「行くなよ、百合子のバカ」
少年―司―は、百合子と呼ばれた司よりいくらか背が高い少女のブラウスの裾を掴んで駄々をこねていた。百合子は困ったようすで笑みともひきつりともつかないものを顔に浮かべて、うつむいた。

彼らの後ろでは大人たちが忙しそうに大きなワンボックスカーに段ボールをいくつも運び込んでいる。

「司くん、わたし、手紙かくよ」
百合子は司の手を握る。司は首をふり、しかしその手を強く握り返した。
「百合子がいないと意味ない」
「司くん、わたしいつか帰ってくるのよ」
「いつかっていつなんだよ?」
それは分からないけど、帰ってくるのよ、と百合子は言う。司は分からなかった。百合子とその家族は遠くに行くという。「遠くに行く」ということは、幼い司にとって「もう会えない」と同義だった。
それでも百合子は強く「帰ってくる」と言い、司の手を握った。

それからしばらくして百合子を乗せたワンボックスカーは本当に遠くに行ってしまった。

百合子から手紙が何通か届いたが、一度返事をしたきり司は手紙を出さなかった。