスだね。最近悩み事でもある?」
保健の先生は、心配そうに私の顔を覗き込んだ。悩み事なんて、一つしか思い浮かばない。少し寝てなさい、と言われたから、ベッドに潜り込んで目を閉じた。あたたかい布団が心地よくて、そのまま眠ってしまった。
チャイムの音で目が覚めた。授業、終わったみたい……。結局サボってしまった。私が起きたことに気づいたのか、カーテンの向こうから先生が入ってきた。
「柊さん大丈夫?次給食だけど、食べられる?」
私は弱々しく首を振った。食欲も気力も全く無い。ただ、きしむような頭痛と、だるさがあるだけだ。
そのとき、扉の開く音がして、誰かが入ってきた。
「すみません。紫苑、いますか?」
「陽菜?」
「あっ、紫苑!大丈夫?」
うん、と小さく頷いて、ほくそ笑んだ。私を心配してわざわざ来てくれたことが、素直に嬉しい。
「うーん、食欲ないか……今日はもう帰る?」
できればその方がありがたい。私は大きく頷いた。荷物は陽菜が教室から持ってきてくれて、親がすぐに迎えに来てくれた。
「ごめん、部活休むって伝えといてくれない?」
「わかった。お大事にね」
気を使ってなのか、来季については何も言わなかった。その日の夜、ケータイに来ていたメールは二件、陽菜と真希からだった。「大丈夫?」だとか、「明日来れる?」だとか。
私はお礼と、陽奈に明日の時間割を聞いて、布団に入った。もちろんどちらも嬉しかった。けれど、本当に来て欲しかったのは……。
私は電気を消して、枕に顔を押し付けた。
次の日の朝も、憂鬱だった。頭痛は治ったけど、不安なのと怖いのは変わらない。
「おはよう……」
呻くように言いながら教室に入ると、何故か人だかりができていた。気になってその中をのぞき込むと、中心に女子がうずくまって座っていた。
「うわ、きたよ。サイテー女」
「よく学校来れるね」
彼女の周りの女子が、私に向かって次々と暴言を吐く。そして中心の女子が顔を上げたとき、私は何も言えなくなった。
そこには、目を赤くした鳴神紗理奈がいたのだ。
そんな私の前で紗理奈ちゃんが立ち上がり、肉食獣のようにこちらを睨みつけている。
「なんで……っ、なんでこんなことするの……?人の好きな人盗って楽しい!?」
まるで悲劇のヒロインのようにそう吐き捨て、周りの人だかりと一緒に教室を出て行った。後には少しのざわめきと、荷物も置かずに立ち尽くした私がいた。
何がなんだかわからない私に陽菜が慌てて近づき、事の経緯を教えてくれた。私は荷物を机に無造作に置いて、陽菜の話を理解しようとする。
それはまとめると、私が紗理奈の好きな人を盗ったことになっていること。それを紗理奈が、今のようにいろんな人に広めていること。大体このような内容だった。
「えっ?何それ……」
私の頭に驚きと疑問が一度に来て、真っ白になってしまった。しかし何よりも、ある期待が私を強く揺さぶっている。信じられないほどの、期待が。
「ねぇっ!来季は……」
「何?」
いつの間にか教室にいた来季が、キョトンとした顔で私を見た。そういえば、来季と話すのは久しぶりだ。今は喜んでる場合ではなさそうだけれど。
「来季……」
「ん?」
ついさっきまではいなかったのだろう。全くそういう素振りを見せない。それとも気を使っているのだろうか。……いや、きっと前者だろう。
周りの視線が、私達に集中する。
「ちょっと……来て」
私は来季の腕を引き、逃げるように教室を後にした。
無人の空き教室に入って、扉を閉める。廊下のざわめきに反して、ここはとても静かだ。
「来季。一昨日、紗理奈ちゃんに……」
「ああ、うん」
来季も、さすがに何の話だかわかったようだ。胸が苦しいくらい、心臓が高鳴った。舌を噛まないよう気をつけて、私は声を絞り出す。
「それで、来季はっ、どうするの……?」
「……」
やはり、いくら気をつけてもダメだった。声が震えて、うまく出せない。沈黙の中、私の鼓動ばかりが続いて、私はさらに不安になる。
「……った」
沈黙を破ったのは、来季の声だった。