いつか、眠りにつく日

 その音に気づいたのか、部屋のふたりも立ち上がると小走りで奥に消え玄関の方へと向かうのが分かった。

 セダンからスーツの男性が降りてくるのと同時に、玄関の扉が勢いよく開いて空が飛び出した。
「パパ!」
そう叫ぶように言って男性に飛びついた。

「おー、ただいま。空、お迎えありがとな」

「お帰りなさい」
中から奥さんも出てきて男性からカバンを受け取った。


「え・・・?」
思わず振り返ると、孝夫はうれしそうに微笑んでいた。

「前に進みだしてくれたんです。ふたりともようやく前に」
 もう一度、空たちを見ると、みんなこれ以上ないくらいの笑顔で輝いているように見えた。

「孝夫」
クロが声をかけた。
「もういいんじゃないか?お前の役目も、もう終わりでいいんじゃないか?」

 孝夫は、何かを考えるようにうつむいていたが、大きく肩で息をつくと、
「そうかもしれませんね。もう、僕が見ていなくても大丈夫そうですね」
と言った。

「そっか。まぁ、次回にでも旅立つ準備ができたなら言ってくれ」
クロはそう言うと、
「よし、蛍行くぞ」
と私を指差した。

「へ?」

「栞を探す途中だろうが。とっとと探さないと日が暮れちまうぞ」

 そうだった。

 栞を探して未練解消をするんだった。

「あ、あの、孝夫さん、ありがとうございました」

「いえいえ。僕も身の上話を聞いていただいてうれしかったですよ。どうか、未練解消がんばってくださいね」
あいかわらずやさしい笑顔でそう言った。

「行くぞ!」

 見ると、もうクロは門から外に出ようとしている。

「あ、待って!じゃ、じゃあ失礼します!」
そう叫ぶように行って、私も後を追いかけた。


 何か、胸にせつなさが残っていた。

「もうだめぇ」

「何言ってんだよ!疲れてないでさっさと探せよ」

 もう何時間も栞を探し続けているが、どこにもその姿を見つけられなかった。

「死んでも疲れるんだね。もうクタクタ~」

 すっかり日は落ち、辺りは暗くなってきていた。あいかわらず身体は光を放っている。

「もしかしてさ、家に帰ってるんじゃない?もう一度栞の家に行ってみようよ」
ふと思いついて提案すると、クロは首を横に振る。

「家におしかけてみろ。またパニックになってそいつの親に迷惑がかかるだろ」

「そっか・・・困ったな」

 栞が驚くのも無理はなかった。死んだと思った相手が急に現れたのだから、誰だってびっくりするだろう。


自分のうかつさを呪っていると、クロが突然、何か思いついたように声を出した。
「・・・そうだ。蛍、どこかに高台みたいな場所はないか?」

「高台?」

「未練解消がはじまっているってことは、山本栞の身体からも光が出ているはずだ。たぶん遠くからでも俺なら見えると思う」

 なるほど。確かにこの光は地味にまぶしい。案内人のクロなら遠くからでも見えるかもしれない。

「駅前に建設しているマンション。田舎町には似合わないくらい高いビルになるみたいだから、あそこなら遠くまで見渡せるかも。まだ建設中だけどね」

「よし、そこへ行こう」

 


 


 『立ち入り禁止』と書かれた工事現場をすり抜けると、建設中のビルが暗闇の中にそびえ立っていた。黒い大きな塊が怪物のように私たちを見下ろしている。1ヵ月の間にさらに高くなったように見えた。

「なんか不気味」
思わず身震いすると、
「地縛霊はいなさそうだぞ」
と言って中に入ってゆく。

「う・・・待ってよ~」

 建設中といっても、下層部分はほとんど完成しているようだった。当然エレベーターは使えないから、階段を登るしかない。

 身体が光っているので見えにくいことはないが、クロは私より先をどんどんためらわずに登ってゆく。

 改めて登ってゆく背中を不思議な気持ちで見る。




 案内人であるクロは、私が未練解消をするための助けをすると言っていた。そして、それが仕事だとも。

 という事は、死んだ人たちそれぞれに案内人がいるってことなのかも。

 誰もが未練を抱えて死んでゆく・・・人間とはそういうものなのだろう。

「おい、ボーっとするなよ」
突然声をかけられ、「ヒャッ」驚いた拍子に足を踏みはずし前向きにすっころんだ。ぶざまな格好で床に転がる。

「痛い~。もう、驚かさないでよ」

「ボーっとするなって言っただけだろうが」

 差し出された右手。

「何?」

「いいから、ほら」

 しばらくその右手を眺めていたが、素直に右手につかまり起こしてもらった。



 私が起き上がるのを確認すると、クロはさっさと階段を登りはじめる。

 スカートをはたくと、私もそれに続く。

「・・・ありがと」

「ふん」

 その背中を見ながら、黙って登り続けた。






「ここからは建設途中だな」

 急に視界が広がり、強い風が吹きつけてきた。足場がいくつも組まれ、それがさらに上まで続いている。

「これ、登るとか言わないでよ」

「ん・・・。まあここでも見えるだろう」

 クロが吹きさらしのビルを見やすい場所を探して歩き出す。

 ところどころ床が張られておらず、ビルの端には手すりすらない。

「落ちるなよ」

「落ちたらどうなるの?」
逆に尋ねてみた。

「普通に大ケガして痛みもあるが死ねない。血が出て骨は折れて、見れたもんじゃないだろうな。それこそホラーみたいになるぞ」

 どんな顔をしているのか離れているので暗くて見えないが、言い方がおもしろがっているように聞こえる。