「ノロケで悪い?で、そっちはどうなの?名前、呼んでもらえた?」
「うわ、開き直らないでよ。んー、ダメだった。まあ期待はしてないけどさ」
私が苦笑しながら言うと陽菜も、だろうね、と笑った。その笑顔を見るたびに、かわいいな、といつも思う。ぱっちりした黒目がちな瞳は、目上ぎりぎりでばっさり切られた黒髪によく映える。本当に、吏人なんかには勿体ないくらいだ。
「あっ、それでさあ……」
「起立」
隣の教室から、委員長の号令が聞こえてきた。楽しい時間は終わり、教室ではしゃいでいたみんなも、それぞれ部活に向かう。
「それで、何?」
「ううん、後でメールするね。じゃあバイバーイ」
「また明日ー」
陽菜が荷物を持って吏人のところへ行くのを見送り、私も自分のスクールバッグを肩にかけた。来季もエナメルバッグを持って教室を出ようとしている。
でも、その前に。
「来季っ」
振り向いた来季に、私は笑顔で言った。明るく、明るく。
「部活、頑張ってね」
来季は照れたように笑いながら、軽く頷いて、また歩いていった。その表情がとてもかわいらしくて、私の胸はまたときめいてしまう。
ところで、さよならはまだ言わない。だって、部活が終われば、また来季に会えるから。待ち合わせとかではなくて、たまたま終わる時間が同じだけだけれど。でも嬉しいから、私は部活を頑張れる。私は毎日、来季のおかけで頑張れるんだ。
そして今日も来季に会えた。玄関でのミーティング前に来季が廊下を通り過ぎると、部活仲間が口々に喋り出す。
「あっ彼氏くん来た」
「ちょっと、顔赤くない?」
「あ、赤くないってば!」
冷やかしが嬉しいようで恥ずかしい。複雑な気持ちでもって、私はあたふたと話していた。
お互いのミーティングが終わり、私達は玄関の階段に座った。夜風が足下をくぐり抜けて、思わず身震いをした。
「来季、寒いね」
「うん」
来季がポケットからカイロを取り出し、手を温め始めた。
「あっカイロ持ってる。貸してよう」
「ムリ、俺の」
「えー」
他愛ない話ばかりで返事も素っ気ないけれど、来季といるだけで私は世界で一番幸せになれる。冬空の下でも暖かい気持ちになれる。
「ねえ、貸してー」
「仕方ないな……はい」
「わあ、あったかい……来季、ありがとう」
でも、楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。
「……そろそろ、帰らなきゃね」
私と来季の帰り道は逆方向だから、ここで別れることになる。
「来季、バイバイ」
「うん」
私が手を振ると、来季も手を振り返してくれた。前は頷くだけだったのが、今では振り返してくれる。少しずつだけれど、私達も進んでいるのかもしれない。
明日もきっと、来季に会える。私は来季のことを考えながら、家に向かって歩いた。
それを聞いたのは、ついこの前のことだった。私はそれが、部活仲間から聞いた噂が気掛かりで、授業中だというのに集中できない。陽菜は、気にするなって言うけれど、そんなことは無理だった。気にしまい、気にしまいと思うほどに、不安が押し寄せてくる。
ねえ、来季……。
あの日、私が休憩中に雑談していたときだ。部活仲間の一人、真希がにやにやと笑いながら私にした質問がきっかけだった。
「ねえ、紫苑って来季ともうデートしたの?」
「うっ!実は、まだしてないんだよね……」
正確には、できない。二人きりで遊びに行くなんて、今はまだできそうになかった。
「ふぅん……そんなんじゃ、盗られちゃうかもよ?」
「え?」
この後の言葉に、私は言葉を失った。
「あたし聞いたんだけど、A組の紗理奈、来季のこと好きらしいよ」
私は一瞬、何の話をしているのかわからなかった。今まで、来季が他の女の子を好きになることは考えても、他の女の子が来季を好きになるなんて、思いついたこともなかったのだ。
「えっ、それって……」
「はい、休憩終わり!ほらちゃっちゃと続き始めてー」
先輩の声に促されて、私達はまた練習に戻る。それでも私の曇りはとれず、なかなか集中できなかった。
そして今も、授業に全く集中できていない。板書さえもする気になれず、後で陽菜を頼るしかないな、とぼんやり思っていた。
A組の紗理奈……おそらく、鳴神紗理奈ちゃんのことだろう。特に仲が良いわけではないからよく知らないけれど、確かきれいな子だった。
陽菜をかわいいと表すなら、紗理奈ちゃんはきれい。前に体育から戻ってきたところを見たことがあったが、スラリと伸びた手足はまるでモデルのようだった。
そういえばつい最近、誰かに告白されたと聞いた気がする。それなりにかっこいい子なのに振ったらしく、みんなは勿体ないと口々に言い合っていた。
私はハッとした。まさか振った理由って、好きな人がいるから?
紗理奈ちゃんのようなモテる子が、もし本当に来季に好意を抱いているとしたら、私なんか、絶対適わない。来季もきっと、紗理奈ちゃんの方が……。
私は泣きそうになるのをぐっとこらえて、教科書で顔を覆った。
そして今朝、私を追い詰めるかのように、その噂に確信を持つ出来事があった。
いつもなら男子と話しているか一人で読書をしている来季の席に、女の子がいたのだ。サラサラの、肩まである髪を下ろした、きれいな子だった。誰なのか確信は持てないけれど、おそらく……。
来季の横、それもかなり近くにいて、見るからに好意を持っているとわかる。さりげないボディタッチを見るたびに、胸が締めつけられる。
「……っ」
話しかける勇気もない私は、こんな光景はもう見たくもなかった。しまいには教室にいるのも嫌になって、スクールバッグを置いてすぐに廊下へ出た。
思い出すだけで、胸が苦しくなる。来季は、あの子といた方が楽しいのかな……。
潤み始めた目に気づかれないよう、ギュッと唇を噛んだ。
来季、私……。
放課後になり、いつものように教室で陽菜と話していたら、一人の男子生徒が私のところへきた。
「おい」
「…なんだ、高か。何?」
彼は神崎高だ。私とは小学校からの付き合いで、低学年の頃からケンカばかりしていた。すると高は、興味本位のみの笑い方で、私に聞いた。
「お前さあ、来季と付き合ってんの?」
「はい?」
私はまず、何で知ってるの、と思い、高の顔を見た。このことは真希を含めた部活仲間と陽菜にしか、言っていないはずなのに。
それに、高に知られたらいろんな人に言われるに決まっている。私は慌てて否定した。
「そんなわけないじゃない、ばかじゃないの?」
「本当かよ?おい来季、お前らどーゆう関係なんだよ?」
高の矛先が、今度は来季に向けられた。私は少しドキっとして、来季の方を見た。
「……俺?」
来季は相変わらず反応が遅い。高は特に気にせず、ズカズカと質問を続ける。
「お前と柊って、付き合ってるんだろ」
「……ん?」
そして、反応が薄い。二人の噛み合わない様子がおかしくて、私はだんだん笑えてきた。
「否定しないってことは、やっぱり付き合ってるんだな」
「いやちょっと、何でそうなるの?」
私と高の口論は続く。
「だから違うってば」
「けど本当は付き合って?」
「ないっ」
「あー、確かにこんな奴に彼氏ができるわけないか」
「そんなことない!」
「おい、どっちだよ」
だから、気づかなかった。隣の教室、A組のホームルームが終わっていることに。
そして、彼女がこの話をしっかり聞いていたことにも。