関西電力の大飯原発3,4号機の再稼働を国が事実上決定し、福井県知事など地元自治体のOKを待つという状況になっている。
 政府は福島第一と同じ規模の地震、津波に襲われても大事故の危険はない事が確認されたと言っているが、福井県はもちろん大阪府や京都府も懐疑的な声が多い。

 ただ政府の説明不足は否めない点がある。ストレステストなどの過程で専門家による検討は行われたのだろうが、安全の根拠をきちんと説明できていない。
 最大の問題は、福島第一と大飯原発では原子炉の型式が違うという事実に言及した閣僚がいなかった事である。

 一口に原子炉と言ってもいくつかの型式がある。
 福島第一に限らず東京電力の原発の原子炉は「沸騰水型軽水炉」と呼ばれる型式。
 大飯原発をはじめ関西電力の原発の炉は全て「加圧水型軽水炉」というタイプ。
 構造が大きく違う原子炉を一緒くたに安全と断じるのも、危険と断じるのも間違いだし、福島第一で有効な安全対策がそのまま加圧水型に当てはまるとは限らない。

 どう違うのかというと、沸騰水型は核燃料棒に直接触れた水が沸騰して高圧蒸気になり、それが配管を伝わって発電用タービンを回し、その後配管の外側から海水で冷やされて液体の水に戻り、また燃料棒のある圧力容器内に戻る。

 加圧水型は燃料に直接触れる水は圧力容器の外に出ることは通常はない。
 高山などで気圧が低いために、お湯を沸かそうとしても100度になる前に蒸発してしまう、という経験をした人も登山家ならいるだろう。
 水が100度で沸騰、蒸発するというのは、あくまで1気圧の条件下である。

 そのものがギュッと圧縮されて圧力が高い状態だと、逆に100度を超えても蒸発しない。
 加圧水型の原子炉は一番奥の圧力容器内部に、燃料の冷却水を高い圧力をかけて閉じ込めてある。
 この水を「一時冷却水」と言い、運転中は水なのに300度以上の高温になる、しかも沸騰も蒸発もしない。
 圧力容器の周りを這うように別系統の水循環パイプがあって、この水が圧力容器の表面から熱を受け取って沸騰、蒸発。
 この水を「二次冷却水」と言い、これが配管を伝わって発電タービンを回す。つまり燃料棒に直接触れる水と、タービン建屋へ来る水が全く別系統なのだ。

 だから全電源喪失、冷却機能喪失が起きた場合、取るべき対策はかなり違ってくる。
 福島第一の圧力容器はいわば蓋のないヤカンみたいな物で、冷却機能が失われると中の冷却水がどんどん蒸発して格納容器内に漏れてしまった。また100度で蒸発するから、燃料棒の露出も早かった。

 加圧水型は冷却機能が完全に止まっても、いわば蓋があるヤカンだから一次冷却水の完全喪失には時間がかかる。
 また圧力容器内で冷却水の異常減少が起きると、直接その中に高圧の水を注入するECCSという装置が最初から付いている。

 もちろん、だから加圧水型は沸騰水型より安全とは言えない。米国のスリーマイル島の事故を起こした2号機は加圧水型だった。
 また運転員が誤ってECCSを停止させてしまった結果最悪の事態になったという「人災」の面が大きかった事も福島第一と共通している。

 福島第一の少なくとも1号機はベントが遅くなった事が水素爆発まで行ってしまった最大の原因だった。
 だが、加圧水型原子炉のベントが福島第一の沸騰水型原子炉と同じメカニズムなのか、そうだとしても本当にそれでいいのか?

 加圧水型の場合、万一の時に圧力容器から格納容器内部に噴出してくる水蒸気は最低300度、たぶんもっと高温である。当然圧力も高い。
 自然界ではあり得ない高温高圧の蒸気を福島第一と同じ手順、同じベント装置で放出できるのか?
 また加圧水型原子炉はもともとは原子力潜水艦、原子力空母などに搭載するために開発された物である。
 だから安全度が高いとも取れるが、逆に地上に固定する事を想定していなかった型式だから、地震が滅多にないアメリカ東海岸ならともかく、日本で大丈夫なのか?という疑問もあり得る。

 また、福島第一は地震の揺れそのものには耐えたと言われたが、それは冷却水の配管が単純な沸騰水型だったから、とも考えられる。
 複雑な二次冷却水の配管を持つ加圧水型の場合、地震の振動だけで二次冷却水系が破損する可能性はむしろ高いのではないか?

