弓華のそばまで近付いたとき海水は胸辺りまでの深さになっていた。

「涼! ダメ、はやく岸にあがって! そんなことしてたら」

 海面に立った弓華が瞳一杯に涙を浮かべて僕に叫ぶ。

 僕は頭を横に振って、

「いわなくちゃ。あのときにいえなかった、いまもいえずにいたことを……」

 いつも他人ばかり気にして、何一つ自分の意見を主張しようとしなかった僕。

 他人に疎ましく思われるのが、嫌われるのが、何よりも自分が傷つくことを恐れていた……。

(だから僕は恋をしなかった)

 恋は、他のどんなことよりも傷つけ合うことが多いから。

――どれだけ自分を演じてみても……。

 あのときも僕は別れ行く彼女に何もいうことができなかった。

――転校するの。もっといい環境のとこへ。

 そして、ひたすら僕の言葉を待ち続けた彼女は、微笑み、去っていった。頬を濡らし。

――バイバイ……。

 溢れ出る雫で顔がぐしゃぐしゃになっている弓華。

 心から僕を心配してくれる弓華。

 子供っぽい仕草と大人びた雰囲気を合わせ持つ弓華。

――弓華 ユカ ゆか――

「お願い! 早く岸に!」

 春にはまだほど遠い季節。海水はぞっ、とするほど冷たく気を抜くとそのまま飲み込まれていってしまいそうだ。服はすでに氷のように冷たい重りでしかなく、僕の体温を急激に奪っていく。

 けどそんなことは問題じゃない。この先のことよりも、いま一番大事なのは……

「涼、お願い! もうこれ以上ここにいちゃダメ!」

 僕の目線の位置にまで降りてきた弓華は、もう自分の意思で身体を維持することができないのだろう、触れることのできなくなった手で一生懸命僕を岸に押し戻そうとしている。

「ゆか……」

 止めどなく流れる雫。

 夕焼け色に染まった涙はとても温かく感じられる。

 それだけで彼女の想いのすべてが伝わってくるようだ……。

 過去、別れ行く彼女にいえなかった言葉。

 現在、想っている人がいるからと自分をだまし続け、怖くていえなかった言葉。

――たった一言……