「へたくそ!」
「ひど~い!小川先輩の教え方が悪いんだよ!」
「おまえなぁ~」
ブラバンに入部して三週間。
私は17歳の遼ちゃんに少しずつ慣れてきた。
17歳の遼ちゃんは、
見上げなきゃ目を合わせられないくらい背が高くて、
黒い学ランが似合ってる。
幼い頃の遼ちゃんは私に優しかったけど、
今の遼ちゃんは少し意地悪。
あの頃と変わらないのは、
陽が当たると赤茶色に見える黒い髪。
笑ったときに表れる右頬の笑窪。
「最近良いことあった?」
「え?‥なんで?」
「音が変わったから‥気持ちが音に表われるんだよ」
「べ、べつにないよ」
遼ちゃんはそっけない私の返事を聞いて、そのまま曲の練習をはじめた。
ドキッとした。
否定してる気持ちを読み取られたようで焦る。
認めたくないのに…
音が告白してるみたいで恥ずかしい。
やだ‥顔が熱くなってきた。
赤くなってるのが自分でもわかる。
遼ちゃんには絶対こんな顔見られたくない。
バレてないかな…
恐る恐る遼ちゃんの顔を見た。
わっ!目が合っちゃった!
「ん、なに?」
遼ちゃんは、周りの音から声を聞き取れるように上半身を私に近づけた。
そっそんなに近づかないで~!!
「なんでもないです!」
視点が合わないまま答えた。
心臓がバクバクしてる。
この環境体に悪いよ!!
遼ちゃんは首を傾げ、自分の椅子に姿勢を戻した。
‥かと思うと、もう一度私に近づいた。
なっなに!?
遼ちゃんの唇が、息がかかるくらい耳元に近づいた。
「おまえ、なんでトランペットしようと思ったの?」
え‥?
意外と真面目な質問で拍子抜けする。
「去年の定期演奏会で、柏木先輩のソロを聴いたの。私もあんな音色で演奏したいって思ったから‥。
それが今の私の夢なんだ…」
この質問だけは堂々と答えられる。
だって、私の憧れ、夢だもん。
遼ちゃんは、私に耳を向けたまま軽く2回頷いた。
「どうしてそんなこと聞くの?」
「おまえ、小さい頃音痴だったから」
「ひっど~い!」
なによ~!
赤い顔をしてる自分が悔しい。
遼ちゃんの肩を思いきり叩いた。
遼ちゃんは笑いながら私の手を防御する。
遼ちゃん
私、嬉しかったよ。
小さい頃のことを口にしてくれて。
私のこと、覚えててくれて。
遼ちゃん
どうしてあの日、離れてしまったの?
日曜日の午後、サブローと公園を散歩。
春の風が心地よい。
太陽の日差しが、頭のてっぺんをポカポカにしてくれる。
「気持ち好いね」
お腹をべったり草原につけて、気持ちよさそうに眠るサブローの耳がピクリと動いた。
広々とした平地で、小さい子供たちがキャッキャとボールを追いかけてる。
私が小さい頃は、雑草がボウボウに生えてて大きな木もあった。
かくれんぼをするには最適だったのに、危ないからって平地にされた。
そういえば、この町けっこう変わったな。
コンビニが増えたり、大きいマンションが建ったり。
生活が便利になった分、どこかで知らない何かがいっぱい変ってるんだろうな。
人だってそう。
常に変わり続けるんだろうな‥。
なんだか寂しくなって、家に帰った。
家に帰ると、おばあちゃんがじゃがいもを蒸かしてた。
そうか、今日はおじいちゃんの月命日。
おばあちゃんは毎月おじいちゃんの月命日に蒸かしイモをつくる。
きっと、おじいちゃんの好物だったんだろうな。
私はおじいちゃんに会ったことがない。
私が生まれる前に病気で死んでしまった。
おじいちゃんて、どんな人だったのかな…。
「ねえ、おばあちゃん。おじいちゃんてどんな人だったの?」
「優しくて、真っ直ぐな人」
おばあちゃんの声が、とても温かく感じた。
蒸し器から出る湯気が、おばあちゃんを包んでるように見える。
変わらない想いもあるんだな‥。
心の中がほっと温かくなり、
私はそのままソファで眠ってしまった。
「葵、起きなさい!」
お母さんの声と食器の音で目が覚めると、時計は6時を回ってた。
私、1時間近くも寝てたんだ…。
最近寝つきが悪くて寝不足だったからな。
「あれ、お姉ちゃんは?」
「友達と会うって言ってたけど、デートじゃないかしら。珍しくスカートで出て行ったから」
お母さんは嬉しそう。
普通、もっと心配したり、詮索したりするもんだよね?
今まで男の人の気配を感じることがなかったから、逆に嬉しいのかな。
少なくとも、私は感じたことなかった。
お姉ちゃんはどこか冷めてるって感じで‥。
だからちょっと嬉しいって気持ち、
私もわかる気がする。
「ただいまー」
お父さんが帰って来た。
仕事という名の大好きなゴルフから戻った我が家の太っちょお父さん。
「おかえり」
「あれ、お姉ちゃんは?」
「お友達のところよ」
そう言ってお母さんは私に小さく舌を出す。
え!?
お母さんが嘘つくところ、初めて見たよ。
ちょっと吹き出しそうになる。
私はご飯を食べ終えると、お風呂場から聴こえてくるお父さんのサブちゃんの演歌が耳に残らないうちにコンビニへ行こうと玄関を出た。
あっ、おねえちゃんの声。
なんだ、もう帰って来てるんじゃない。
家の角を曲がったところで立ち話をしてるお姉ちゃんの声が聞こえてきた。
本当に彼氏といるのかな?
お姉ちゃんと付き合う人ってどんな人だろう…。
ワクワクしながら足を前に進めた。
もう一人の声が聞こえてくる。
もう一人の声。
遼ちゃん……。
私の足は動かなくなった。
サブローが吠えはじめ、慌てて家の中に入った。
遼ちゃんだ。
あの声は絶対に遼ちゃん。
どうして?
近所だから偶然会ったの?
学校の買い出しとか?
それとも……
お姉ちゃんの彼氏って…
遼ちゃん?
ていうか…
どうしてこんなに焦ってるの?
私、過去に縛られてるのかな…。
だからこんなに動揺してるの?
また遼ちゃんを好きになって苦しい思いをするくらいなら、
いっそ彼女がいることを知ってふっきれたい。
そしたら迷うことなく前に進める。
お姉ちゃんだって彼氏ができて幸せだよ。
妹として喜ぶことじゃない。
全てがうまくいく。
なのに…
どうして苦しいの?
どうして逃げたの?
また同じ思いはしたくないよ…。
私は、溢れそうな想いにフタをした。
今日は初めての演奏会。
頭の中を今日のことだけに集中して、今までがんばってきた。
だから、あまり遼ちゃんとお姉ちゃんのことを考えずにいられた。
本番前、私たちは控室でチューニング(音合わせ)をしている。
「高い」
私が音をだすたび遼ちゃんがチューナーの波形を見て「高い」と言う。
何度もチューニング管をひろげ音を低くしようとするけど合わない。
もう~、今日に限ってどうして音が合わないの!?
お願い!!いつもみたく鳴ってよ!
私はトランペットに念じた。
焦りと緊張で、手が汗ばんでくる。