「あら、怯えてる…? 目の色が濃くなったわ。鱗も逆立てて……いじらしいのね」
「うるさい、ここから出ていけ。応じないなら容赦しない」
凄んだ声は情けなく震えていた。
喪服のこいつがほんの少し身じろぎするだけで、蔵内の空気がひどく淀んでいく気がする。
目が霞む。
だめだ、ここに長居してはいけない。
こいつと話しては、いけない。
「 本当に、何もかも忘れているのね 」
「 公(きみ)のかけた術は成功して、何もかもが順調に運んでいるのよ 」
「 だけどそうね、ちょうどいい頃合いだと思うの……ねえ…?
そうでしょう? 」
なんで、この足は動かない?
ばくばくと心臓が音を立てて、落ちた汗が床に水玉模様を作った。
逃げろ。
逃げなくては。
─早く。
這いずろうと地についた手に、死人じみた体温が触れた。
「 ほら、思い出して 」
抉るような熱が頭を駆け巡って、わけのわからない情報の数々が網膜を焼いた。
叫びというよりは呻きに近いその声は、誰にもきっと届いていない。
痛い。熱い。死んでしまう。死んでしまう。助けて。
助けてくれ。
のたうつ体に手を差し伸べてくれるものなどいない。杏子はいない。
ここには誰もいない。
いないのだ。
悪魔は囁いた。
「 そう。アナタの居場所はここにはないの 」
─そうだ。はじめから、俺という存在なんて。
視界がまっ黒く爆ぜた、気がした。
「さあ。帰りましょう、あなたの本当の鳥籠(おうち)へ」
「……くそったれ」