恋想曲 ~永遠の恋人へ~

「葵、起きなさい!」



お母さんの声と食器の音で目が覚めると、時計は6時を回ってた。


私、1時間近くも寝てたんだ…。

最近寝つきが悪くて寝不足だったからな。



「あれ、お姉ちゃんは?」


「友達と会うって言ってたけど、デートじゃないかしら。珍しくスカートで出て行ったから」




お母さんは嬉しそう。


普通、もっと心配したり、詮索したりするもんだよね?


今まで男の人の気配を感じることがなかったから、逆に嬉しいのかな。




少なくとも、私は感じたことなかった。


お姉ちゃんはどこか冷めてるって感じで‥。




だからちょっと嬉しいって気持ち、

私もわかる気がする。




「ただいまー」


お父さんが帰って来た。


仕事という名の大好きなゴルフから戻った我が家の太っちょお父さん。



「おかえり」

「あれ、お姉ちゃんは?」

「お友達のところよ」


そう言ってお母さんは私に小さく舌を出す。



え!?

お母さんが嘘つくところ、初めて見たよ。

ちょっと吹き出しそうになる。





私はご飯を食べ終えると、お風呂場から聴こえてくるお父さんのサブちゃんの演歌が耳に残らないうちにコンビニへ行こうと玄関を出た。




あっ、おねえちゃんの声。

なんだ、もう帰って来てるんじゃない。



家の角を曲がったところで立ち話をしてるお姉ちゃんの声が聞こえてきた。



本当に彼氏といるのかな?

お姉ちゃんと付き合う人ってどんな人だろう…。




ワクワクしながら足を前に進めた。


もう一人の声が聞こえてくる。





もう一人の声。























遼ちゃん……。





私の足は動かなくなった。



サブローが吠えはじめ、慌てて家の中に入った。






遼ちゃんだ。

あの声は絶対に遼ちゃん。



どうして?

近所だから偶然会ったの?

学校の買い出しとか?
 



それとも……



お姉ちゃんの彼氏って…

遼ちゃん?




ていうか…

どうしてこんなに焦ってるの?






私、過去に縛られてるのかな…。


だからこんなに動揺してるの?



また遼ちゃんを好きになって苦しい思いをするくらいなら、

いっそ彼女がいることを知ってふっきれたい。



そしたら迷うことなく前に進める。



お姉ちゃんだって彼氏ができて幸せだよ。

妹として喜ぶことじゃない。





全てがうまくいく。




なのに…



どうして苦しいの?

どうして逃げたの?




また同じ思いはしたくないよ…。




私は、溢れそうな想いにフタをした。














今日は初めての演奏会。



頭の中を今日のことだけに集中して、今までがんばってきた。


だから、あまり遼ちゃんとお姉ちゃんのことを考えずにいられた。





本番前、私たちは控室でチューニング(音合わせ)をしている。


「高い」

私が音をだすたび遼ちゃんがチューナーの波形を見て「高い」と言う。


何度もチューニング管をひろげ音を低くしようとするけど合わない。




もう~、今日に限ってどうして音が合わないの!?

お願い!!いつもみたく鳴ってよ!



私はトランペットに念じた。



焦りと緊張で、手が汗ばんでくる。





「おまえ、緊張してるだろ」

「う、うん。かなり…」


そりゃ緊張しまくりだよ!!

人前で何かをするなんて初めてだし、
ましてや憧れてた演奏をステージで出来るんだから。



「ひでぇ顔」

遼ちゃんは、私のひきつった顔を指差し笑いだした。



はぁ!?

こんな時になにを突然言ってくれちゃってるの!?

がんばってるのに!!



「ひどい!」
「ひどい!」


私の真似をして脹れた顔で同じことを言う遼ちゃん。


隣で見ていた東先輩と太田先輩が笑いだした。


「も~!」
「も~!」

小さく足をばたつかせる私は‥

笑ってた。


そして、知らないうちに肩の力が抜けていることに気がついた。





「大丈夫。楽しもう」


遼ちゃんはそう言って私からトランペットを取り、チューニング管を触って私に戻した。



帰ってきたトランペットのチューニング管は、

いつもどおりになってた。




私しか知らないはずの


『いつもどおり』



遼ちゃんは知ってたんだね。








遼ちゃんの『大丈夫』は

魔法の言葉だよ。


本当に大丈夫に思える。




よぉ~し、楽しむぞ~!

ステージは一人じゃない、みんながいるもんね。



暗いステージに上がり、呼吸を整え客席に目を向けた。


ざわめきが聞こえるだけで、客席はなんにも見えないや。

これなら思ったよりリラックスできそう。



そう思えたのは束の間だった。




照明がついた瞬間



私は唾を飲み込んだ。





数えきれない人・人・人!!!!


お客さんがいっぱいいる~~~!!



小さくなったはずのざわめきが、どうして何十倍にも大きく聞こえるの!?


スポットライトが熱い! 眩しい!


落ちつけ! 落ちつけ私!!




もう一度深呼吸をした。


そして、離れた遼ちゃんの横顔に目を向ける。





『大丈夫』




心で呟き、トランペットを構えた。





林先生のタクトが踊りはじめると、


音楽が生まれはじめた。




もう周りを気にしてる余裕はない。



五線譜の音符とタクトが私を誘いだす。


私はトランペットに息を吹き込み、

みんなと音を重る。






気がつくと、私の心と体は楽しんでた。



誰かに聴いてもらうって、こんなに気持ち良いんだね。


熱かった照明が、太陽の日射しのように感じる。


私たちは太陽を浴び、いろんな花を咲かせてるみたい。




小さくて繊細なかすみ草。


目立ちたがり屋のひまわり。


調和のあるガーベラ。


凛としたすみれ。


貴賓なバラ…





たくさんの花が咲いてる。






初めてのステージは、


緊張と楽しさがいっぱいだった。









お客さんの拍手を聴き、私たちはステージを降りた。



さっきと同じ部屋とは思えない騒がしい控室で楽器を片付ける。



「よかったね~」

「帰りクレープ食べに行こう」

「腹減った~」


いつもの雑談で明るい雰囲気の中、私は違ってた。


ほっとした瞬間……



あれ?

どうして目に涙が溜ってくるの?


込み上げてくる熱いものが収まらず、

誰にも気づかれないように控室を出てトイレに向かった。



トイレどこだっけ?


広い廊下を歩いていると、視界がどんどん霞んでくる。



どうしよう…

こんな所で泣くなんて…最悪。



行き止まりになった階段の端に座り、顔を伏せた。



早く落ち着いてみんなの所に戻らなきゃ。

こんなことなら、麻衣子に声かけてから来るんだった…。






!!



誰か近づいてくる…


誰?






人の気配を感じ、恐るおそる顔を上げると



目の前には、遼ちゃんがいた。






またバカにされる!



そう思ったけど、

遼ちゃんは黙って隣に座り込んだ。




「がんばった」


視線を前に向けたまま私の頭を撫でてくれる。



あったかい…

あったかすぎるよぅ。



「ふぇ…」


もう限界。

糸が切れたみたいに涙が溢れだした。



遼ちゃんは「大丈夫、大丈夫」って笑顔を見せてくれる。




遼ちゃんは泣きやませようとしてるけど、

そんなの無理だよ。




何度も撫でてくれるその手が、

その声が、



私を泣かせてるんだよ?





遼ちゃん、


気づいてよ……。