いつか、眠りにつく日

「・・・ありがとう、は?」

「はい?」

「助けてもらったんだ、お礼くらい言え」
クロはスーツについた土ぼこりを払いながら言った。

「ばっかじゃないの?」
私も立ち上がりながら答えた。
「だいたいあんたが私を置いて行っちゃったのが悪いんでしょうが!あんたこそ謝りなさいよ」

「なんで俺が謝んなきゃなんねぇんだよ」

「なんで私が謝らなきゃならないのよ」

 しばらくそのままにらみ合っていたが、クロは肩をすくめると、
「どうでもいい。さ、行くぞ」
と歩き出した。

 黙って私もついてゆく。

「あの子、あの女の子はやっぱり呪縛霊なの?」

「見てのとおりだ」
こっちを振り返りもせずに言う。

「なんだか悲しい目をしてたな・・・」

「みんなそうだ」

「え?」

 クロが振り返って私を見る。
「呪縛霊は、みんな悲しみのかたまりだ。深い悲しみに動けない悲しい霊だ」


「・・・」

「お前もせいぜい、そうならないようにするんだな」
「怖いな」
知らずにため息が出た。

「そうならないためにも、さ、探すぞ」
なんでもないような言い方。

「クロ」

「ん?」

「・・・ありがと」

「よせ、気持ち悪い」
それでもまんざらでもないような顔をしている。

「歩けるか?」

「やめてよ、気持ち悪い」

「フン」
スタスタと歩いていく後姿に遅れまいとついてゆく。

 






「未練解消ができなかった人って、たくさんいるの?」

「そんなこと聞いてどうすんだ」
つれない返事。

「一応、聞いておこうかな、と」

「んなこと気にするな」
とりつくしまもない。

「冷たい」

「冷たくない。てか、未練解消できなくても呪縛霊になるとは限らないんだ」

「なにそれ、初耳。どういうこと?」

 ムッとした顔に気づいたのか、クロはわざとらしくため息をつくと、
「だー!めんどくさい。いろんな形の霊がそのへんにたくさんいるんだよ」
と本当にそのへんを指差して言った。

「全然意味わかんない。どういうことかちゃんと説明してよ」
急に不安になって尋ねると、
「うーん、じゃ、直接話を聞いてみるといいさ」
と歩き出した。

「へ?どういうこと?」
そう聞く私には目もくれずにどんどん歩いてゆく。


 
 さっき通った商店街に戻ると、間にある細い道を抜ける。その先に、数件の新しい家が並んでいるひとつでクロは足を止めた。

「おーい、孝夫!ちょっと出て来い!」
急に大声で呼ぶクロにギョッとして私はその腕をつかんだ。
「呪縛霊を呼んでどうすんのよ!やめてよ!」

「孝夫!お客さん連れてきたぞ!」
クロはまったくやめようとしない。

「やめてよ!クロのバカ!」

「バカっていうな!」

「あの~?」

 後ろから声が聞こえて慌ててふりむくと、そこには40歳くらいの人の良さそうな中年の男性が立っていた。

「おー、いたか孝夫。久しぶりだな」

 孝夫と呼ばれた男性は、やさしい笑顔を見せた。
「案内人さん、今回は早いじゃないですか」

「いや、今日は客を連れてきたんだ。こいつ、森野蛍」

 急いで私も頭を下げる。

___この人が呪縛霊?

 クロが私を指差す。
「呪縛霊とかその他の霊についてしつこく聞くから連れてきた」

「はぁ、なるほど。そういうことですか」
孝夫は大きくうなずくと、
「じゃあ、座って話しませんか?」
と家の軒先を指差した。

「ほら、時間がないからさっさとしろ」
クロに背中を押され、何がなんだか分からないまま言われたとおりにする。
 孝夫、私、クロの順で座ると、
「私の名前は、山本孝夫と申します」
と礼儀正しく孝夫は頭を下げた。

「突然、すみません」

「いえいえ、案内人さん以外のお客はあまりないからうれしいですよ」
と目じりを下げた。

「その、呪縛霊・・・じゃないんですか?」

「ええ、なんとか呪縛霊にはならずに済みました。もう・・・かれこれ5年もの間ここにいます」

「でも、どうして・・・」

「どうして化け物の姿になっていないか、ですよね?」

 答えるかわりにうなずいて孝夫を見た。

 これまで会った呪縛霊とはまったく違う。突然豹変するようなこともなさそうだった。

「未練が、かなわない内容だったからです」

 質問を重ねたかったが、今は孝夫の言葉を待つのが良いと判断して私は黙っていた。

「未練とは、最後の瞬間に思い描いたことらしいんです。でも、それが解消できるような未練ではないこともあるんです。どんなに努力しても解消できない未練の場合、成仏するかこの姿のままで霊として居座るかを選べるそうなんです」

 なんとなく分かるが、頭の回転がついていかない。

 察したのか、クロが助け舟を出す。
「たとえばな、歩いていて突然死んじゃったとするだろ?その時に、最後に思ったのが『将来お嫁さんになりたい』だったとする。そしたら、それは49日間では到底無理だ」

「うんうん、期間を使ってもどうしようもない、っていう未練ね。その場合は、その姿で残ることができるんだ?」
「そういうことです」
孝夫が言ったが、その顔はさみしげに見えた。

「孝夫は俺の説得もむなしく、この世界にいることを決めたんだ。だから定期的に様子を見に来ている。いつかあっちの世界に行きたくなるかもしれないからな」

「ご面倒かけますね」
申し訳なさそうに言う。

「待って。てことは、私もそうすることができるの?」

「アホか、お前は。お前の場合は未練解消ができる内容だ。だから、未練解消できなきゃ呪縛霊になるしかない」

「ちぇ」
不満を口にしたとき、家の中から話し声が聞こえた。