内閣府が「国内総生産(GDP)ギャップ」という数字を発表した。
この中で日本経済は「年間15兆円の需要不足」に陥っていて、これがデフレの一因だとされている。

しかしこの「需要不足」という言葉、そもそもおかしいのではないだろうか?
経済というのは、まず需要が先に発生して、そこに供給する企業なり個人が現れて、それから市場が生まれるものであるはずだ。

需要が足りないという現象は本来あり得ないはずではないのか?
内閣府が言う「需要不足」とはつまりは「企業がせっかく生産しているのに物やサービスが売れない」という話だろう。
しかしそれは「消費者が必要としていない製品やサービスを企業が作っている」という事になるのではないのか?

これでは政権交代の意味がない。
2009年の衆議院選挙で自民党が大敗して民主党に政権交代した理由、原因はいろいろあるだろうが、一つには自民党はブルジョワ政党なので「生産者目線」だったからだ。

生産者、つまり企業とか農家とか、物やサービスを作る側、売る側の都合ばかり考えて買う側の事を真剣に検討してくれない。
買う側とは同時に雇われている労働者でもあるから、あの時の民主党への雪崩現象は「消費者、労働者軽視の自民党はもう嫌だ!」という有権者の意思表示という面もあったはず。

相変わらず「需要不足」などという言葉を平気で使って、それに違和感すら覚えないというのなら、民主党と自民党ではこの点に関しては何も違いがない事になる。
需要不足というのは本来「供給過剰」というべき状態だ。
つまり企業が、もう大半の消費者に飽きられた物や、時代遅れになって売れるはずがない物を惰性で作り続けているから、という話になるはずだ。

東日本大震災では東北の太平洋岸3県の広大な地域が文字通り廃墟になった。
電線、上下水道、電話線などインフラを一から造り直す必要が生じているし、被災者も生活再建を自力で出来る人たちは、衣食住、家電製品、自動車を買い直すなど、物に対する膨大な需要が発生しているはず。

福島県では放射能汚染の除染、健康被害防止のためのニーズなど、今までなかった全く新しい科学技術や医療サービスの必要性が生じている。
こういう新しい製品、サービスは「供給不足」のはずだ。

だいたい放射線計測機にしても、今日本で手に入るのはほとんどが輸入品である。
国産の計測器で、かつ一般庶民でも買える値段の物はまだまだ品薄である。
これは企業が今の時代のニーズに合致した製品、サービスを提供していないという事ではないのか?
日本は既に人口が減り始めていて、かつ物やサービスをそんなには消費しない高齢者の割合が年々上がって行く。
いわゆる高齢化である。高齢者は物であれサービスであれ「今までは想像も出来なかった新しい」ものにはなかなか飛びつかない。

高齢世代向けのマーケットは拡大するという事だが、それに頼り切って「前と同じ製品を前と同じやり方で作って前と同じやり方で売る」という事をやっていたら、どんな業種でもじり貧になるのは当たり前だ。

これが政府のいう「需要不足」の正体ではないのか?
だとしたら、過剰な供給者を整理する事でしか問題は解決出来ない。
たとえば総合家電メーカーなら韓国に勝てないテレビの生産ややめて、ロボット技術にシフトするとか、そういう事をやるべきだろう。
だが今の日本の家電メーカーはテレビ生産の継続にこだわって赤字を蓋しているだけのように見える。

「需要不足」という言い方は「せっかく生産してやっているのに、買ってくれないとは困ったもんだ」という、生産者側の傲慢である。
何なら、どうすれば買ってくれるのか?
それを脳みそ振り絞って考えるのが企業などの生産者の本来の仕事だろう?

