「何!?何なのよ!!」
神崎先生が慌ててブラウスのボタンを閉め、遼ちゃんの顔を見る。
そこに現れたのは、資料の山から出てきた嶌田部長だった。
「先生、俺こんな事したくなかったんだけど、相手が悪かったね。
俺の親友と彼女の妹なんだもん。協力したくなっちゃうでしょ?」
嶌田部長の手には、今の現場を動画で撮影した携帯電話を持っていた。
「俺、これから彼女と約束あるから行くね」
そう言って嶌田部長は私の肩にポンっと手を乗せて出て行った。
私も…何が何だかわからないよ…。
突然現れた嶌田部長…
神崎先生の青い顔…
遼ちゃんの笑み…
閉められた資料室で、
遼ちゃんだけがこの事態を把握していた。
「遼、どういうこと!?どうしてこんな酷いこと‥」
「約束を破ったのは、あんただよ」
制服を着た遼ちゃんが、怖い顔で神崎先生に言った。
遼ちゃんは私の前に立ち、神崎先生に向かって話し始めた。
「今朝、和弘が来て全部教えてくれたよ。
昨日、あんたが和弘を脅して葵を襲わせたこと。
それに、二年前にあんたが襲われたのも、和弘を脅してやらせた自作自演だったってこともね」
遼ちゃんの低い声が、神崎先生の表情をさらに硬くする。
「あんた、約束したよな?
俺があんたの言う事をきいてたら、葵をいじめの対象にさせたり、手を出すようなことはしないって…。」
神崎先生の左頬がピクッと上がった。
「今度葵に手を出したら、あの画像をあんたのお父さんとお偉いさんたちに送るからな」
「こんなことして困るのは遼よ!
あんな画像が外に漏れたら、卒業だって出来なくなるんだから!!」
怯んだ声で言い放った神崎先生の声。
遼ちゃんがその声を消すように言った。
「先生、知らなかった?
俺、葵のためだったら怖いものなんてないんだよ」
遼ちゃんが握ってくれた手…
すごく温かくて
涙が出た…。
「わかったわよ…あんたみたいなガキ、こっちからお断りよ!!」
神崎先生は凄い勢いで資料室のドアを閉めて出て行った。
残された遼ちゃんと私…。
私は遼ちゃんの手を握ったまま泣いていた。
「ごめん…。俺‥葵をいっぱい傷つけた…」
遼ちゃんの声、
もう一度握り返してくれた手から
優しさが伝わってくる。
「違うの…。私‥遼ちゃんは神崎先生のことが好きなんだと思って…別れたの…。
だから、遼ちゃんが私を好きでいてくれたことが嬉しくて…
嬉しくて涙が止まんないよぉ…」
大粒の涙を流してる私を、遼ちゃんが抱き締めた。
「俺…葵に嫌われたんだと思ってた。
いっぱい傷つけて、いっぱい泣かせて…
俺なんかが傍にいちゃいけないと思った」
「やだよ…。遼ちゃんがいてくれなきゃ‥やだ…。
遼ちゃんが好き…。ずっと、遼ちゃんが好き…」
「俺も好きだよ。もう、二度と離さない…」
遼ちゃんと見つめ合い、
ゆっくりと唇を重ねた。
涙味のキス。
少ししょっぱくて…
温かいキスだった。
久しぶりの遼ちゃんの隣は居心地が良くて
しばらく二人で寄り添ってた。
「さっき言ってた和弘って‥誰…?」
「合宿で葵に声をかけた奴だよ。あいつ、俺と中学時代にけっこう悪さをしてて、それを知った神崎先生が、親の力を利用してあいつを脅し動かしてたんだ。
和弘、昨日のことも二年前のことも後悔してて、今朝うちに来たんだ…」
あの聞き覚えのあった声は、赤いTシャツの男の人だったんだ…。
あの時、『こいつはやばい』って言ってたのは
神崎先生が好きな遼ちゃんだったからなんだね。
頭の中で絡まっていた糸が解けたようだった。
「ごめんな…怖い思いさせて」
「ううん、いいの…。こうして遼ちゃんと一緒にいられるんだから…」
遼ちゃんがギュッと抱きしめてくれた。
「あのさ、葵…そろそろいいかな?」
「え、何?」
「そのチョコ。俺すごい食べたいんだけど」
「あっ忘れてた!」
すっかり渡すのを忘れてたチョコを遼ちゃんに渡した。
たくさんの想いを込めて…。
「すげーおいしい!!
