「・・・?あの・・・」

それが彼の財布だということはわかる。
だがいつもは帰り際に現金を受け取るか、彼女が起きる前にテーブルにお金か小切手が置かれていた。
家族でもなく、恋人でもない大富豪の息子の彼から大金をもらう理由は、彼が彼女の売春相手だからだ。

青年は彼女の戸惑いに応えることなく、冷静な表情で言った。

「その中に、20万と借用書・・・入っているから。」

「え・・・」

さらりと言われた言葉に、彼女は驚いて顔を上げた。
と同時に自分の耳を疑った。

彼女は涙を浮かべ、自分が受け取った財布を見た。
彼はまたいつもの笑顔に戻った。

「自由になりなよ、何もかも忘れて・・・今日からの君を・・・。」

その言葉を、彼からもらえるとは夢にも思っていなかった彼女は、知らぬ間に涙が溢れ出す。
ボロボロとこぼれる涙を拭えない。
彼は優しく彼女の頬に触れた。

「もう二度と俺みたいな人間と関わらないようにね・・・。」

そう言って二人は、最後のキスを交わした。

人に
言えないような、私の10代後半。

彼女はすすり泣き、うつむいたまま彼が差し出す右手と握手した。
するりと手が離れ、彼女は荷物をとってドアへ向かって歩いた。

自分でもわからない、むなしいよう切ないような気持ち。

真っ暗な廊下を歩いて、暗い玄関でドアをゆっくりと開けたとき、背中に最後の言葉が投げかけられた。

「さよなら。」

曇りなく、ただ低く、落とすように発したその言葉は強く、冷静さを感じさせた。
彼女はその声に「動揺」を探してしまう。

毎日の時の中で、雲の上のような存在の人に憧れ、恋心を抱いていた。
なのに、現実で関わっている人との別れのほうが、やっぱり傷みを感じる。

そっと振り返ると、逆光でわかりにくい、さびしそうな彼の微笑みがあった。

彼女はもう、何も感じなかった。
ただゆっくりとドアを押し開け、ゆっくり閉めて終わった。
涙はもう止まっていた。