ライアーライフスタイル


生まれ変わってからの6年間で、男の引きつけ方やあしらい方は学んできた。

だけど、向けられた愛への応え方に関しては、まったくの素人だと言っていい。

ステップアップするためには、いくら面倒でも彼女としての仕事をクリアしていかなければならない。

彼女として優越感を得られるレベルに達するまでにはしばらくかかりそうだ。

愛されることを拒み続けていた私にはハードだけれど、何事も習得するまでには努力を要する。

とりあえず今のところは、舟木からのメッセージに対し、きちんと言葉を返すことで愛に応えることにしよう。

また、明日からは早い電車に間に合うように気をつけよう。

誰かと付き合うなら、他の異性に付け入らせてはいけない。

今日だって本来なら手を握られたりしてはいけないのだろうけど、最善を尽くした結果握られてしまったのだから不可抗力だ。

私には何も、やましいことなどない。





会社に到着。

更衣室で制服に着替え、鏡で身なりをチェック。

約2ヶ月に1度のメンテとお高いシャンプー&トリートメントでツヤをキープしている髪。

毎日念入りに手入れしている肌。

少しだけトレンドを取り入れつつ、顔のバランスを重視して施したメイク。

数年前にメスを入れ、パッチリと開いた目。

鏡には洗練された美女が映っている。

もう以前の顔なんて忘れてしまった。

「よし。今日も頑張ろう」

小さく自分に言い聞かせ、仕事モードのスイッチをオン。

勢いよく更衣室を出る。

「おはようございまーす」

笑顔を振り撒き職場に華を添えつつ、仕事を確実にこなす。

私はなりたかった自分を実現し、これからも充実した毎日を送る。

新田主任が出勤した。

「おはよう、弦川さん」

「おはようございます」

特別な関係は終わったが、同僚としての関係は良好だ。

私たちの罪は消えないけれど、思い出や経験として、今後の人生の糧になることだろう。


「弦川さん、ちょっといいかな?」

焦った様子の古田所長に声をかけられ、立ち止まる。

「どうされました?」

だいたい予想はついている。

また何か面倒なことを頼むつもりだろう。

「今日、朝礼後すぐに出かけなきゃいけないんだ。会議で使う資料の作成を頼んでもいいかな」

「何の会議ですか?」

「本社の定例会議だよ。詳しくは移動しながらメールで送っておくね」

「わかりました。いつまでに完成させれば間に合いますか?」

「明日使うから、今日中で」

……この野郎、本当は自分で作るつもりだったけど、間に合わないと悟ったから私に押し付けたな。

軽く怒りを覚えるが、笑顔は絶やさない。

「わかりました」

臨むところだ。

仕事も恋愛もステップアップ。

これから私は再び生まれ変わる。



07機械が作る空気



当たり前だけれど、夏は暑い。

化粧は崩れやすいしテカりやすいし、汗のにおいや服の汗ジミも気になる。

完璧な美女でいようとすればするほど様々な面で自分が試される季節だ。

だからできるだけ自分をコントロールしやすい状態にしておきたいのだけど、私の手は今、舟木の手に捕らわれ自由を失っている。

「でさー、その友達がさー」

舟木の話は面白い。

彼といると楽しい。

でも、ずっと手を繋いだまま歩くのは結構不便だ。

本物のデートがこんなにも不自由で暑苦しいものだとは思わなかった。

暑いのは季節的にも仕方ないが、手を繋いだままだというのは落ち着かない。

私ともあろう女が、初めての彼氏との初めてのデートに緊張している。

もしかしたらこの汗は、暑さではなく緊張から来る汗なのかもしれない。


舟木が初めてのデートに選んだのは水族館だった。

涼しげだからという理由だ。

確かに館内は涼しいし、華麗に泳いでいる魚やイルカのショーを見るのもなかなかいい。

けれど私の内心では、この後のことばかり気になっている。

私と舟木は恋人同士。

今日は土曜日で、明日は日曜日だ。

きっと夜には「もっと一緒にいたい」となって、「じゃあどこかに泊まろう」という話になる。

私たちは大人だし、健康な26歳の男女だ。

当然舟木は体を求めてくるだろう。

それが嫌だというわけではない。

私だって、それを想定して準備してきてはいる。

舟木はこれまでの人生をモテながら生きてきたはずだ。

それなりの女性経験があるのも知っている。