このちょっと苦いのが俺好み!」
遼ちゃんはすごく嬉しそうに食べてくれる。
嬉しかった。
お姉ちゃんが教えてくれたおかげだよ。
ありがとう、お姉ちゃん。
「これからもバレンタインにはこれ作ってね」
最後のトリュフを口に入れた遼ちゃんが言った。
「材料が足りなくて味見しなかったから、同じのは無理かも」
「じゃあ…味見する?」
遼ちゃんの眼差しにドキッとした。
ドキッとした私の目を離さないまま
遼ちゃんがキスをする。
遼ちゃんの口の中で溶けたチョコが、
私の口の中へ…。
チョコと一緒に遼ちゃんの舌が入ってくる。
閉じない遼ちゃんの眼差しが、
私の頬を染めていく。
「味…覚えた…?」
「‥ん…無理だよ…。こんな‥‥覚え…られないよ…」
チョコがどこかへ消えてしまっても止まらない遼ちゃんのキス。
どんどん体が火照っていく…。
私、どうかしちゃったのかな
体の力が抜けてくよ…。
私の頭にまわした遼ちゃんの手が、力の抜けた私を支えさらに激しいキスをする。
今日の遼ちゃん、いつもと違う。
優しいのに、激しくて…
私‥おかしくなっちゃいそうだよ。
「遼‥ちゃん…もう…だめ……」
私の声にハッとした遼ちゃんは唇を離した。
「ごめん…。つい興奮しちゃった」
照れた笑顔を見せた遼ちゃん。
その笑顔が愛しくて遼ちゃんを抱きしめた。
「私も…本当は嬉しかった」
抱きしめる私を見て、遼ちゃんは私の唇についたチョコをペロッと舐めた。
「そんな顔したら、またキスしちゃうよ?」
「キス…したい……」
素直に言った私の言葉を聞いて、遼ちゃんはドキッとした顔をした。
「今はしない」
「どうして?」
赤くなった遼ちゃんの顔に近づいた。
「今キスしたら…キスだけじゃ抑えられなくなるから」
それって、もしかして…
真っ赤になった私の頬に遼ちゃんがキスをして言った。
「いつか…ね」
微笑んだ遼ちゃんの瞳に吸い込まれそうになる。
遼ちゃん、好きだよ。
大好きだよ…。
手をつないで資料室を出た私達は、仲間のいる音楽室に行った。
私達の姿を見て、心から喜んでくれる麻衣子と信汰。
ほっとした優しい笑顔で迎えてくれた仲間たち。
すごく嬉しかった。
嬉しくて、嬉しくて…
みんなの胸の中で、私は涙が溢れた。
真白な雪が降り積もる道。
遼ちゃんと一緒に歩く道。
寒い雪空の下、
遼ちゃんのポケットの中と、胸の中は春みたいに温かいんだ。
「もうすぐ卒業式だね」
「卒業か~。ずっと葵とこうして学校に通ってたいな。
葵と会ってからだよ、俺が学校好きになったの」
「私も遼ちゃんがいるから学校が大好きになったよ。
最初は戸惑ったけど、ブラバンで遼ちゃんに会えてよかった。
柏木先輩のおかげかな…」
「柏木先輩?」
「うん。柏木先輩の音色に憧れなかったら、きっと遼ちゃんとこんなふうになれなかったと思うんだ。
いつかきっと、柏木先輩みたいに演奏したい」
「そっか…。柏木先輩は葵の憧れ?」
「うん!あっ、けど好きとは違うからね!」
「わかってるよ」
遼ちゃんは笑って私の額を小突いた。
資料室での出来事の後、
神崎先生は『一身上の都合』ということで桜丘高校を去った。
学校中のほとんどの男子ががっかりしてたけど、
神崎先生の後に入った山吹先生がすごくかわいくて、あっという間に神崎先生の名前を口にする人はいなくなった。
遼ちゃんと私は、誰からも干渉されることなく、時間があれば一緒にいるようになった。
卒業式が近づくと、一緒にいる時間がさらに増えた。
「今日の帰り、待ってるから一緒に帰ろう?」
「うん。ちょっと遅くなるけどいい?」
「サブローが元気ないんだろ?俺、あいつに会いたいから」
「わかった。じゃあ部活が終わったら遼ちゃんの教室に行くね」
日に日に弱っていくサブローのことを遼ちゃんに話したら、遼ちゃんはすごく心配してくれていた。
遼ちゃんと別れ教室に入ると、落ち込んでる麻衣子がいた。
「麻衣子、どうしたの?」
「葵~、私やっぱり斎藤先輩にチョコ渡せば良かった~~!」
バレンタインの日、麻衣子は部活の後にチョコを渡そうと決めていたのに、斎藤先輩は腹痛で早退してしまった。
麻衣子はそのことを斎藤先輩が帰ってから知り、結局チョコを渡せないままだったんだ。
「今からでも遅くないよ。渡しに行こう?」
「遅いよ…。チョコ無くなっちゃったもん」
「え…?」
「信汰が食べたの」
私達が話してると、信汰が教室に入って来た。
「おはよう!」
笑顔の信汰がこっちに来た。
「信汰、麻衣子が作ったチョコ食べたの?」
「あ…うん…」
気まずい顔になった信汰が言った。
「チョコが無くなったら麻衣子の悩みが消えると思って…。
ははっ…そんなことなかった…?みたいだね」
「「信汰のバカ!!」」
麻衣子と私は、信汰の背中をバシッと叩いた。
信汰は手を合わせて何度も謝ってた。
麻衣子が信汰に今日の帰りにお好み焼きをおごると約束をさせ、二人は仲直りした。
怒ってたはずの麻衣子が笑ってて、なんだか可笑しかった。
朝になると太陽は昇り、
夜になると沈んでいく。
なのに、同じ時間は決して流れない。
そんな時の中で、
私達は出会い
同じ時を過ごし
奇跡を積み重ねて
時を刻んでいく。
まるで、この雪たちのように…。
そして、いつか雪のように少しずつ溶けていく。
気づかないほど、
少しずつ、少しずつ…。
雪解けに気づいたときには
もう既に雪の山は消えていて
あっという間に雪の先にあるものが見えてしまう。
サブローとの時の流れも
この雪のように消えようとしていた…。