 もう一つ、大飯原発には「免震重要棟」がまだ無い。福島第一の事故後、事故収束にあたった職員が活動拠点にしていた建物である。
 新潟中越地震で柏崎刈羽原発が被災したため、東電の原発には新しく設置されている。

 東日本大震災クラスにも耐えられる建物で、ある程度放射性物質の遮断機能もあり、実際福島第一ではあれがなかったら事故収束作業は不可能だっただろう。
 関西電力の原発で免震重要棟が完成している所はまだないはずだ。

 こういう点を説明しないで、安全だから再稼働をと言っても、「信用できない!」という声は絶えないだろう。
 女性宮家の創設に関して百家争鳴の様相だ。
 だが、この問題を男女同権の観点から論じる人が、特に女性に多いのが気になる。
 どうも「女性天皇」と「女系天皇」を混同しているようだ。

 皇室典範という現在の法律では皇位を継承できるのは「男系の男子」のみとされている。
 一方歴史上女性の天皇は8人(二人は二度即位しているので10代)存在する。
 だから皇太子の娘である愛子さまが天皇になれないのはおかしい、女性差別だという論がある。

 最初に確認しておくが、愛子さまは「男系」の皇族である。
 男系というのは「実の父親が男系男子の皇族」という意味である。だが愛子さま本人は女性なので「男系の女子」になる。
 従って男系ではあるが「男子」ではないので現在の皇室典範を改正しないと即位はできない。

 過去の女性天皇は、後継ぎがまだ若すぎるとかの理由で一時のつなぎとして即位した人がほとんどで、その次の皇位は従兄弟や遠縁の甥にあたる「男系男子の皇族」に譲位するか、引き継がせている。

 唯一、元明天皇だけは自分の子供に皇位を継がせている。次の代の元正天皇はその娘で女帝が2代続いた。
 ただし、元明天皇の夫は「草壁の皇子」という皇族である。だから元正天皇は母から皇位を継いだが、父親が男系男子の皇族だし、その後皇位を弟に譲っているので、「男系男子による皇位継承」という原則は崩れた事はない。
 だから女系という概念に断固反対している人たちの全員が「女性天皇」に反対しているわけではない。
 愛子さまが一代限りの女帝として天皇になるのなら、歴史的前例があるのだから、何が何でも反対する理由はない。

 問題は次代の天皇である。愛子さまが女性天皇に即位して、男系男子の皇族と結婚して男子が生まれ、その男子が皇位を継ぐのなら、なんら問題ない。
 だが、現在の皇室には愛子さまと同世代の男子の皇族は秋篠宮家の悠仁さまだけである。
 そういう組み合わせの結婚は、旧皇族に皇統に復帰してもらわない限り不可能だ。

 もし愛子さまが天皇に即位して、今は民間人である男性と結婚して子供ができて、その子が次の天皇になるとする。この代の天皇は本人が男でも女でも「女系天皇」になる。
 女性宮家を創設して、同じく民間人との間の子供が皇位を継承した場合も同様である。
 「女系天皇」というのはこの事である。「女性天皇」とは全く意味が異なるのだ。

 また過去8人の女性天皇のうち4人は生涯独身であった。皇位継承争いを避けるため、という面もあっただろう。
 愛子さまに一生独身でいろとか、最初から結婚相手が旧皇族に限定されるとか、そんな人生を押し付ける事になりはしないだろうか?
 もうひとつ、女系継承に反対する人たちの、少なくとも一部の人たちの本音は、「女系を認めると外部から入り込んだ人間に皇室を乗っ取られる」ことを心配しているのだと思う。
 女系継承を認めると、現在一般人である男性が女性皇族と結婚する事によって皇族になり、その子や孫が皇位を継承する可能性が出てくる。

 天皇自身の「皇統の血筋」は維持できたとしても、そういう男性が妙な野心を持っていた場合、皇室全体の実質的な支配権を握ってしまう危険がある。
 皇族の身分は取得しなかったが、似たような状況は平安時代に起きている。藤原道長が始めた「外戚による摂関政治」がそれだ。

 当時の貴族全般、一部の皇族も、結婚形態は「妻問婚」だった。
 男性が気に入った女性の家に夜ごと通い、生まれた子供は女性の実家で祖父に養育、教育された。
 その結果、実の父親より母方の祖父の影響力が強くなり、時の天皇と自分の娘をくっつけ、男子が生まれれば、次の代の天皇の「母方の祖父」として、天皇を裏から自由に操れた。

 この結果、皇統は確かに維持されたが、当時イコール政府であった皇室、朝廷は藤原氏に私物化され国の政治が「臣籍」の一族によって壟断された。
 女性皇族を通じての女系継承が認められると、これが再現される危険を恐れているのではないか?

