プロローグ
『たった今入ってきたニュースです。
さきほど、午後3時すぎ東名高速道路浜松インター付近で、車両10台を巻き込む玉突き事故が発生しました。
車両には、県立池田高等学校の修学旅行生を乗せたバスも含まれているとのことです。
多数のケガ人が出ている模様で、現場は騒然としているもようです。
現在死傷者の情報はまだ入っておりません。
この影響で、東名高速道路は浜松、磐田間で通行止めとなっています。
繰り返します、東名高速道路浜松インター付近で玉突き事故が発生しました。現在、この事故による死傷者の情報は入っておりません。
何か分かりましたら、改めてお伝えいたします。
・・・つづいてのニュースです』
第1章
『透明な存在』
朝は、嫌い。
望んでもいないのに時間は平等に流れ、夜の闇はやがて朝の光に消えてゆく。朝が来れば人は動き出し、それぞれの人生を進んでゆく。
別に学校が嫌なわけではなく、ただ単に私の目覚めが最悪なだけだ。
おかげで高校2年生にもなって、母親の手をわずらわせている。
しかし、今朝はいつもと違っていた。
目はまだ閉じているが、なぜか心身はすっかり目覚めている感覚。
___こんなのはじめてだな
長時間寝てしまったかのように、スッキリした気持ちだ。
静かに私は目を開ける。
「え?」
そこには白い煙がただよっていた。一瞬の思考の後、私の脳は異常を知らせる。
「ちょっ、火事!?」
慌てて起き上がると、部屋中が薄い煙におおわれていた。
「うそ、うそでしょ!」
窓辺に走り、カーテンを開けると窓を乱暴に開いた。
新鮮な空気を吸い込もうとして、ふと気づく。火事ならばもっとにおうはずだ。しかし部屋の中には燃えるようなにおいはしていない。
それどころか、外の景色にもすべて薄い煙がたちこめている。道路を挟んだ向かい側の家も、ぼんやりとしか見えないほどだ。
一瞬、霧なのかとも思ったが、それならば部屋の中にまで立ち込めているのはヘンだ。
改めて、部屋の中を見回す。
「あれ?」
違和感が私を襲った。普段は乱雑な部屋が異様に片付いているのだ。
___昨日、寝る時はいつもと同じだったはずなのに
その時になってはじめて、私は自分が制服を着ているのに気づいた。いわゆるセーラー服というやつで、これに合わせて短かった髪を伸ばさざるをえなかったほどの少女趣味の色づかい。
『なぜ制服を着たまま寝てしまったのだろう』という疑問よりも、部屋が片付きすぎていることの方が非現実な気がする。
___そういえば、昨日はどうやって寝たんだっけ?
そんなことを考えている間に、煙は徐々に薄くなっているようだった。少しずつ視界が良くなってきている。
おかしなことばかり朝から起こっていて、何が現実なのか分からなくなってきた。
「夢だったりして」
ひとりつぶやいてみると、突然、
「いや、現実だ」
と声がして私は悲鳴をあげた。
見ると、部屋の入り口に誰かが立っているのが見えた。
「だ、誰!?」
声が裏返るのもかまわず自然に声が出ていた。
煙がまだ相手の姿をぼやけさせていてよく見えない。
「森野蛍だな?」
低音の声だけが、煙の向こうから聞こえるよう。
「誰・・・」声が思わず弱くなっていることに気づき、
「誰なのよ!」と怒鳴るように言い返した。
「ホタル、って変な名前だな。最近はこういうのが流行ってんのか?」
煙はさらに薄くなり、同時に相手の姿が見えてくる。
「誰なの?」
自分のボキャブラリーのなさを呪いながらも、私は同じことばかり尋ねていた。
「俺はお前の案内人。名前なんてものはない」
煙はほとんどなくなった。
ドアにもたれるように立つ男は、真っ黒いスーツを着ていた。
___20代くらいか?
「警察の人?」
なぜだか分からないが、そう口が言っていた。
「は?アホか、お前。俺はなぁ・・・」
言いかける男に私は近くにあった文庫本を思いっきり投げつけた。
いや、だんじて言うが『アホ』というセリフにキレたわけではない。
警察でないなら泥棒だ、という判断を脳がしたからにすぎない。
文庫本は鈍い音を立てて、男の頭にぶつかった。
「痛ぇ!」
男にダメージを食らわせるのに成功したらしい。間髪置かず、手当たり次第つかめた物を投げつけると、相手がひるんだすきにドアから廊下に飛び出た。
「お母さん!お母さん~!」
「ちょ、待てよ!」
今どきキムタクでも言わないことを言いながら男の声が追いかけてくる。
短い廊下を走ると、階段を駆け降りる。何年も遅刻ギリギリでダッシュしているから、私の方が断然有利なはずだ。
「お母さん!泥棒!泥棒!」
リビングのドアを開けると、母親はぼんやりとソファに座っていた。
「お母さん、逃げて!お母さんっ」
母に駆け寄ると、私はそう叫んだ。まだ男の姿は見えない。
「急いで逃げなくちゃ、お母さん!」
しかし、母は私を見ようともしなかった。ソファに座ったまま身じろぎひとつしない。
その顔はいつもの母と違い、ひどく憔悴しているかのように見えた。
「待てって言っただろ」
男の声に思わず身体がはねあがった。
振り返ると、ドアのところに立って憮然とした顔をしている。
「あんた・・・母を殺したの・・・?」
「は?」
「お母さんを」
「アホか、よく見ろ。生きてるだろうが」
なぜか苦笑しながら男は言った。
母を見る。
確かに母は今、両手で顔を覆うと深いため息をついているところだった。