駄目だ、こんなのは駄目だ。

アイツをそんなふうにしたって、杏子は喜ばない。
だめだ。落ち着け。


「本……この前見た本、でも読んで」


落ち着こう。

一度読んだあの歴史本、もう一度読んだらすべてがわかるかもしれない。

この胸のわだかまりの正体も。



それなのに。
記憶を辿ろうと目を伏せても、ずきずきと頭が痛むばかりで不愉快だ。
ちっとも見えやしなかった。


「……駄目だ、思い出せない」


今は、他に何か参考になりそうなものを探すしかないか…。


実際問題、ただ思い出して理解していることは『自分が中途半端な立ち位置にいる存在』だということだけなのだから。




「本当に、何も覚えていないのね」



─鈴が、鳴った。


てん、と踵に当たったのはいつか見た赤い手毬。


背筋に冷たいものが走るのを感じて、振り返った。


「─ッ」


誰もいない。 いや、


「ふふ。どこを見てるの?」


「!」

至近距離で闇より深い色の瞳がかち合った。


飛び退いて距離を図ろうとするのに、金縛りにあったように指先ひとつ動かせない。


夜に溶ける喪服と双眸。
それとは間反対、浮かび上がる白い顔と長い髪。


─ばけもの。これは人ではない。


瞬時に悟った瞬間、体が動くようになって喪服の妖を遠くへ殴り飛ばした。


「いやね、乱暴はいただけないわ……」

「お前は、何だ、答えろ」

「お着物がほつれちゃう…」

「っ、」


殴り飛ばしたというのは間違いだった。
掠めてすらいなかったのだ、本当は。


軽い音を立てて、簡素な机の上に足を着けた妖は相変わらず薄笑いを浮かべていた。


「ッ」


いやだ、この笑顔は。
なにか得体の知れないものがある。

心の中を見透かされているようで気持ちが悪い。


なんだ、こいつは?