 もちろん現行憲法下での天皇は政治に関与できないから、日本国全体が乗っ取られる事はないだろうが、天皇、皇室の精神的な影響力を悪用されたら、かなり大がかりな事が可能になる危険は否定できない。

 日本人が天皇や皇族の言動にホイホイ影響されて国家の進路を誤らないという確信があれば、女系天皇もそれはそれでいいだろうが、上記のような危険を心配しての反対派を納得させられるだけの「成熟した国民性」を今の日本人は本当に持っているだろうか?
 政府は本気で福島原発事故で放射性物質で汚染された土地をどうにかしようという気があるのか?
 最終処分場はおろか、福島県双葉郡に建設するという「中間貯蔵施設」の場所すら全く決まっていない。

 それ以前に、意思の表明だけでもいいからやっておかないと日本中の優秀な科学者、技術者に無駄な努力をさせる事になってしまう。
 それは、がれきや汚染土壌からの放射性元素の分離、濃縮を可能にする技術を使う気があるのかどうか?ということである。

 今回の放射能汚染の一番厄介な点は、放射性物質が肉眼では見えない程細かい微粒子になって薄く広く拡散して土壌などにしみ込んでいる点だ。
 原発周辺および飯舘村まで伸びた北西方向の高レベル汚染地域はもちろん、避難するほどではないとされている中通り北部などの低、中レベル汚染地域では、これがはっきりしないと除染の計画さえ立てられない。

 チェルノブイリでも使われたゼオライト、プルシアンブルーなどを他の科学薬品などと組み合わせて、セシウムを分離する技術はすでに五指にあまるほどの方法が実験室レベルでは開発されている。

 だが、政府内部では環境省や経済産業省の政務官クラスの若手は比較的熱心にそういう分離、濃縮技術に着目しているが、副大臣クラスだと関心が薄い。大臣だと完全に無関心にしか見えない。
 まあ、マスコミが報じないから、というせいもあるのかもしれないが。
 なまじ分離濃縮すると高レベル放射性物質になってしまうので、それを嫌がっているのか?
 だとしたら、そんな技術を開発しても使う気はないとはっきり言うべきである。低、中レベルの汚染がれきや汚染土壌は中間貯蔵施設にそのまま放置するのだ、と。

 「放置」と言うと聞こえは悪いだろうが、現代の科学技術をもってしても放射性元素そのものを消滅させる事は不可能だ。
 最終処分にしても、放射性元素が四方に放射線を撒き散らしながら、別の無害な元素に変身する(核種崩壊とも呼ぶ)を待つ事でしかない。
 ただ、それを地表に影響が出ない大深度地下に埋めてそうさせるというだけだ。

 放射性元素の分離、濃縮は手間ひまと何より莫大な金がかかる。かつ最終処分場でしか保管できない高レベル廃棄物が多量に出る。
 それなら低、中レベルのままの状態で一か所に集めて自然崩壊、自然減衰を待とうというのも、考え方としてはアリである。

 だが、低、中レベルの汚染のがれきや土壌を分離、濃縮なしで保管するという事は、双葉郡の中間貯蔵施設の規模は相当巨大になるという事。
 双葉郡への帰還をすべきかどうか迷っている避難者の人たちにとっては死活問題だ。
 中通り北部の、浜通りの一部より汚染がひどい地域に今後も住み続けようという人たちには、汚染レベルの将来の低減がどうなるのか、これも重大な関心事であるはず。

 なにより、放射性元素の分離技術を使う気がないのなら、その研究にたずさわっている科学者、技術者に無駄な努力をさせている事になってしまう。そんな技術を開発できるぐらいだから、かなり優秀な研究者であるはず。

 その人たちに使われるあてのない、役に立たない研究をいつまでも続けさせるべきではない。
 そんな時間と人材があるなら、低、中レベルの放射能汚染の中で今後とも安全に暮らしていくための、健康維持や放射線遮蔽の技術をこそ研究してもらうべきだ。
 あるいは日本で日の目を見ない技術なら、外国に売り込む手もある。
 中国、インド、ベトナムなどこれから原発を持とう、あるいは増やそうという新興国はたくさんある。
 これらの国にとっても、福島県の放射能汚染は他人事ではない。

 そういう国は、人口密集地域の超長期間の低、中レベル放射能汚染という事態を日本人がどうやって解決するのか、そのためにどんな技術や装置を発明するのか、興味津津で見守っているはずだ。

 そういう国に放射性物質の分離、濃縮の技術を買ってもらって、海外で実用化してもらえばいい。そうすれば将来日本に逆輸入できる可能性が残る。

 原発事故後、すかさず放射性元素の分離技術の研究を始めて成果を出した科学者、技術者は日本の宝である。
 その宝に「使われるあてのない」技術の研究を無為に続けさせるのは日本にとって国家的損失である。

 もしそういう技術を使う気がないのなら、早く方向転換してもらうか、海外への売り込みに今から取り組んでもらうべきだ。