だけど私には新田主任としか経験がない。

つまり自信がないのだ。

でもビビッているだなんてバレたくない。


それ以前に、私はまだ彼女として何を話していいかさえ掴めていない。

今まで彼にしていたみたいに高飛車な女のふりを続ければいいのだろうか。

それともしおらしく一歩引いた方がいいのだろうか。

正解がわからない。

呼び方だって、今までずっと「舟木くん」と呼んでいたから、急に「直弘」とも呼べない。

「直くん」あたりから始めてみようかと思っているけれど、それもまだ勇気がいる。

一緒に歩いているだけでこんなに考えなきゃいけないことがあるのに、ちゃんとお泊まりを成功させられる気がしない。

準備はしている。

覚悟も決まってはいる。

けれど、私の体力と神経が持つか心配だ。

世の女性たちは、みんなこんな風に頭の中で様々なことを考えてデートしているの?

10代とか学生時代とか、若い頃なら多少の失敗も許されるだろう。

だけどこちとら手練れのイイ女を演じたことで成立したカップルだ。

失敗は許されない。

「真咲」

「な、なにっ?」

「今日、何時まで大丈夫?」

き、来た……!


「え……と」

便宜上、私は男たちに実家住まいだと言い続けてきた。

大人になっても父親が厳しくて泊まりはダメなのだと言って、肉体的な誘いを断ってきたのだ。

まだ初デートだし、今日はこの調子でお泊まりを回避しようか。

いや、この恥ずかしさや緊張は、いずれ乗り越えなきゃいけない壁だ。

せっかく準備したのだし、逃げたって仕方がない。

私が答えあぐねていると、ネガティブな返事を予期した舟木はしゅんとした顔になった。

「やっぱり、終電で帰るの?」

長いこと私を口説き続けてくれた彼のためにも、勇気を出して頑張ってみるしかない。

「ううん。家には帰らないって、言ってきた」

舟木の表情がパァッと明るく変わった。

なんてわかりやすいのだろう。

「じゃあ、うち来る?」

「うん、行きたい」

意外と単純でわかりやすい舟木は、すぐにでも私を連れ込みたくなったのか、館内を巡る足を速めた。

そんな彼が可愛くもあるし、滑稽でもある。


舟木はそれ以降、ずっとご機嫌だった。

「俺、車買っちゃおうかな。そしたら真咲といろんなとこ行けるし」

「都内に住んでるくせに、独身のうちからそんな贅沢していいの?」

「車を買えるくらいは稼いでるつもりだけどな」

「私だって、車の一台くらいは買えるけど」

「ははは。ていうか、実家に住んでる真咲の方が金持ってそうだよな。真咲が買うか?」

舟木の言葉に、ギクッと肩を震わせる。

いつか実家に招待して、親を紹介しろとか言われたらどうしよう。

「やだ。私ペーパードライバーだし、運転怖い」

「俺も、しばらく乗ってねーなー。運転できるかな」

「今度試しにレンタカーして出かけてみる?」

「それいいな」

次のデートの話になると、いっそう舟木は幸せそうに笑う。

付き合い初めのお互いが初々しい時期が一番いいと言われるけれど、彼はきっと今そんな状態の真っ最中なのだろう。

かたや私は、余裕がなくて楽しめていない。

窮屈に感じたり、焦ったり、胸が痛んだり……。

嘘をつくには頭を使うから、同じ人と長時間一緒にいるのは結構大変だ。


私たちはその後、小さいけれどムードのあるオシャレな店で食事をした。

次の目的地は都内にある舟木の自宅だ。

恋人らしく繋いだ手から、これから迎える甘い夜への期待を感じる。

本当の意味で二人きりになる時間が、いよいよやってくる。

上手くやれるか心配だ。

乗り慣れない路線のシートの色やアナウンスが新鮮で緊張が増す。

優しい彼は一人分だけ空いた席に「一日中歩き回ったて疲れただろ?」と私を座らせてくれた。

彼に愛されている私は幸福者だ。

それなのに、私はずっと、頭で別の男のことを考えてしまっている。

あいつとデートをしたら、一緒にいる間ずっと私をからかって笑うんだろうな。

先日のように卑猥に手を撫で回したり、私にしか聞こえない小さな声で羞恥を煽るようなことを囁いたり、きっとする。

だけどきっと、あいつも私を空いた席に座らせてくれるのだろう。

そして彼の部屋で二人きりになったら……。

もうやめよう。

こんな時に、一体何を考えているんだか。

私が山村とデートなんて、絶対にするわけがないのに。

緊張で頭がどうかしてしまった。