イレーネの持つ雰囲気がノールに心地良く感じるのは、イレーネが「庶民」の感覚を知っているからだろう。
ユニスがよく彼女を連れてきたものだ、とノールは思う。
貴族のご令嬢の育ちだと聞いたから、最初慎ましやかな女性を想像したのだが、会ってみると、剣も槍も使いこなす、少年さながらに凛々しい少女だとは。
だが、ある意味それは、のちにこの国の王妃という立場を背負うには、願ってもない条件を持っている女性と言えなくもなかった。
魔導の国とうたわれるリオピアは、清らかな気も集まりやすい反面、邪気にも侵されやすい。
イレーネの持つ清らかさは、その凛々しい精神性からくるものだ。邪気に翻弄されやすい心の者が王のそばにあることは望ましくない。
「天空からリオピアをご覧に?」
ノールが訊くと、先刻水盤の前にいたユニスと同様、イレーネも沈鬱な表情になる。
「いい兆候ではないね。何処から派生しているのか特定出来ないのだけれど『虚無』になりうるかもしれないものが横たわっている」
「『虚無』ですか?」
「大勢の人々の意識が『虚無』に向かうのは良くない。些細な綻びは大きな綻びに繋がる。民があらゆることに無関心になれば、国の存続はおろか、人の営みが成り立たなくなる」
「時空の混乱を目の当たりにした民の虚無感とは別に、『虚無』そのものに誘う気があると?」
「或いは、そうだと思う。リオピアの魔導の力を欲するわけでもなし、ただいたずらに『虚無』で喰い尽くすとは、普通の発想では考えにくいのだけれど」
イレーネの考察に、ノールは王子を表情を窺う。
「…ユニス様」
「『虚無』を魔導の力で封じることは可能ですが、根本的なものを解決しないことには、また同じことが派生するでしょう。何ものにも通じるものとも言えなくはありませんから」
しかし『虚無』という漠然としたものに対する、有効な策がそうそうあるわけでもない。
どうしてよいか答えが見つからず、ユニスもイレーネもノールも考え込んでいたが、ユニスがふと顔をあげた。
「──歌を」
「え?」
「歌をうたわせてみましょう。精霊に。同じ旋律を。『虚無』に相反するものは『律するものがあること』です」
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