アリスは真面目な表情の彼を静かに見つめていた。
彼は少し視線を落として続けた。

「決して、後悔しないように。」

彼の意外な言葉に驚きながらも、テーブルの上を片しジャックの眼鏡をとった。
立ち上がり彼の額に軽くキスをした。

「ありがとう、ジャック。」

彼に眼鏡を返し、また一人に別れを告げることになった。

「ジャック、本当に色々ありがとう。お世話になりました。」

彼の切ない瞳をまっすぐ見れないまま、背を向けた。

「じゃあね・・。」

ロンドンの暖かい風を受け、白いブラウスは揺れる。
割と高価なもので少ししわが目立つそれは、買ってもらった服だった。
そして、昨夜と同じように彼女にその言葉が降りかかった。

「さようなら。」

瞬間的に甘いシルバーストーンの香りを思い出す。
ブラックストーンのタバコを好んで吸っていた彼は、私と知り合ってしばらくして、シルバーストーンという新しく生産されたタバコを吸い始めていた。
君の瞳の名前だ、と甘く囁かれたことがあった・・・。

思わず足が止まって涙が溢れた。
別れというものには慣れていたはずだけど・・・。

さようなら

ロンドンの暖かい風と同じ、彼のすべても、とても私にとっては暖かかった。
ジャックの言ったとおり、私はもう後悔できない。
いや、しないの。

かすかに流れた涙を隠すように、思いっきり笑顔で振り返りジャックの顔をちゃんと見ないまま振り切るように言った。

「さよなら!!」

私を追うように立ち上がっていたジャック。
どんな顔をしていたんだろうね。困った顔かな。
黙って私を見送ってくれてありがとう。

ジャックと同じように、彼にもたくさん・・・。
だけど私は決断した上で引きとめられるのが苦手だ。
決心がゆらぐ。
彼に止められていたら、私は・・・。

でももう、何も迷うことはできない。
苦しくても耐えないと、前には進めないから。

彼女は少し肌寒いロンドンの春風をすりぬけるように、早足でカフェテラスを後にした。
といっても、ロンドンに春などはないのだけれど。

2003年、4月
二十歳になった私は、数ヵ月後日本に旅立った。

トランクと不安を抱えて・・・。