[修正版]草食系彼氏


 窓から差し込む光に照らされて、私の頬は赤くなる。いつもは騒がしい教室に今、私と彼以外に人はいない。

 大丈夫、大丈夫。何度も自分に言い聞かせる。今言わなきゃ、せっかく呼び出したのが無駄になってしまうから。胸の鼓動を押さえながら、私は一息に言った。

「あの、あの……っ、付き合ってください!」
「うん」
「えっ……!ほ、本当に?」
「え?あっ、んーと……はい」

 曖昧な返事に戸惑いながらも、顔はにやけて、心の底から感情が溢れる。

 嬉しい……!



 草食系な彼氏と、心配性な彼女。不安だらけの二人の物語は、このとき、始まった――


「来季、おはよっ」
「おう」

 この何だか素っ気ない無愛想な男子は、椎名来季という。輪郭はとても整っているけれど、瞳は丸くて頬もふんわり膨らんでいるから、ハンサムとは言えない。でも、私にとっては一番素敵な人だ。

 そして、私こと柊紫苑は、実は彼と交際中なのだ。すなわちカレカノ、またはカップル。


 ……の、はずなのだけれど。

「ねえ、来季」
「ん?」

 来季が振り向いて、眠そうなトロンとした目でもって私を見る。その様子がかわいくて、私の心の奥はほんわかする。
 でも、それだけで満足しそうになるのを抑えて、私は言った。

「あのね、その……私の名前、呼んでみて?」

 急に黙ってしまった。戸惑っている様子が空気で伝わる。私は少し残念そうに、でもいつものことなので、もう、とふざけて来季の頬をつねった。


 ところで彼の性格はといえば、クラスの騒がしい男子とは違い、どちらかといえば大人しい方だ。

 ……ただし、女子に対してのみ。

 実は彼は、彼女の、というか女子の名前も呼べないような、とんでもないシャイなのだ。もちろん、女子に話しかけるなんて有り得ない。少なくとも私が彼と出会ってからは、一度も見たことがない。

 まさに草食系。

 そんな彼女も呆れるような男子を、どうして好きになってしまったのかというと、

「……そろそろ離してよっ?」

 この表情や、話し方、全てが全て、私のツボだったのだ。女子に慣れていないせいなのか、時々こういう幼い言い方をする。反則じゃないかってくらいかわいい、あどけない表情もする。ちなみにほっぺもやわらかい。

 そして何より一番好きなのは、彼の優しいところだ。元々いいなと思っていたけれど、さりげない気遣いを見て、本気で好きになった。
 ずっと一緒にいたい。そう、思ったから。

 でも残念ながら、いつもこうとは限らない。声も出さずに頷くだけのこともあり、そういうときは、単純に落ち込む。嫌なことでもあったのかな?私のこと嫌いなのかな?なんて、そのたびに考えてしまう。

 思っていることを言葉にしないから、何を考えてるかわからない。草食系男子の扱いは、けっこう大変なのだ。だから私は、いつも来季を気にしてばかり。

 来季が恨めしそうにこちらを見ているので、私は、ごめんごめん、と手を離して笑った。


 ねえ来季。私達って、本当に付き合ってるのかな……?


 スクールバックを廊下のロッカーに片付けて教室に戻ったら、来季が自席で本を読んでいた。何だか気になったから、話しかけてみる。

 本当は、話すための理由が欲しかっただけなのだけれど。

「来季、何読んでるの?」
「ん」

 そう言ってブックカバーを外し、本の表紙を見せてくれた。外国のファンタジーの和訳版のようだ。私が見たのを確認してから、またカバーを付け直す。

「ふうん……。その本、おもしろい?」
「うん」

 嬉しそうに言う彼を見て、私は、そっか、と笑った。

 端からは、無愛想な男子にちょっかいを出すお節介な女子、に見えるのかもしれない。
 でも、ある意味正解だ。話しかけたり、誘ったり、行動するのはいつも私からだから。来季の方から話しかけられることは、ほとんどない。というか、ない。

 それを知っていながらの告白だったから悔いは無いし、付き合えただけでも充分嬉しい。女子が苦手ってところも、かわいい。

 そう、思っていたのに。


 月日が経つにつれ、少しだけ、不満もでてきてしまった。もちろん、来季が嫌いだとかそんなことは絶対に有り得ない。

 まず一つ目は、最初に言ったように、名前を呼んでくれないことだ。そんなこと照れてても仕方ないじゃない、なんて思ってしまう。

 二つ目は表現力が少ないところで、一応彼氏と彼女なのに。とりあえず、私にとっては。
 それなのに、まだ、好きと言われたことがない。そういう素振りを見せてくれたことも、一度もなかった。

 わかっているつもりだったのだけど、それは本当につもりだったようだ。
 でも告白したのは私からだから、仕方ないって諦めている。そこも含めて来季だから、来季は特別だからって、自分に言い聞かせて。

 登校完了時刻を知らせるチャイムが鳴って、廊下にいた生徒達が次々と教室に入ってきた。

「じゃあ戻るね」

 止まない喋り声とざわめきの中、私も急いで自席に戻った。


 今日の一時間目は英語だった。年にしては元気な女先生が、黒板にカツカツと英文を書く。

「今日はペアで対話練習をしてもらいます。はい、隣の人と向かい合ってー」

 私達の教室は、男女が列で分かれていて、男子列、女子列、男子列……と交互に並んでいる。つまり私のペアは男子で、来季の相手は、女子だ。

「じゃあ、始めて」

 全員が一斉に教科書の対話文を読み始める。私の席は一番後ろだから、周りの様子がよくわかる。隣と交互に教科書を読みながら来季を見ると、真面目に対話練習をしていた。

 来季は勉強に関しては真面目で、それなりに頭も良い。だから、授業という肩書きの上でなら女子とでも普通に話せるみたいだ。

 この前の数学も、近くの女子にわからないところを教えてあげていた。お互いに一つのノートをのぞき込むから、顔が近いのに、来季は全く気にしていなかった。


 ……別に、構わないけれど。

 普段あまり見ない光景のせいか、少しだけ、本当に少しだけ、胸が塞ぎ込む。苦しくなる。

 楽しそうで良かったねー、なんてひねくれてみたり、話してる女子がやけに可愛く見えてしまったり……簡単に言うとすれば、妬いているかもしれない。

 別に、別に、他の女子と話すことなんて、普通なのに。周りの男子はみんな自然に話していて、いちいち咎めることなんてできないのに。

 確かに来季は、特別なのかもしれない。でも、だからこそ、不安だ。

 いつか来季に、気軽に話せる女友達ができることが。