恋想曲 ~永遠の恋人へ~

「嶌田部長、乾杯の挨拶をお願いします」


嶌田部長はゆっくりと立ち上がり、みんなの顔を見渡した。


「みんな、今日まで未熟な俺に部長をさせてくれてありがとう。これからは、山崎を中心に、もっともっと楽しいブラバンの道を歩んでいって下さい。
それでは、カンパイ!!」



「「「 カンパ~~イ 」」」



お茶とジュースで乾杯して、みんな上機嫌に肉と野菜を焼き始めた。


「まさか焼肉とはね、びっくりだけど嬉しい」

「俺、外で焼肉なんて久しぶりだよ」


三年生の嬉しそうな声が聞こえてくる。


コンクール以来、頼もしくなった山崎先輩が嬉しそうに叫んだ。

「いっぱい食べて下さいね!」


みんなすごく楽しそう。


私と麻衣子は飲み物を渡しに回った。


「先輩、飲み物足りてますか?」

「こっちはまだ大丈夫~!」


「あっ嶌田、俺にお茶ちょうだい」


遠くから斎藤先輩の声が聞こえてきた。

指名された麻衣子は顔を赤くして斎藤先輩の所へ走った。


「は、はい!どうぞ!!」


氷で冷やしたお茶を麻衣子が手渡すと、斎藤先輩が微笑んだ。


「サンキュ…。わっ、嶌田、拭いてから渡せよ!シートに水垂れてるだろ!」

「す‥すみません!」


逃げるように走って戻ってきた麻衣子は、顔を真っ赤にしていた。


「きゃ~~、どうしよう!斎藤先輩の手に触れちゃったよ~!」


私の手を握り必死で興奮した声を抑えて話す麻衣子の手を、私も興奮しながら握った。


「よかったね!斎藤先輩、麻衣子のこと指名してたよ!」

「すごい嬉しい!嬉しすぎるよ~~!」


麻衣子が顔を赤くして喜ぶ姿を見るのは久しぶりだった。

そんな麻衣子が見られて、私も本当に嬉しかったんだ。




飲み物が足りてない所がないか見渡してみると、いろんな光景が目に入った。



お肉ばかり食べてる東先輩の皿に野菜をどっさり乗せる矢野先輩。



みんなのお肉を焼いてあげてる太田先輩。



肩を並べてお茶を注ぎ合ってる林先生と砂山先生。



二年生に囲まれて楽しそうに話してる嶌田部長。



憧れの先輩の話で盛り上がっている女の子たち。



お肉を頬張るまだきゃしゃな体つきの一年生男子。





私に微笑みかける大好きな人…



遼ちゃん。











「葵もこっちに来て食べろよ。肉なくなっちゃうぞ!」


「うん!」



遼ちゃんの隣で焼いてくれたお肉を食べる私。



楽しくて楽しくて、いつまでもずっとこの時が続いてほしいと思う。



大好きな笑顔に囲まれて食べる焼き肉は、忘れられない味になった。





うっすらとオレンジ色の夕焼けが空を染めはじめ、カラスの鳴き声が聞こえてくる。


綺麗な夕焼け。

なのに心が寂しくなるのは、このオレンジ色が時の流れを知らせているからだろう。



本当に三年生が引退しちゃうんだね。



先輩達のこと、絶対に忘れません。



定期演奏会でまた一緒に演奏できることを楽しみにしてますからね。



今まで、本当にありがとうございました…。






オレンジ色の空が、はしゃぐみんなの顔を赤く染めていた。








忘れられない思い出がいっぱいできた夏休みが終わり、

今日から二学期が始まる。



部活で会えなくなった遼ちゃんと私は、今日から一緒に学校へ登校することにしたんだ。


学校までの15分の道のりが幸せな時間。



「今日って朝礼あるんだよね?校長先生の話短ければいいなー」


「今まで10分以内で終わったことないぞ。俺サボっちゃおうかな~」


「え!?遼ちゃんがサボるなら私もサボる!」


「だ~め」


「え~~遼ちゃんだけずる~い!」




私達と同じ制服姿の人がいっぱいいるに、遼ちゃんだけが特別かっこよく見える。



遼ちゃんのサラサラな髪の毛、


右頬の笑窪、


優しい眼差し。



私の大好きがいっぱいあるんだ。






校門が近づくにつれ、私はいくつもの視線に気づいた。


知らない人たちが遼ちゃんと私を見てる。

それもみんな女の人。


こそこそと耳打ちするように話している声が時々耳に入る。


「小川先輩、彼女できたの?」

「え~、ショック~~!」

「まさか、だってあの子だよ?」


聞きたくないのに耳に入ってくる言葉が、チクチクと胸にトゲを刺した。


だけど、大きなトゲが刺さることで、この小さなトゲ達の痛みは感じなくなったんだ。




「遼!!」


綺麗な声が後ろから響いて聞こえた。


「遼、久し振りね。会いたかったー!」


「香織…なんでここに!?」



遼ちゃんが、女の人を名前で呼んだ…。


驚く遼ちゃんの目…

その目には香織という女の人しか映っていなかった。