いかに生産を増やすかが最重要課題だったのは、20世紀の人口増加時代の話だ。
いいかげん生産者目線から消費者目線あるいは「お客様目線」に日本全体で考え方をシフトしないと、この国はほんとに滅ぶぞ。
 大阪府泉佐野市という自治体がなんと「市の名前をつける権利」を売り出すそうである。
 金額はまだ分からないが、この市財政破綻の一歩手前だそうで、多分数十億円とか数百億円とかになるのだろう。

 野球やサッカーのスタジアムの名前に企業の名前を冠するという例は今までも多くあった。
 地元の有名な企業や団体にあやかって自発的に改名した例としては、愛知県豊田市、奈良県天理市があるそうだ。
 しかし市の命名権を、期限付きとは言え、お金で売ろうとは驚きである。

 さて命名権を買うのは多分企業になるのだろうが、企業名をそのまま市名にするのは味気ない。
 ここは一つ遊び心が欲しい。
 映画、小説などの架空の都市名だと面白い。ポップカルチャー作品のそれなら若者にも、うけるかもしれない。

 これが東京都下の市なら「第3新東京市」で決まりなのだが、大阪近辺だと我輩にはにわかに思いつかない。

 買い手は「国内外を問わず」という事だから、カタカナもありなのだろうか。
 「ゴッサム市」ならアメリカ人には受けるかもしれない。
 市のシンボルはコウモリのマークに変える。でもって市役所の建物は毎晩、コウモリのマークが浮かび上がるサーチライトでライトアップする。

 ひょっとしたらアメリカからの観光客は増えるかもしれない。
 ただ普通の観光客は減って逆効果になる危険もある。
 ここは海に面した市だし、ホテルや貿易会社のひとつずつぐらいは市内にあるだろう。
 「ロアナプラ市」に改名して、そこに「ホテル・モスクワ」とか「ラグーン商会」とかがあったら、我輩的には遊びに行こうかという気にはなる。
 ただまともな観光客はよりつかないだろうな。

 この市はタオルなどの繊維産業が盛んで、「東洋のマンチェスター」と呼ばれているとか。
 「オリエンタル・マンチェスター市」なんてかっこいいが、高齢の市民は舌を噛む恐れがある。

 心配なのは、泉佐野市は中国の上海市の区と姉妹都市になっている事だ。
 中国企業に命名権を買われて「小上海市」とかに改名されるのはムカつくので避けたい。

 台湾企業に買ってもらえば「悲情城市」もありだが、これは地元の市民が絶対に嫌がるだろうな。

 こうして考えてみると、大阪近辺に架空の街を設定したフィクションやポップカルチャーの有名作品は意外と無いものだ。まあ、我輩が知らないだけかもしれないが。

「プリンセス・トヨトミ市」なら響きもいいし、若い人にはうけそうだが、やはり時節柄会計検査院が黙っていないだろう。

 何かいい新市名はないものだろうか?
 大阪維新の会の「維新政治塾」がいよいよ開講した。こういう組織が出来る事自体はいいことである。
 維新の会とその「顔」である橋下徹・大阪市長の人気もうなぎ昇り。次の衆議院選挙ではかなりの議席を取るだろうと言われている。

 だが我輩は、この橋下人気、維新の会人気に違和感を禁じ得ない。
 将来日本はどんな国になるべきか?という世論調査等の結果と真っ向から矛盾しているからだ。

 先日のテレビ番組でも、どこかの大学が世論調査をした結果、58%以上の人が日本は「北欧のような高福祉国家を目指すべき」と回答している。
 この場合の北欧とはスウェーデン、ノルウェー、デンマークの事だろう。民主党がよく政策の引き合いに出すのはスウェーデンが多いので、「スウェーデン型」と言っておこう。

 さてスウェーデン型は別名「高福祉、高負担」と言われる。年金、子育て支援、失業手当などの社会福祉は素晴らしく手厚いが、その分税金は高い。
日本の消費税にあたる間接税は20%以上。
 税金、社会保険料などの合計負担率は、普通のサラリーマンでも所得の5割を優に越える。

 日本で消費税増税議論が始まったあたりから、福祉国家のお手本としてスウェーデンが取りざたされる事が多くなった。
 保育所や子供手当が充実しているので女性も安心して働ける。老後の金の心配をしなくていいので消費が旺盛で、その結果国の経済も好調。
 おおむねこんな利点ばかりが強調されている。