そんな会話を優美として、私はハル君に会いに家へと戻った。

今日は家庭教師の日。


時間五分前に家の呼び鈴がなって、玄関に駆け寄って覗き窓から確認をする。

ドアをそーっと開けて、私を見下ろすハル君と目が合う。



「この前はごめんな」

「私が先生のこと心配だっただけだから。それより、この前のこと親には秘密ね」



こうして会話することも、もうすぐできなくなるんだ。

そう思うと今のこの一瞬が、凄く尊くて大切なものだと感じる。



「そっか、あの日は親に言わずに来たんだ」

「そういうこと。そんなことより、今日は二回分たーっぷり教えてもらうからね、せんせ?」

「紗夜香こそ途中で根をあげるなよ?」



ハル君の声を耳に焼き付ける。

一言一句取り零さないように。


部屋ではいつものように向かい合わせに座り、テーブルに広がる参考書の数々。

いつもと変わらないことが嬉しくて、目の前にハル君がいなくなる日を恐れる。



「ここはな……」



眼鏡越しに見える、俯いた時のハル君の睫毛。

それにかかる少し色が抜けている黒髪。

スラリと伸びた指に、ボールペンをクルクルッと回す癖。



「聞いてる?」

「もっ、もちろん!」

「プッ。相変わらず嘘が下手なんだから」



目を細めて笑う表情。

そして、軽くこづかれた頭から伝わるハル君の温もり。

どんな些細なことさえも、見逃さないように心に焼き付ける。


いつか、思い出にできる日が来るのだろうか。

そんなこと今は分からない。

当たり前の日常が当たり前じゃなくなるなんて、今は考えられないんだ。