廊下の真ん中で姉弟喧嘩をしかけていると、横から声が入ってきた。
「すいません、俺もよそ見してたんで……。」
声の方に目を向けてみると、そこには見た感じ私達よりも年上のように見える、長身でいかにもスポーツマンな男の人が立っていた。
「っっあ、あし!!!」
「え?」
「だから、足!!大丈夫でしたかっ??!」
背高いなぁ…と見ていて気が付いた。
ジャージのズボンの裾から少し見えている包帯に巻かれた足に、腕に抱えられた松葉杖の存在に。
あぁ、私は足を怪我している人とぶつかってしまったんだ。
しかも、それに気づかずに姉弟喧嘩まで……
「あははっ、そんなに心配しなくても大丈夫。何ともないよ。」
「…そう、ですか。良かったぁ」
「まぁ実際、ぶつかって転んだの姉ちゃんだけだしね。」
「なっ!!!ちょっとそれ早く言ってよっ!!」
なんか、めちゃくちゃ恥ずかしくなってきた。
よそ見してぶつかって、自分だけしか転んでないのに先走って無駄な心配して…。
駄目だ。
自分のした行動だけど、振り返ってみたらアホすぎる。
できる事なら、今すぐこの場から走り去ってしまいたい。
「はい、これ。」
「へ…?」
瞬輝の言葉から下を向いていた私の視界に、さっき落とした鞄の姿が声と一緒に突然飛び込んできた。
「心配してくれてありがとう。荷物、ごめんな。」
「あ、いえ。こちらこそすいませんでした。」
「じゃぁ、俺行くとこあるから。気をつけてね。」
「はい。失礼します。」
男の人から鞄を受け取り、小さく頭を下げる。
男の人はその姿を見てから、慣れた手つきで松葉杖をついて私達の前から歩いていった。
「…………。」
身長、やっぱり高かったなぁ。
包帯に巻かれた足も、松葉杖を持つ手も。
視線の先に見える全てのものが大きかった。
「姉ちゃん?いかねーの?」
「あ、ごめん。今行く。」
ボーっとしていた頭を振り切り、先に歩いていた瞬輝の元へと走る。
「じいちゃんもそろそろ追いつくかな。」
「うん…たぶん……」
二人で並んで歩きながら、瞬輝にバレないよう小さく後ろを振り返ってみる。
すると、遠くの方にまだ男の人の姿が見えた。
「あの人……」
「え?」
「うんん、なんでもない。」
あの人、名前何て言うんだろう……。
『ただいまの意味』
扉を開けると、そこにはベッドで寄り添うように座って話している二人の姿があって。
最悪な状況をも想像していた私達は、呆気にとられた。
その姿に気づいたお父さんは少し苦笑いしながら『お、来たな。』と言い、その隣にいるお母さんは『おかえり』と言って私達に優しく笑った。
「………。」
お母さん、おかえりって…ここは家じゃないんだよ?
病院なんだよ?
こんな所でおかえりって言われても……
「あ、永愛。それに瞬輝と雄揮も。今、家じゃないのにおかえりって変なの…みたいな不思議な顔したでしょ‼」
「「「!!!!!!!!」」」
考えてる事がもろバレている…それに、皆思うことは一緒だったのが少し驚きだったりして…。
「あのね、おかえりって言うのは、家に帰ってくることだけの意味じゃないんだよ?もっと沢山の意味が込められてるものなの。」
不思議そうな顔のまま、瞬輝と顔を見合わせる。
瞬輝も私と同じ気持ちなのか、眉をよせて不思議そうな顔をしていた。
「……どうゆうこと?」
毎日、当たり前のように使っている『おかえり』という言葉。
それは家で使う事以外の経験はなく、まして今まで意味など考えたこともなかった。
家に帰ってきた人に『おかえり』という。
これが当たり前で、それ以外は知らない。
知ろうともしたことはない。
…こう考えると、当たり前って怖いことだよね。
「おいで、二人とも。」
ベッドから少し離れていた所に立っていた私達に、お母さんが手招きをする。
それに導かれるまま近くにいくと、暖かい手が私達の手に触れた。
「前ね、上田のおじいちゃんに言われたことがあるの。おかえりには沢山の意味があるんですよ…って。家に帰ってくることだけがおかえりじゃない。大切な人のもとへと戻ってくることも、おかえりの大切な意味なんですよってね。ふふっ、ただの受け売りなんだけど、お母さんはこの意味凄く好きなの。」
大切な人のもとに戻ってくる…か。
お母さんは毎日そんな事を思いながら私達に『おかえり』って言ってくれてたんだね。
私の手を握るお母さんの手の上に、更に自分の手を重ねる。
私よりほんの少し大きい手。
でも、私より白くて細くて…決して大きくはない手。
お母さんは本当にすごいね。
こんなに小さな手で、私達家族の全てを包みこんでくれてるなんて。
「ねぇ、お母さん。」
「んー?なに?」
「あの…えっと…おかえり、なさい。」
「っっ永愛……。」
お母さんが私達の事を大切に思ってくれるように、私達にとってもお母さんは大切な人。
だから、私もありがとうの意味を込めて、『おかえり』って言うね。
「……うん、うん。ただいま、永愛。心配かけてごめんね。」
「うんん、大丈夫。」
もういい、もう大丈夫。
お母さんが私達の所に戻ってきてくれて、何事もなく笑ってくれたから、もうそれだけでいいや。
「でも、もう二度としないでね。」
「そうだよ、母さん。姉ちゃん慰めるのも疲れるんだからさ。」
「ちょっっ瞬輝っ!!!!」
お前ってやつはっっ!!!!!
「ははっ、なんだ永愛、瞬輝に慰めてもらったのか?」
「っっもらってない!!!」
「いーえー慰めましたー。姉ちゃん嘘はよくないなぁ。」
「くっ!!」
この野郎、ドSの顔で笑いやがって。
今でこんなんじゃ、将来が思いやられるぞ…。
「はははっ、永愛遊ばれてるなぁ。これじゃ瞬輝の方がお兄ちゃんみたいだぞ?」
……瞬輝、ごめん。
やっぱさっきの言葉取り消すわ。
お父さんと瞬輝の笑った顔、そっくりだ。
最近似てきたなぁとは思ってたけど、ここまでとは思わなかった。
でも、なんか言われ続けるのはしゃくだ。
…なので、反撃にでたいと思います。
「………もう怒った。お父さん、そんな事言うならお弁当あげないから。」
「えっ」
「まぁ旨いかどうかは解んないけどね。」
「瞬輝、あんたにもあげないからね。せっかく唐揚げもあったのに。」
「はっ?!唐揚げ!!?」
どうだ、二人とも。
私にだってお父さんの遺伝があるんだぞ。
「ふふふっ、瞬輝と先生の負けだー。」
………ん?
「「……先生?」」
「おい、麻椿。間違えてる。」
「えっ…っあぅっっ!!!!」
「へー…母さん、父さんと二人の時は先生って呼んでるんだぁ。」
「キャーッ禁断の恋だぁっ!!」
「ちょっやめなさい二人ともっ!お母さんは雄輝っていったのっ!」
「いやいや、思いっきり言ったから。母さん、その嘘は無理があるよ。」
「あははは…ラブラブだぁ」
「なっ永愛!!!!!」
やっぱり、いいね。
家族が揃うのは。
心がすっごく暖かくなる。
皆、好きだよ。
本当に好き。
赤ちゃん、早く産まれてきてね。
それで、皆一緒に家に帰ろう。
この暖かい家族の家に。
『いよいよの時』