さりげなく遼ちゃんの手に触れた香織さんも、遼ちゃんしか見えていないようだった。



ついさっきまでの幸せな時間が、遼ちゃんと香織さんのものになってしまったように思えて…


私の胸は壊れそうにだった。





香織さんは猫のような綺麗な瞳とスッと高い鼻をしていて、

化粧をしなくても一目で綺麗な人だとわかる整った顔をしていた。


そして、黒くて長い髪が肌の白さを際立たせている。



私に無いものをいっぱい持っている人だった。



「私ね、今日から産休に入った山口先生の代わりに臨時職員として数学を教えるの」


嬉しそうに話す香織さんの目は、遼ちゃんに恋をしている目だと感じた。



遼ちゃん、その目を見ないで…。



遼ちゃんの指先をぎゅっと握ると、遼ちゃんが私を紹介してくれた。


「神崎先生、俺の彼女です。山口先生の代わりってことは、葵のクラスを受け持つんだよな?」


「うん…」


「遼に先生だなんて言われるとなんか鳥肌立っちゃうな‥」



笑って言った香織さん‥神崎先生の目は怖かった。

まるで獲物を捕らえようと牙をむいたトラのようだった。



「じゃ、俺達遅刻しちゃうから行きますね」


遼ちゃんは、指先を掴んでいた私の手を固く握りなおして、神崎先生に背を向けた。



「遼ちゃん、神崎先生と親しいの‥?」


「嫉妬した?」


笑って私の顔を覗き込んだ遼ちゃんの顔にドキッとした。


「嫉妬なんてしてないよ!」


「な~んだ。神崎先生とは二年前に教育実習でうちの学校に来た時に知り合ったんだ。啓介たちも知り合いだよ」


「そうなんだ…」


「あっ、やっぱり嫉妬してたんだろう?」


「してな~い!」


遼ちゃんの胸を叩いて笑った。




遼ちゃんに明るく手を振り、教室に向かった私の足取りが急に重くなる。




遼ちゃん、気づいちゃったよ…。


遼ちゃんの顔にくっきりと表れた右頬の笑窪。


『香織』と呼んだ遼ちゃんの声が消えない…。




私を彼女って紹介してくれたんだもん。


なんともないよね?


大丈夫だよね…?




遼ちゃんを信じてるのに胸の中で渦巻く思いがある。


消したくても消えない不安。




だけど決めたんだ。


私は遼ちゃんを信じてる。



もし神崎先生が遼ちゃんを好きでも、私達は変わらないよね?



そうだよね…?


遼ちゃん…。







朝礼で見た神崎先生は、やっぱり綺麗だった。

よく通る綺麗な声で挨拶をした神崎先生を、男子生徒は憧れの眼差しで見ている。


神崎先生と親しげに話す数人の三年生の姿を見ると、

今朝の二人の光景も自然なものだったように思えてきた。




教室に戻り担任の先生が来るのを待っていると、麻衣子が笑顔で私に話しかけた。


「小川先輩の誕生日プレゼント決まったの?」

「ううん。まだ決まってないんだ」


明日、18歳の誕生日を迎える遼ちゃんの誕生日プレゼントに、腕時計にするか服にするかでずっと迷ってる私。


最初は腕時計にしようと思ってたんだけど、この前街で遼ちゃんに似合いそうな服を見つけちゃったんだよね。


「う~ん、やっぱり時計にしようかな」

「時計がいいよ。いつも一緒にいる感じしない?」

「決めた。時計にする!」


麻衣子の言葉ですぐに決められた。

麻衣子が今日の帰りに一緒に買いに行ってくれると言ってくれて、一緒に買いに行くことにした。





授業中、どんな時計が遼ちゃんに似合うかずっと想像していた。


黒革の腕時計がいいかなぁ?

遼ちゃんが好きな青色もいいな…。



透き通るような青い空を見ると、いつも遼ちゃんが浮かんでくる。


遼ちゃんが好きな空の色。


私も大好きな空の色。


どこまでも続く、青い空の色。





昼休みに購売に行くと、いつも人気のパン屋さんに長い列が並んでいた。

私は麻衣子とその隣のお弁当屋さんで日替わり弁当を買った。


「神崎先生、ここに並びなよ」

「え?いいわよ、みんなも並んでるんだから後ろに行くわ」

「先生、私と一緒に並ぼう!」


あっという間に人気者になった神崎先生が、私の横を通り過ぎようとした時に私に気づいた。


「あなた、遼の‥小川君の彼女よね?」

「は‥はい、北島です」


なんでこんなに心臓がどきどきしてるんだろう。

ただの先生なのに…。


「明日の授業よろしくね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


優しく微笑んだ神崎先生の顔を見ると、今朝のトラのようなオーラが嘘のように思えた。


もしかしたら、本当に良い人なのかもしれない。


みんなからこんなに慕われてるし、

第一印象で人を判断しちゃいけないよね…。



列の最後尾に並んだ神崎先生から、今まで嗅いだ事のない香水のいい匂いがした。